I am Legend-Arms
グレイダルファーが手に馴染む。
思えば俺はずっと不完全な姿だった。デュランダモンの姿も、ツェーンの姿も。そもそもLegend-Armsが誰かのパートナーになるという事自体が狂っている。そんな当たり前のことに気がつかないなんて、窮極のLegend-Armsを自称しておきながらなんたる体たらく。
俺はこれまで魔を断つ剣でしかなかった。だが、剣であるならば聖も魔も断たねば片手落ちだろう。天使が持てば世界を救い、悪魔が持てば世界を滅ぼすのが俺なのだから。
斬り飛ばした前腕に目もくれず、レイラの身体を抱き寄せる。細い身体だ。無惨に砕けた両腕に、守れなかった自分のふがいなさに殺意さえ覚える。アルファインフォース能力で傷を癒やし、彼女を庇うようにツァトゥグアの前に立つ。右腕を落とされた奴は腕の断面を呆然と見つめた後、苦悶を浮かべるでもなく激怒していた。
「貴、様ァ――! 脆弱な生物の分際で……!」
大方、先ほど傷ひとつ付けられなかった筈の矮小な生命が自分に傷を付けたのが許せないのだろう。まったく、これだから神性というやつは。傲慢が過ぎると言うものだ。
「カミって奴は、怠惰の称号には似合わないぜ」
目の前の邪神は、嘗て死闘の末に討ち果たした傲慢の超魔王に後する力を持っていただろうことは想像に難くない。だが、更なる進化を遂げた俺にとっては最早敵じゃない。グレイダルファーを突き出し、溶けかけたバターを斬るようにツァトゥグアを薙ぎ払った。
「――っふぅ。ざっとこんなものか」
怠惰の肉を奪って復活したツァトゥグアの消滅を見届け、俺は手を数度握っては開き、五体の状態を確認した。四肢は壮健な活力に満ち溢れ、背にはサファイアを思わせる深い蒼色のマントを靡かせる俺の姿。総身を漆黒の鎧に包み、手には真なるLegend-Armsグレイダルファー。
「ツ……デュラ……アルファ、モン」
背に、おずおずと伸ばされた指先が触れた。新生した俺のことを、なんと呼べばいいのか分からないようだ。本当は、真の姿に立ち戻っただけなのだが。
「ツェーンでも、デュランダモンでも構わない。俺はそのどちらでもあるし、どちらでもない。お前の好きなように呼べ、レイラ」
振り向いて、愛しいパートナーの前に跪く。
「俺はお前の為にある。レイラ・ロウは俺の全てなんだ。
Legend-Armsである俺は、ただ一振りの剣に過ぎない。当然だろう。天使が持てば世界を救い、悪魔が持てば世界を滅ぼす、それが俺だ。担い手こそが俺の指向性で、担い手なくして俺は存在意義を果たせない。けれど――俺は同時に、デジタル・モンスターでもあった」
パートナーなきデジタル・モンスターなど、世界の命運を決める戦いに拘わりようもない。
「レイラ・ロウは、俺というモンスターに意味を与えてくれた。だが同時に、それはお前に俺を振るわせたくないと思わせるには十分な関係性だった」
「……その結果がデュランダモン。聖剣デュランダルの伝説を下地にした姿」
「そうだ。俺はお前のことを大事に思っている。そう思うがゆえに、Legend-Armsであるにも拘わらず自分で戦い続けた。アルゴモン=ヒュプノスに化けたナイアーラトテップの差配で人間界に転生させられたとき、人間の姿になったのも、きっとその一環だろう。担い手と剣が同一であればLegend-Armsが完成するなどと、馬鹿な思い違いだった」
レイラの手が、俺の頬に伸びる。続く言葉は、頭の真上から降ってきた。
「あぁ……馬鹿な男だよ、君は」
薄く細い体躯が俺の頭部を抱きしめていた。体温こそ高くない身体だが、何よりも暖かかった。
「私が、そんなことで喜ぶわけないだろう……。Jと、彼のパートナーの姿を、覚えていないのかい……?」
「覚えているさ、しっかりと。あの男は俺たちの道標だった……」
どこまでも強く、誇り高く、捻くれてこそいたが誰よりも善意に満ちていたJという男。そんな男と並び立ち、時に戦い、時に彼を支えたパートナーデジモン。彼の旅路は道半ばで終わってしまったが、脳裏にしっかりと焼き付いている。
「だからこそ、俺はお前を守りたかった、前線には立たせたくなかったんだ」
「だが私は、Jにならざるを得なかった。イグドラシルの端末となってからはレイラ・ロウとしての自分に戻ったけれど、それは私たちの受け継いだJの旅路が終わったからで、私がJに縋らなければ自分を保つことすらできなかったのはツァトゥグアの言うとおり事実だ」
微かな嗚咽と同時に、頭に一滴の滴が落ちるのを感じた。
「ごめんよ……私が、弱かったから……君にそんな役割を背負わせてしまったんだね……」
「それは違う! これは当時の俺が弱く、そしてお前を信じきれていなかったのが原因であって……!」
泣かないで欲しいのに、言葉を尽くせば尽くすほど彼女が涙ぐんでいってしまう。レイラの涙を引かせるためにどう言葉をかけたらいいものかと焦っていると、傍らの定光から助け船が出された。
「二人とも、お互いのことを大切に思っていたということだろう。ほら、泣きやむとい――泣きやみなって」
レイラの事で頭が一杯で気がつかなかったが、そもそもこの男もパートナーを邪神に奪われているはずだ。深い悲しみに身を落としていてもおかしくないのに、そんな様子をおくびにも出さない。強い男だ――弱い俺なんかと友であってくれて、本当にありがたいと思う。だが、少し様子が変わったか……?
「ああ、そうだね……宮里君も、ありがとう。君がいてくれたから、私は最後までJでいられた」
翠瞳から流れ出る液体を拭いながら。そしてそんなレイラを見て、定光はどこか以前のアルゴモン・ヒュプノスさながら鷹揚に頷き、まるで狂言回しであるかのように、残る問題を提起した。
●
「礼を言うのはこちらの方さ。だが……アイツを倒さない限り、この世界に平和は訪れない。日常の裏に、怪異はともかくあんなモノが潜んでいては枕を高くして眠れやしないだろう」
本当は、あの私を倒し、最後に我が君の眠りを覚まさねばこの世界は解放されないのだが……。けれど次の戦いで、彼らはそれを識るだろうし、識った以上彼らは絶対に呪わしきオルケストラを止めにかかる。なにせ同じ自分のことな上、あれほど近くにいたのだ。その衒学趣味は手に取るようによくわかる。そう信じて、私は無言のまま彼らを送り出す。
「分かってる。当然好きにさせるつもりはない。この惑星を玩弄する邪神だ。Jの後継としても、十三番目のナイツとしても見逃す理由はどこにもない」
「アルファモン……。でも、奴はもうこの星に興味はないと言っていた! もう君が戦う必要は……」
「あるさ。役割や使命以上に、俺はお前を弄んだアイツを決して許せそうもない。もしレイラ・ロウを戦う理由とするのが不満だというのなら――」
アルファモンは言葉を切り、宇宙を見上げる。宙の果てにいるナイアーラトテップに宣戦布告するように、その澄んだ殺意が研ぎ澄まされていく。
「――俺自身、さんざ虚仮にされてキレてるんだ。着いて来いレイラ、一緒にアイツをぶん殴りに行こう」
嗚呼、もう大丈夫だ。彼らは遂に同じ所に並び立った。
「十三!」
輝かしい男の名を呼びかける。思えばこのまるで数字のような名も、きっと彼の意志があの私の意志を越えた証左だった。
アルファモンと言う、彼の真の姿を表す真の名。
有羽十三とデュランダモン、同一にして別個の存在が高次元に融合を果たした姿――空白の席の主、十三番目のロイヤルナイツ。
彼はイグドラシルの暴走――即ち神と、残り十二の騎士の相手取る存在であるのだから、必ずや世界を蝕む悪神を滅ぼせる。同じ神である以上、最早逃れることはできんぞ、私よ。
できれば私も一緒に行って直接手助けをしてやりたいが、馬に蹴られる趣味もない。
「お前は勝てるよ、行ってこい。わた――俺の分まで、宜しく頼むわ」
●
――『お前は勝てるよ、行ってこい。わた――俺の分まで、宜しく頼むわ』。
突き出された拳。その一人称から、彼の中で何らかの覚醒が起こったことを悟るが、自分から言い出さないのならば追求はすまい。言わなくていい事と判断したのだろう。
激を飛ばす定光に、究極体の力で粉砕してしまわぬよう繊細に力を調節して拳を合わせた。
「任せとけよ――さあ、レイラ」
「私たちなら、絶対に負けないよ。行こう」
カレドヴールフを身に纏うレイラと連れだって飛び上がる。背中の黄金の翼を広げ、蒼白のマントを風に靡かせて、瞬く間に小さくなっていく定光から視線を切り、宇宙へと飛び出す。
何処だ、何処にいるナイアーラトテップよ。雪辱戦と行こうじゃないか。
答えは直ぐに訪れた。
「星に縛られた存在が、無謀にも星を飛び出し私を追ってきたか!」
闇に彷徨う漆黒が、宇宙の暗闇と錯覚するほど昏いままに顕れる。シルエットこそアルゴモンに似ているが、その燃える三眼の猥雑さは最早デジタル・モンスターとは言えまい。ヒュプノスとしてのコイツと融合させられたアルゴモンに、僅かな憐憫と共に黙祷を捧げた。
「生憎と、舐められっぱなしは性に合わないんだよ」
グレイダルファーの切っ先を向ける。
「見くびられても下を向いて受け入れるのがお前たち人間ではないか。遊び飽きた玩具に用はないが、手向かうならば絶望をくれてやろう――」
邪神の掌に、星々が凝縮していく。その数実に数万を越えており、それはこの邪神に玩弄された惑星の数をも表している。そして、この術技には既視感がある。なぜなら、俺はサタンモードとの戦いの後も同じように、これを食らったことがあるから。死角より飛んできたこの熱波を、この魂が覚えている。
凝縮された幾つもの銀河が、音も振動も発さないままに破壊の業火として弾け飛んだ。その威力、速度、共にダークエリアの業火が児戯にも等しく、けれど。
「テンセ――グレートッ、シールドォオオオッッ!」
幾ら破壊力が高かろうが、これは邪神の理ではない。たかが超新星爆発、たかがスーパーノヴァ。エンシェントボルケーモンの放つそれと同質の物理現象でしかない。ならば防げぬ道理などあるものか。レイラが必死の形相で張り続けるアルフォースの盾が、超速で崩壊と再生を繰り返す。
「砕け散ってたまるものか。今度こそ、今度こそ私は最後まで戦い続けるッ!!」
彼女もまた、既視感と、それによる著しい恐怖に苛まれているはずだ。何故ならあの時、魔王戦役の最終決戦の後。俺たちは生き残ったナイツと共に外宇宙より飛来したこの一撃を受け切ったものの、続く攻撃には耐えられなかったのだから。その時も、アルフォースブイドラモンのこの盾が俺たちを守っていた。レイラの頬を汗が伝って落ちる。
「任せろ――こんなところで終わりはしない!」
あれだけの星々が集まれば当然、太陽にも劣らぬ恒星の一つや二つあるだろう。超新星爆発に続いて起こる事象、極限の自己収縮によって全てを飲み込むに至った暗黒天体。即ち…光をも逃がさぬ暗黒の超重力。時の歩みをも許さぬブラックホールが、今度はレイラだけを見逃したりはせず俺たちを呑み込もうと渦巻く。いかなる攻撃も喰らい尽くす暗黒の渦に、前回はナイツのどんな攻撃も通用しなかった。
「暗黒天体がなんだってんだ。こっちには二回の死を越えてなお俺を愛する重い女がいるんだぜ」
だが、そんなものでは最早終わらない。グレイダルファーを一振りすれば、寸刻の内に膨張し続けるブラックホールよりも長大な剣になる。渾身の力を込めLegend-Armsを振るえば、複数銀河を滅亡させた人為的な暗黒天体創造が終了した。レイラが俺の発言にひっかかりふくれっ面を晒す余裕すらある。
「ちょっと、それ私のことだよね。私やっぱり重いの? ねえ。ねえってば。目を逸らすなよ」
「知ってる。知ってる。一切ご承知ずくだ。お前が自分を重いと認識してないのはな」
「これが終わったら覚えておけよアルファモン……! 一日中べったり抱きついてやるからな……!」
やべえよ先代Jの台詞なのに通用しない。
「足掻くか! だがその献身、絶望が深まるだけと知れ!」
「次はどう出るよ。得意技は効かないって分かっただだろ」
「後悔するなよ……ッ!」
安い挑発に乗ってくるナイアーラトテップ。人間を玩弄しすぎて、自分が虚仮にされる経験がないのだろうか。だがここからは未到領域、初見クリアを求められる以上、気を引き締めて意識を怜悧に研ぎ澄ます。
奴が細長い触手を指揮棒のようにかざすと、スペースデブリから惑星まで、大小様々の飛来物が猛然と迫ってくる。同時に顕れる無数の異形の者ら。異形の中にはデビドラモンやハンギョモン、レアモンと言った見知った者らに似た姿もあった。これらこそが、邪神共の奉仕種族なのだろう。となれば成る程、次なる手筋は――。
「――眷属召還と流星群か。ちょうどいい、それなら見せてやるよ」
剣を構えぬ左腕を前に突き出す。それだけで、レイラはこちらの意図を察してくれた。
「Access――Yggdrasil.SEVENTH SIN's, Code:Envy!
いと壮大なる五番目の子。されど汝は、あらゆる全てを羨んだ」
銀縁のモノクルの奥で、左眼が激しく動く。既に地球から遠く離れてしまっているが、イグドラシルに接続し、俺たちが戦った偉大なる魔王の記憶を呼び起こす。彼女から伝えられるコードに従って、目の前に巨大な魔法陣を描いた。脳裏に鮮明に残るピンク色の大鰐が笑いかけてくるようだ。当時は忌々しかったが、今となっては敬意すら抱いているし、礼賛の言葉すら自然に口をつく。
「如何なる者も汝を傷つけること能わず。
――Digitalize of Soul! ロ・ス・ト・ル・ム……!」
俺たちを遙かに上回るサイズの魔法陣から魔顎が飛び出し、流星群と異形共を飲み干し喰らう。ありとあらゆる全てを奪い尽くす嫉妬の極点。俺の魔術によって模倣し、複製された存在ながら、先の暗黒天体にも劣らぬと確信できる。
「これが七大魔王だ。アレはベルフェモンを名乗るには些か以上にお粗末だった」
「ほざけ! 所詮ツァトゥグアなど血の薄れた格落ち品に過ぎん、あの程度の者を殺せたからと思い上がるなよ人間……ッ!」
月に吼えるかのような激昂。そして次なる神の御業がもたらされる。数千、数万の星々が奴の指揮通り踊り、その配列を組み替えてゆく。やがて十字架のごとくクロスして、1999年8月に起きたそれに比して数億倍規模の潮汐力を引き起こし、一挙にそれが押し寄せる。
「ぐ、ぁ……っぐ、舐めるなよ……!」
全身の血液が沸騰するかのように暴れ回る。流石に堪えるが、まだまだこれから。あのド腐れ邪神に、地球の底力を見せつけてやらねばなるまい。
「あぁ。地球原産のグランドクロスを見せてやろう。
Access――Yggdrasil.Kerner――Seraph, Cherub, Ofanim.CODE:Lucifel!
アッシャー、イェツィラー、ブリアー、アティルト――」
フォールダウンしたルーチェモンが、王国より王冠までセフィロトを辿り至高天として再臨する。
「いと気高き熾天の君よ、汝の愛を我は識る。
――Digitalize of Soul! グランド……クロス!」
顕現した傲慢の天使が10個の超熱光球を産み出す。
十字に配列されたそれらはセラフィモンのセブンヘブンズを児戯に貶める魔技だ。たかが自然現象の数億倍程度に負ける道理などなく、俺たちの身体を歪めようとする超級の重力差を打ち消し、押し返し、そして源たる幾万の邪星を打ち砕く。
奴ら自身の理に定められた攻撃でもなければ、最早俺たちには届かない。魔王も、神に等しいデジタル・モンスター達も。旅の途中で嘗て出会い、共に在り、対峙した全ての存在が俺たちに力を貸してくれている。この星を愚弄した邪神を赦すな――と。
ナイアーラトテップの炎の瞳の下、昏い暗黒が広がる口裂が憤るように歪められた。
「どうした、終いか? ならば聞きたいことがあるんだよ、答えてくれないか無貌の神」
「ほう、何かね。大宇宙の叡智でも知りたいのか? 私は知っているぞ、世界の始まりも、終わりも。不老の術も、栄光の科学も魔道の秘奥も!」
釣り針に獲物がかかったとでも言わんばかり。会話を仕掛ければ邪神は愚かにも、饒舌に語り始めた。