Rebirth the sword
暗域を魔女の毒釜で千年煮詰めたところで、彼の胴体の闇と狂気は再現できないだろう。燃える三眼を視界に入れた時、否応なく頭に流れ込んでくる言葉たち。闇にさまようもの。月に吠えるもの。黒人の神父ナイ。太古のファラオ。這い寄る混沌。目の前の相手を表す、歴史に刻まれ、この者自身により巧妙に隠された先人たちの無念! 異神トートやアステカのテスカポリトカですら、この外様の神の繰る千貌の一つに過ぎない――!
「ぁ……うぁ、き、様っ、は……っぁああああああ! ガルルっ、キヤノンッッヅ!!!」
隣でJが狂乱に陥っている。無理もない。対峙するだけで流れ込んでくる異界の知識。奴から暗黒の気配と共に垂れ流されているそれを真っ向受けてしまえば、あくまで人間に過ぎないJや定光ではそうそう耐え切れまい。前世がデジタル・モンスターである俺だからこそ、手にしたLegend-Armsの尽力を踏まえ辛うじて正気を保っている。
血走った眼で、金切り声の如き叫びと共に放たれた冷気凝縮弾を造作もなく受け止めて、奴は大仰な身振りで名乗りをあげた。
「まずは自己紹介と洒落込もうか。私はナイアーラトテップ――Noir-Lathotep。そこな二代目Jには"大いなる理"などと名乗ったかな?」
Noir-Lathotep。俺の脳味噌がチクタクチクタクと音を立てながら推論を立てていく。ヒントは既に得ていた。アスタロト――Astarotに、歴史の流れのどこかで無音のhが追加されていた可能性。で、あるならば。
Noirはフランス語で「黒」。Noirから「i」が抜ければnor――等位接続詞で「否定」を示す。それこそ神代の時代から暗躍していたとあれば、その名から「i」の一文字程度が抜けることなど無数にあっただろう。
そして彼の者の最も著名な名は「Nyarlathotep」。
別の方向からのアプローチになるが、アルゴリズム――algorismが否定されれば、nor-algorismだ。
「nor-algorism」と「Ny-arlathotep」すなわち「Nor-arlathotep」。類似性のあるものは呪術的にみれば同一であるのだから、"大いなる理"を名乗り遍く生命の記憶を改変した彼の神性にとって、その二つの相似性を繋ぎ合わせることなど造作もなかろう。
そう、即ち――。
デジタル・モンスター・アルゴモンがナイアーラトテップの新たな化身に選ばれたとして何の矛盾があるというのか。
何故なら、無限の姿と慄然たる魂をもつ恐怖こそ、ナイアーラトテップであるのだから。
「私の正体に察しの一つもついたかね。楽しかったよ、お前たちとの友情ごっこは」
然るにJの策略は、この忌々しき邪悪の化身を一つ増やしただけに他ならす――。
「……。……」
目立つ形での発狂を見せず沈黙を貫く定光の、本来のパートナーを奪ってしまったという事に他ならない。
「遥か昔にン・カイの森を焼かれたときから、私はアレが、クトゥグアがダメになってしまってなァ! お前たちには感謝しているよ。この惑星の法則に縛られ"地"の属性に縛られた私も漸く忌々しき"火"を滅ぼせた」
「だま、れ……」
ナイアーラトテップ自身の深淵の口裂より語られる事実。よもや彼自身の属性が"地"であろうとは――。それはともすれば、ツァトゥグアとナイアーラトテップ二柱の邪神がこの地球に存在していたように、他属性の神格ももう一柱ずつ存在しているという驚異すら示唆している。
「アレが残っていれば、或いは地球は炎熱地獄に変わり果てながらも永らえたやもしれんのにな。あぁ、労しくて涙が出そうだ」
「黙れ……」
怒りか、恐怖か。肩を震わせながらJがかけた静止も意に介さず。流れる水は止められない。放たれる毒は止まらない。耳朶に触れるだけで世界を侵す文言は、他の邪神と変わらない。
「"大いなる理"は確かに存在する。だがそれは私などではなく、お前達は御方の無聊を慰めるためだけに存在して」
「黙れと言っている――ビフロストォォオッ!!!」
錯乱していても情報は聞き溢していない。彼が"地"の神性でクトゥグアを恐れているのだから、ならば有効なのは"火"。ムスペルヘイムの業火が真正面から千貌を襲う。
「やれやれ、無粋な娘だ。歳月を経ようとその矮小さは変わらぬようだ。寧ろ、地球の情報統合樹の叡智に触れた分だけ正気を失ったか? いやはや、無意味なデバッグに勤しむ姿は実に愛らしかった。お前たちの尺度で言うなればハムスターが滑車を回し続けているようだった。なにせ、私が意図的に作り出した綻びを縫い直すのだから、見れば見るほど賽の河原に石を積み上げているようだった! あぁ、獄卒になる日をどれほど心待ちにしていたことか!」
されどアルゴモン・ヒュプノスであった彼には些かの痛痒も与えられない。デジタル・モンスター化することで異界の邪神を傷付けられるというのは、散々奴らを屠ってきた事実からも確実な筈なのに。おそらく奴の言葉通り、Jの掲げたデジタル・モンスター化という主戦略さえ誘導されたものだったのだろう。
「我らが主はご満悦だ。我々が未だに存在していることがその証明」
「主、だと……? この期に及んで、お前は先兵でしかないと?」
「先兵という言葉は正しくないな。私は宮廷道化だよ。正直、君達と役割はあまり変わらない。違いはそれを福音ととらえているかどうかと、脚本家を兼任しているかと言った所で――」
「――話が長い。疾く去るがいい」
そしてナイアーラトテップと対峙していた俺たちの側からも絶望が降ってくる。
「……お前もか。あぁ確かに、お前は一言も術技の名前も言わなければ、本来の棲家である"ダークエリア"という言葉も口にしていない。ましてや『ツァトゥグア』を滅したとも」
嫌悪感と、そして少しの喜悦を滲ませた声色で、ベルフェモンの声帯が震えている。
即応するように、定光が射貫く様に目を細めた。ああ確かに、違和感はあった。何故、レイジモードがこれ程穏当な性格でいたのか。何故、力尽き弱った筈の怠惰の魔王がツァトゥグアを打倒などできたのか。なるほど、つまり俺たちは謀られており――。
「なあそうだろう、ツァトゥグアさんよ」
――クトゥグア討伐に手を貸そうという意図は、真実だった。だが、その目的はこの惑星を旧支配者の恐怖から救い出すことではなく。
「その通りだ。まんまと引っかかってくれたではないか。まったく、遠き祖の傍仕え風情がうまくやったものだ」
「お褒めに預かり恐悦至極ですよ、坊ちゃん――とでもいえば満足かな」
「要らん。それよりも早ういね。貴様の貌は見飽きんが、好んで見たいかと言うとそうでもない」
天敵を滅ぼし、万が一にも消滅の憂き目に遭うことを回避するため。"地"属性に縛られた共謀者二柱が笑い合っている、認め難き光景。それを目の当たりにして、Legend-Armsを握る手に力がこもる。
ナイツの攻撃は通らない。アルゴモン・ヒュプノスも、嘗て味方だった怠惰でさえも敵だった。それでも、この2体を放っておける筈もない。
「さて、では私は別の惑星で種を蒔いた物語の萌芽を確認に行くとしよう」
――太陽系第三惑星は、約定通り君にあげよう。
アルゴモン・ヒュプノス――ナイアーラトテップは万物を嘲弄する貌で宙に浮かび上がる。
「うむ、よきに計らえ。時々ニンゲンにちょっかいかけにくるぐらいなら見逃してやろう」
「逃がすかよ! トゥエニストよ――斬り裂――っ!?」
剣身を伸ばし、宇宙へと飛翔する元アルゴモンへと繰り出した刺突。それは突如俺とナイアーラトテップを隔てるように展開したランプランツスの射出ゲートを介し異空間に飲み込まれる。
「どういうつもりだ、ベルフェ――ツァトゥグア」
咄嗟に剣を退きながら、見知った姿に思わず呼びかけた名前を封印する。今となってはそんなものでさえも懐かしい。七柱の魔王型は、皆それぞれに敬意を抱けるほどの猛者であった。その姿を弄ぶというのなら――。
「まずはお前から殺すぞ。テメェの同胞がどうなったか、知らないわけじゃないんだろう」
ハスターは斬った。クルウルウもだ。そして目の前でクトゥグアをも両断した。奴らには何かしら思い入れなどなかったが、その存在自体が俺たち――人間にとっても、デジタル・モンスターにとっても害悪でしかない。だから斬った。斬れた。そしてそれ以上に、お前だけは許し難い。
「二人とも下がってろ、コイツだけはすぐに殺す」
「人間風情が一丁前に我を滅ぼすつもりか――!」
幾らベルフェモンがツァトゥグアを滅ぼしたと思っていたのは思い違い。事実は正反対だったからと言って、しかし奴が用いる攻撃は氷の火柱だった。ベルフェモンの術技と遜色ないそれだが、どちらも怠惰をその特質とするだけはあると言える。そしてそれならば、過去に幾度となく対処した程度のものでしかない。
四方八方から飛来する炎を纏った鎖、だがデュランダモンの記憶が最適な対処法を導き出す。一直線に千年魔獣の体躯に近付く。
「さっさと死んどけ――!」
「ッチィ、ほざけぇ……っ!」
巨体がふわりと浮遊し、三対の翼を動かすこともなく空中に逃れた。羽根を動かすことすら億劫だというその姿勢は、いま尚その姿に見出せる郷愁を誘って最早腹立たしくさえある。
空中は今生の俺にとっての鬼門だ。それを先の攻防で理解したか否か定かではないが、奴は滞空したまま咆哮した。弱きモンスターを即死させる魔王の一喝。これもベルフェモンの能力だ。
そんなものが、窮極のLegend-Armsたるこの俺に効くものか。
「地底で眠ってただけのヒキガエル風情がァ――!」
「エイボンにも劣る家畜が調子に乗るなよ……ッ!」
大地から跳躍した俺には目もくれず、ツァトゥグアは我が物顔で怠惰の王の力を振るう。万象遍く王を煩わせるものを粉砕する氷の火柱が、最早只人に過ぎなくなったJと定光に襲い掛かる。
「だからお前は、世間知らずなんだよ。ベルフェモンならそれが悪手だと知っていた」
俺が焦って射線に割り込むとでも思ったのだろうか。幾らJが混乱していようとも、今や俺たちは二人ではない。ウェンディモンの時は判断を誤って防御半径の狭い魔楯アヴァロンを展開したが――。
「Vブレスレット!」
「ああ――テンセグレートシールド」
――定光の指示で、アルフォース能力が構築する球形の力場が彼らを護る。最早後方を確認するまでもない。目の前に俺ごと呑み込まんと展開された異空間ゲートを、空間の裂け目ごと切り裂いてツァトゥグアに肉薄する。
「ダークエリアでベルフェモンに詫びるんだな! トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」
窮極のLegend-Armsが、今更時代遅れな旧支配者の一柱ごとき、斬れぬものか。
●
ツェーンが振り抜いた一閃は、怠惰の王の毛皮に一筋の傷を着けることすらできなかった。
「は――?」
彼の端正な輪郭が驚愕に歪む。
ツァトゥグアの体表を斬りつけた一瞬がやけに長く感じられる。ツァトゥグア自身この状況は想定していなかったのか、一瞬呆けたように口を広げ――それを直ぐに醜猥なものに変貌させた。
「や、べ――マズ……っ」
「惜しかったなァ……。神に刃を向けた不遜を、しかし我は赦そう。褒美に受け取れ――!」
剣閃の衝撃が大気に霧散するまでの僅かな一瞬。その間に、先にも解放された闇の賜物が猛威を振るう。ベルフェモンのものだった魔爪が叩き込まれてツェーンの身体が地面に叩き込まれる。まるでスローモーションで或いはコマ送りで再生されるムービーの一幕のようだった。一拍遅れて地面に肉がぶつかる音を耳が認識して、更に一拍遅れて邸宅の庭に生じたクレーターを目が捉える。
「ツ――「十三ッッ!!」」
私が叫ぶよりも一段と早く、宮里定光がツェーンに駆け寄る。今更彼を想う深度で負けたなどと言うつもりはなく、単にVブレスレットを抱えていたから、或いは彼の痛ましい姿に初めに抱いたのがショックか憤りかという違いでしかない。宮里定光は有羽十三の掛け替えのない友だ。私が居なければ、人間とデジタル・モンスターの間に存在する言葉でなく定義上のパートナーという言葉であれば――有羽十三には彼こそが相応しい。
「おいっ、十ぞ……っ。 ……しっかり、しろよ……!」
その証拠に、真っ先に彼に駆け寄り助け起こそうとする宮里定光の姿は彼の相棒としてこれ以上ない程完璧だ。インスマスの海岸で見せた彼らの友情は敬意を払うべきそれであり、ツェーンとデュランダモン、二つの好意の狭間で雁字搦めになっている私が介入するべきではない。最も素晴らしき友の手に導かれ、陥没した大地から再び黄金の輝きが溢れ出すだろう。
けれど、それを理解した上で。
「ツェー……ン……?」
私の身体はまるで幽鬼のようにフラフラとクレーターに近付いて、宮里定光を押し退けていた。ツァトゥグアは陰湿な雰囲気を漂わせたまま、宙空に静止して私たちを観察していた。都合がいい。舐め切っているのならば反撃を見せてやろうじゃないか。ねえそうだろうツェーン。だからほら、演技はもういいんだ。胡散臭いムーヴは私たち二人とも大好きだけれど、油断を誘うためならもうこれ以上ない程成功してる。
「おい、やめろ――っ、見るな!!」
どうして宮里定光はこんなに焦っているのだろう。有羽十三に相応しいのは彼でも、ツェーンの真意を理解できるのは私だけだ。その証拠に、クレーターの中を覗き込めば不屈の笑みを浮かべたツェー、ン…が……。
「ツェーン……? 嘘、だろ……ぅ」
膝から崩れ落ちる。クレーターにのめり込みそうになり、宮里定光に支えてもらう。
嘘だと言って欲しかった。ツァトゥグアの言葉でもよかったし、ヒュプノスの魅せる悪夢だったとしても構わない。誰でもいい。宮里定光でもいい、邪神でもいい。どうか目の前の光景を否定して欲しかった。
「いいや、事実だとも」
この光景は幻覚などではなかった。魔王の姿を奪った邪神の濁った瞳にも、無残にも引き千切られた肉塊と、砕け散った黄金が写り込んでいる。
「しかし気の多いことよ。ネクロフィリアだけでは飽き足らずナルシズムか? 随分節操がないな、少しは慎みと言うものを持ったらどうだ。これではまるで色欲だ」
「アァ?」
私の腕を掴んで身体を引き上げながら、ツァトゥグアに対して威嚇する宮里定光。それを有り難いとは思うけれど、私の身体はもう自力で立つ事もままならないほど力が入らない。
分かってはいた。理解してはいた。私たちは上位の究極体に等しい火力を持つものの、肉体的には人間に過ぎない。ツェーンは空を飛べず、私は盾を手放せない。彼の得物は攻防一体のLegend-Armsだが、斬り払いという無敵の防御が通用しなければ待っているのは敗北だ。
「どうだ二代目Jよ、貴様の愛を差し向ける代替品はこの手で粉砕してやったぞ。」
「おい落ち着けよ。耳を貸すな、取り乱すな。まだだ、まだ終わっちゃいねぇ」
「いいや終わりだ。貴様らの魂はサイクラノーシュの理に呑まれ、永劫我らの無聊を慰めるために用いられるのだ」
世界が遠い。薄いガラスを隔てたような感覚どころか位相が違うようにすら感じられる。何か会話するような囀りが聞こえて、しかしその囀りの片方がどうにも忌々しくて仕方ない。皮膚の上を這いまわる蟲のように、この声の主に魂が汚されていく。
「なぁ、二代目よ。この肉に宿る記憶が教えてくれることは多いが、分からぬことも多い。一つ教えて貰おうか。気になって夜も眠れんなあ、怠惰たるこの我が」
獣欲を滲ませた嘲笑に思わず耳を塞ごうとするが、物理的な遮蔽は意味を為さず脳が犯される。それは全てが真実でこそないが一端の真実は紛れていて、私がツェーンを愛する資格がないことが浮き彫りにされる。私の心の海から浮上してルルイエさながらに世界を圧迫してしまう。
「先代――死体の具合はどうなのだ? 腐汁に塗れ蛆に乳を吸われ、それで貴様は喜悦を漏らすのかぁ? おお悍ましや汚らわしや。まるで月棲獣かの様ではないか。はっははははははははははは――!」
「テメェ、言わせておけば図に乗りやがって……!」
「ん? ハハ、威勢の良いことだ。貴様に用はない、死ね」
隣の彼が、憤りも露わに食って掛かる。とても嬉しいことだけれど、悪手に過ぎる。邪悪な神格を前にして人類にできることなど、震えて慈悲か気紛れを祈るしかないのだから。
獣の剛爪が軽く振るわれただけで、彼の肉体が砕け散るビジョンを幻視した。デジタル・モンスターの特殊能力が意味をなさない以上、アルフォースでは『技』を防げても攻撃は防げないかもしれないと頭の中の狂っていない部分が即座に判断して――。
「宮里君、ダメ……っ!」
――彼の親友まで喪わせてなるものか! 身体が反射的に動いて、イージスを両腕で構えて受け止めた。
「あぐっ、あ゛ぁあ゛っ!!!?!?」
けれど防ぎ得たのは一撃だけ。両腕がへし折れ、もうイージスは掲げられない。ナイツ随一の山羊皮の盾は見事に物理障壁として機能してくれたがやはり担い手の脆弱性が足を引っ張った。激痛と骨の折れる衝撃は神経線維の伝達速度で考えれば深部感覚である衝撃の方が先に脳に達している筈だがそんな事を考えている余力もなければ速度差を知覚している暇もない。
「依存先がなくなれば次の男に媚びを売るのか? いっそ健気とさえ言えるが――とんだ淫売だ」
こんなもの地の旧支配者にとっては手遊びに過ぎないと分かっている。その程度の力に懇親の防御を為さねばならぬ現状はどう考えても詰んでいるけれど、それでも私は彼を守り抜かねばならない。ツェーンの親友。私の恩人。彼がいなければアメリカ東海岸で私はパートナーと真に再会を喜ぶことはできなかったし、ツェーンと本当の意味で分かり合うことはできなかっただろう。代償行為に過ぎぬと分かっているけれど、イグドラシルの職務などあって無きが如しと分かったとしても、最早打開策の一つも浮かばなくなったとしても、諦められるものか。
「あぐっ、ギ、ぃ――ゴッド・ブレス!」
魔楯アヴァロンの全方位防御シールドは通用しない。案の定二回目の攻撃はいっそ小気味よい音を立てて結界を破壊した。だがアヴァロンそのものは実体楯で、ゴッド・ブレスの発動時には輝きながら空中で制止してくれる。本来のベルフェモンが全力を出して破壊できるかどうかという代物は、二撃目も十分に防いでくれた。
けれど、これでお終いだ。ナイツの武装にはまだ聖盾ニフルヘイムもあるが、腕が動かなければ使えない。ここで戯れにツァトゥグアが手を止めなければ私たちに待っているのは死以外には存在しないし、そんな甘い考えを抱いてなんとかなる状況じゃない。
「愉快な出し物だ。その盾は識っているぞ、三秒しか使えんのだろう。さぁ、次はどう凌ぐ」
「決まっている――」
左肩にブレイブシールドを形成、半身になって彼の前に躍り出る。その時見た宮里定光の表情はどんなものだろう。恐怖? 嫌悪? 呆然?――違う、赫怒か。こんな私に……先代に依存してそのガワを纏わなければ戦えなかったような無様な女にそれほどの価値を見出してくれて、本当に嬉しく思う。
迫り来る魔爪、死の恐怖はない。ツェーンも、デュランダモンも死に、その魂はリアルとデジタルのどちらに行くのだろう。それともツァトゥグアの言ったように土星に引きずり込まれるのだろうか。どれでも構わない、私もこの後すぐ、後を追うから……だけど。
「――宮里君。無責任だけど、どうか無事で……!」
だけど、せめてこの身を彼の残した何かの為に捧げないと、私はツェーンに顔向けできない!
●
無機質な直剣としての黄金も、有機質の五体も魂魄だけとなって周囲の状況を認識している。魔王の爪で引き裂かれたものはダークエリアで彼の血肉となる。その大原則に則れば、ツァトゥグアに殺された俺たちは土星という奴にとってのパンデモニウムに引きずり込まれるのだろう。そしてそれはJも、定光も同じだ。
――許せるか。 肉を喪ったデュランダモンが囁く。
――許せない。 霊魂となった俺は答える。
当然だ。俺たちのふがいなさが、奴を断ち損ねた。顔向けできないのは俺たちの方だ。デジタル・モンスターでないから斬れないだと? ふざけるな、下らぬにもほどがある。
ああ、だが、最早身体は動かない。俺たちはあの旧支配者を斬り損ね、Jと定光を守り損ねた。それが現実。世界は地の旧支配者に支配され、この宇宙はアルゴモンだったあの忌々しき神性に支配される。
義憤か、嘆きか。果たして何なのか自分でもわからない感情が総魂を渦巻いている間にも、場面は進んでいく。今、ちょうどJがブレイブシールドを肩に装備したところだった。
最後の最後まで、Jは目を瞑りもしなかった。定光を優しげな瞳でみて微笑んだ後、確とツァトゥグアを睨みつけていた。
『――宮里君。無責任だけど、どうか無事で……!』
霊魂となったことでパートナーへの感受性も強化されたか、その思考までなだれ込んでくるようだった。バカな奴だ、この状況に責任をとるべきは俺たちだ。
なぜならば、俺たちは勘違いをしていた。調子に乗っていた。為すべき事を為さず、Jとの邂逅に浮かれに浮かれていた。
お前に顔向けできないのは、俺の方だよ。
――パートナーの影に隠れるデジタル・モンスターなど、ぶっちゃけクソダサいだろう。
●
目の前で、信じ難い光景が繰り広げられていた。
銀髪の美少女は我が身を守ろうと矮躯を絶望に晒し、黒髪の青年と至高の黄金は奇跡を起こした。
死者蘇生と、融合。
担い手と剣が同一であることが理想などとは、口が裂けても言えるものではない。やはり剣とは、担い手と武器が揃ってこそ。
――目映いまでの漆黒が、闇を微塵も匂わせぬ清廉な赫怒を纏っていた。銀髪の愛すべき彼女を庇うように、我が主の子ヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの双子の子ナグとイェグ、その息子であるツァトゥグアの腕を斬り裂いた。
「パートナーの影に隠れるデジタル・モンスターなど、ぶっちゃけクソダサいだろう」
あぁ、羨まんばかりの光景だ。私は眩しさに思わず目を細めて彼らを見つめる。アレも羨んでいるようだったが、人間にだけ許された特権はあまりにも多い。
特権――奇跡を目の当たりにして、私も己のなんたるかを思い出した。あぁそうだ、思いも寄らなかったが、宮里定光――私もまた神。人として生を受け、人として17年の時を過ごしたナイアーラトテップの千の化身の一。遙か昔より旧神ヒュプノスに化けていたあのナイアーラトテップと引き合うのは当然で、そして目の前の彼らが言うパートナーの情というものが理解できなくても当然だ。何故なら根源を同じとする二人だったのだから。
だが、間近にそれを触れて、確かに心地よいと思った。
こんなにも胸をうち響かせるものがあったというのか、私は真理に至ったと確信できる。
なにせほら、その証拠に――。
「っ。き、みは――!」
「ありがとうレイラ、お前のお陰で間に合った」
――聖剣デュランダルは、更に進化した!
これほどの感動、これほどの充足。感謝しかない。二度の死を尚越えて、再び彼らは惹かれ合うのだ。やはり、あの私は間違っている。雛鳥は既に卵から孵った。雛は私のゆりかごの中で育ち、巣立ちの日を迎えるべきなのだ。
二度の再臨を果たした彼は、白亜に輝く直剣を誇らしげに掲げた。
――では今宵、忌々しき交響曲の幕引きと行こう!