クルーエル・ステラー
天よりランプランツスで演出して舞い降りた、怠惰を冠するダークエリアの領主ベルフェモン。司る大罪の如く、千年――即ち永劫の眠りを求め、他六柱の殲滅に力を貸した七大魔王の一角だ。油断なく魔王に向けて構えたLegend-Armsを介して、記憶と当惑が伝わってくる。彼は傲慢の超魔王との決戦に合わせ千年に一度のレイジモードを表出させ、自壊しながら満足気に滅び去った筈だ。それは確かにこの目で確認したし、幾度かの付き合いを経て彼が真実、滅びを望んでいることも理解していた。
「嘗て戦場を共にした人間と再び見えたいと思うのは、おかしなことではあるまいよ」
それだけに解せない。怠惰の魔王は一度縛鎖を千切れば、ひたすらに全てを粉砕して回る破壊神だ。だと言うのに、獰猛な容貌に理性的な瞳を湛えてこちらに会話を仕掛けてくる。見上げるほどの魔王の巨体、それだけで些かのプレッシャーを感じずにはいられない。
訝し気に警戒を解かずにいると、埒が明かぬとでも思ったか、向こうから愉快気にネタ晴らしをしてきた。
「お前達には悪いが、そもそもあの決戦、我は途中で没したが……アレは演技だ。無論傷ついたのも消耗したのも嘘ではないが、死んではおらぬ。志半ばで倒れたフリをして、後はダークエリアで引き籠もって惰眠を貪って負ったわ」
悪びれもせずに飄々と言ってのけたベルフェモンに眩暈がする。それはJにとっても同じなようで、再びデジタルワールドの"J"としての態度を見せて高圧的に会話を続けていた。
「ほう、ならば貴様はこの俺を謀ったという訳か。ダークエリアの一魔王風情が図に乗ってくれる」
「そう怒るな、我が生存していればこそ、今後のお前たちの戦いが楽になるのだからな」
「怠惰らしからぬ発言だな。よもや我々に協力するとでも言いたいのか? 1000年も経過せぬ間に」
「まあそう言うな、協力してやろうというのはその通りなのだから。我の眠りを妨げるに足る存在を感知したのでな、わざわざ西の方から飛んできてやったのだぞ」
豪放に笑いながら肩をぐるりと回す。その仕草はまるで快活なおっさんの様で違和感が拭えない。ベルフェモンとはこんな威厳のない存在だっただろうか。それはガンクゥモンの専売特許では? そしてそもそも、ベルフェモンは俺のことを何者と認識しているのだろうか。Jの協力者か? 少なくともデュランダモンの転生体だとは見抜けまいし……。とは言え今はそれ以上に気になる言葉があった。問いかければ、奴は二本の角の間にまるで電球を浮かべたかのようなモーションで。
「西の方だって? アメリカ大陸ってやつだったりするか?」
「おお、そう呼ばれておるのか? 我的には自分の領域で眠っておったつもりなのだが、どうもいつの間にかこの世界の暗域と繋がっておったようでな。なんか襲われたので寝ぼけ眼でボコってやったのだ。そうしたら、どうも東からもその謎の敵手と似た気配を感じるではないか」
だから、来てやったのだと言う。そしてその道中、俺たちという見知った気配を感知したから寄り道しただけだそうだ。
「どうせ、まだ世界の安寧とやらを目指して無謀に戦っておるのだろう。さいくらのす? とかいう異界から来たらしいそいつと同種の気配だ。異界から来たものは討伐すべきではないか?」
「っ、そうか。貴様も相対したのか――異界の邪神と」
もっと言えば、それを既に倒していると。恐らく、ベルフェモンの言葉にあった暗域――ダークエリアと繋がってしまった場所こそ、ツァトゥグアが眠るクン・ヤンだったのだろう。Legend-Armsを携えた俺が打倒できるのだ、七大魔王最強格のベルフェモンでも旧支配者を討伐はできるだろうが……突如縄張りを侵したデジタル・モンスターに攻撃したら返り討ちにされたと思しきツァトゥグア氏には憐憫を禁じ得ない。
「成程な、そりゃありがたく頼もしい。それで? もう一体の同じ気配とやらはどこにあるんだ?」
「おい待てツェーン、こちらに迷い出た以上、コイツも一応送還の対象で――」
「――だとしても、話を聞いてからでも遅くはないだろ? ともすれば、火の旧支配者を共に滅ぼしてからでも悪くない」
「うむ。そうさな、この街という事はわかるのだが……どうもまだ居らんようだ。薄皮隔てた一枚先、位相の半分程ズレたところ……そういう所に潜んでいるようだ。どうだ、心当たりの一つもないのか?」
そりゃクトゥグア出現の最も濃厚な説である日食は明日だからな。早めに来てくれたというのは勿論当日その場で第3勢力として出現して混乱させてくるよりありがたいが、しかしこの巨体、今日一日の間どうしたものか。
「貴様の出番は明日だ。もっとベストなタイミングで来られんのか、この木偶の坊め」
こめかみに手をやり、頭痛を抑えるようなモーションのJ。対しベルフェモンはまたしても悪びれもせず愉快そうに笑った。
「ん? おぉそれはすまん。では敵手が来たら起こすがよい。"火"の旧支配者――であったな? その討伐、貴様らに手を貸して……や…ろぅ……zzz」
闇に包まれて、深夜の月明りからも隠れるベルフェモンの巨体。見る間に凝縮され容積を縮めていく闇は、最終的にちょっと大きめのぬいぐるみサイズになって道路の中心にちょこんと収まった。
俺はJと顔を見合わせて、どちらともなく頭痛を抑えるように溜息を吐いた。
「仕方ない、明日、私が持って行こう」
「お前正気かマジで言ってんのか?」
「マジもマジ。大マジだとも。幸い私は見た目が良い。ちょっとぬいぐるみを学校に持ち込んだぐらいじゃそう問題にもならないだろう」
「いやそのぬいぐるみがすやすや配信並みに寝息立ててるのはマズいと思うんですがそれは」
「構うまい、美少女がぬいぐるみ持って学校に来たシチュに酔って、誰も気にしないさ。かく言う君も観たいんじゃないか? レイラ・ロウが可愛いもの抱えて机に向かう姿」
そりゃあ観たいか観たくないかで言えば観たいに決まっている。だがまあ、彼女がそれでいいと言うなら仕方ない。Jの判断に意を唱えたところで、なんだかんだコイツの行動が既に固まっているのは前からよく知っていることだし。
「オーケー、降参だ。欲を言えば、ベルフェモンスリープモードなんかじゃなくピンクで丸くて可愛いぬいがよかったがね」
●
はい、という訳で。
翌日の教室で例の宗宮女史などを筆頭にすったもんだありつつも、定光とアルゴモンにベルフェモンの存在および、ツァトゥグア(?)が人知れず討伐されていたことを伝え、最後の旧支配者を迎え撃つべく作戦会議に臨んだ俺たちは。
「物的被害はイグドラシルの権能でどうとでも改変できるとは言え人的被害はどうもね。だが、だからと言って野営など味気ないだろう?」
なんかウェンディモンとの邂逅時に我が家の目の前がいつの間にか修復されていた理由がさも当然のことであるかのように明かされたが、ともかく。
そんな台詞と共にJが一堂を案内したのは煌びやかな豪邸だった。敷地内に入るまで、外からはうち捨てられた廃墟にしか見えていなかったのだが……どうやらJは蛙噛市に越してきてから、ここに拠点を構えていたようだ。両開きの扉が主を迎えるかのように動き、正にフィクションもかくやといった風情のエントランスが出迎える。
「些かズルは駆使したが、金銭には困らないしね。名実ともに私の城だ。外からは変化が見えないが中はこの通り。人的被害はどうにもならないが、物的被害は私にかかればちょちょいのちょいだ。戦闘中にいくら壊しても構わないし、好きに寛いでくれたまえ」
「イ、イグドラえもん」
「どうしたんだいツェン太くん」
俺が驚いている間にも、応接間の扉を開けたJがソファに座って隣の座面をぽんぽん叩いている。来いと?
「まぁ、昨夜Jとも話したんだが」
前置きして続ける。言われた通り隣に座ったが、足元に適当におかれたベルフェモぬいぐるみが哀切を誘う。
「明日9時26分。今からおよそ16時間後、太陽が欠け始める」
次いで定光が座るのを見届けながら、幾度か確認した内容を携帯で再度確認しつつ告げる。高校生にもなって日食どうこうで騒ぐことはなかったが、それが完全に盲点になっていたことは反省点だ。
「それから1時間44分の後、皆既日食に至る。日食のどの段階でクトゥグアが飛来するかは分からないが、ここが最も濃厚だと思う」
「ま、そーだわな。太陽の化身が下界に降りるなら、太陽が空から完全に消えにゃならんだろ」
或いは時間制限付きのミッションか。皆既に近付くにつれ、旧支配者の力が増していく可能性もある。どちらにしろ、早め早めの討伐が望ましい。
「ここは回線も引いていないから、煩わしい電話も来ない――という訳で、明日はサボりだ。ふふっ、少しだけワクワクするね?」
「サボって秘密基地に集まってすることが格ゲーとかだったらまだ楽しいんだけどな」
「デジタル・モンスター探しだからなぁ。アレだ、一応そこのベルフェモンも日食が始まる前に起こして、右も左も分からん旧支配者サンをおびき寄せるんだろ?」
定光の作戦確認に、Jが首肯する。勿論こちらからも小説『デジタル・モンスター』でブルーデジゾイドの聖騎士が口にした「今の波動は……」という台詞の如く感知は怠らず、その上でこの屋敷の敷地内に狩り立てるつもりだが、バリバリ力の波動を垂れ流す存在がいればそれだけその方向に注意も剥くだろう。
「あぁ。その時は頼むよ?」
定光の足元、彼の陰に向ける言葉。返事は勿論、彼のパートナーたるアルゴモンの変異したアルゴモン・ヒュプノスから。
「お任せあれ。夢を司るこの権能、魔王の眠りと言えど妨げて御覧に入れましょう」
ぬらりとパートナーの影より立ち登ったヒトガタは、瞬く間に輪郭を獲得して蠢く"眼"の鎧を纏う。究極体となれば精強な巨人と化す彼だが、完全体の今は細身の体躯の周りでしなやかに蔦が蠢いていた。
「さて、物的被害を気にしないという事であれば、私も再び本気を出した方が宜しいかな?」
「それは君の判断に任せるよ、太古の善神。小回りの利くボディの方が有利な局面もあるだろうし、私たちのような若輩が差配するよりもいいだろう」
「御意に」
再びゆらめいて世界に溶けるアルゴモン・ヒュプノス。静けさを取り戻したJ邸の応接間に、残された三人――じゃなかった、三人と一体の魔王型の息遣いが響く。空気を切り替えるように叩かれたJの掌が、手袋同士のぶつかるぽふんとした音を立てた。
「では、各次解散っ! どうせ今日は異界存在も現れないだろう、夕食はコンビニでも外食でもそこのキッチンで自炊でもよし、だ」
そう言って立ち上がったJは「よしツェーン、今日もプリンを買いに行くぞ」と俺の手をひっ掴んだ。
「悪いな定光、我がパートナーは再会に浮かれてるんだ。適当にやっててくれ」
「あいよ。前世の因縁すっきり削ぎ落としていい感じになったんだ、パートナー云々はよく分からんけど、まぁ満足するまで好きにやりなよ」
●
翌日。どんちゃん騒いでそれはそれとして時刻は午前9時20分。最初はドミニオンとかしてたのに夜半にJがゲーム機を出したので本当に酷かった……のは置いといて、俺たちは屋敷の庭に出てベルフェモンスリープモードを数メートル離れて取り囲んでいた。
「では、行くぞ――目覚めよ怠惰の魔王、最早1000年も眠る必要はあるまい!」
アルゴモン・ヒュプノスが権能を行使する。物理現象としては一切視覚でとらえられないが、きっとあの丸っこい山羊頭の中では何かしらの神秘的な幻想が為されているのだろう。それが証拠に、眠りから目覚めたベルフェモンの威が膨れ上がる。際限なく増殖する存在感は目の当たりにするだけで間違いなくこれまで斬ってきた旧支配者に匹敵するレベル。
「ん、おぉ、もう時間か。36時間程度では寝た気もせんな」
「十分だろう、寝坊助め。これより邪神討伐と洒落込むぞ、先日の言葉を翻すつもりはないな?」
――『もっとも、その場合は先に狩り残しの貴様をデリートするだけだが』。
脅しつけるようにグレイソードの切っ先を向けながら告げるJにベルフェモンが鷹揚に快諾して、そうこうしている間にも太陽を闇が食らい出す。
「始まったか――ッ!?」
誰にともなく口にした言葉。それと同時に、これまでの敵手とは一線を画す狂気が世界を侵した。そして理解する。この邪神が、この邪神だけが、地球で封印されていたのではなく、外惑星に追い返されていた――外惑星で力を蓄えていたのだという事実を。
「おいおい、これで"片鱗"なのかよ」
明らかに異質なもの。蛙噛市全域にそれが出没していることが否応なく全身で理解できる。
天を仰げば、未だ太陽は照り輝いているのに、街中が薄暗闇に包まれている。そこには、燃え盛る炎の塊が半透明な濃度でもって空に鎮座していた。
「アレは……何モンだ……?」
ナニモンだ!! などというギャグが帰ってくることもない。チラリと横眼でJを盗み見るが、彼女もまた冷や汗を垂らして空を見上げていた。
「クトゥグア……まさか、往時のままの姿なのか……?」
その隣で呟かれる、怯懦を滲ませたアルゴモン・ヒュプノスの台詞。嘗ての姿そのまま。という事は、Jの計画に嵌まっていないという事になる。彼女の切羽詰まった表情はその為か。
「まずは小手調べと行こうではないか、受けてみよ、貴様の同族を屠った一撃だ――!」
獣の顎を深く歪ませて笑い、ベルフェモンが炎を纏った凍てつく鎖を天高くよりクトゥグアに向け射出した。ベルフェモン種が自在に操る氷の火柱ランプランツス。相反する属性はさながらオメガモンの秘奥・ダブルトレントのように氷炎どちらの属性にもダメージを通し得ると思われたが、火の神性に微塵もダメージを与えられず素通りした。威圧しただけで成長期のデジタル・モンスターが死滅する魔王型の一撃だ。それを受けて平然としていることも理解に苦しむが、黙したまま何のアクションも起こさないことも不気味に過ぎる。
「実体を持っていない……? 火という特性から考えればそれもあり得るが、しかしランプランツスは属性など貫通するだろう」
続くJの独白。共に戦った張本人がそう言うのだ、間違いはあるまい。となれば、未だ動きも見せないことも鑑みて、奴の位相がまだズレているという説が濃厚だ。俺たちからは手出しできないし、まだ奴からもこちらに干渉することができないのだろう。先に推測した通り、日食が完全に完成するか、少なくとも一定以上は超えない限り相互に干渉が不能なのだろう。
「でも厄介だな。こんな空気、一般人には耐えられないぜ……俺たちは一度、あの海で予習済みだけどさ」
「ああ、私でも記憶操作なんかは大々的にできる訳じゃない。下手に攻撃して気を惹けば戦い辛くもなるし、目立ちすぎることもできない……本当に厄介な場所に出現してくれたものだ」
「それはこちらで何とかできますとも。市民の夢の中に少々邪魔することになるでしょうが」
「なるほど。イグドラシルの権能と合わせ、つくづく便利な陣営になったもんだ」
定光の言う通り、この異質なプレッシャーは尋常の人間では耐えられるものではない。話している間にも少しずつ日食は進み、天が落ちてくるような威圧感は増してきている。この惑星に実態を持って降臨するまで手出しが出来ないのは非常にもどかしい。
そして、懸念事項がもう一つ。
「おいベルフェモン、お前が寝ぼけてボコしたって言う異界の邪神は、デジタル・モンスターだったか?」
アスタモン→ハスタモン戦でJが講釈した「デジタル・モンスター化することで我々でもハスターを傷付けることができる」という言葉。もしもクトゥグアがクトゥグアのまま降りてきたとすれば、俺たちに太刀打ちする術はあるのか。
オクラホマ州の地下世界はJが網を張ったこの蛙噛市とは程遠い土地だ。そこで目を覚ましたツァトゥグアが、デジタル・モンスター化することなく眠りに就くベルフェモンを襲い、返り討ちに遭ったのなら、まだ――。
「トノサマゲコモンだ。造作もなく引き裂いてくれたわ」
――まだ、勝ち筋はあるかと思ったが。他ならぬ本人から希望が断たれてしまう。
「そうか……変わってくれりゃいいんだけどな」
「だが、やるしかあるまい。或いは私なら攻撃が通るかもしれん」
頼みの綱は定光とアルゴモン・ヒュプノスか。嘗てクトゥグアを追い返した旧神ならば、奴を再び退かせられるかもしれない。だが、ヒュプノスは旧神3柱で漸くだったとも言っていた。攻め手は任せるにしても、やはり俺達も何らかの役割は果たさねばなるまい。
太陽を喰らう毎にその力を増すかのように、空中の炎塊は存在感を増していく。空を仰がずとも、市民の多くは気絶なり気が狂いそうな感覚なりに陥っていることだろう。大気は時期も相まって冷え込んでいる筈なのに、じりじりと焼けつくような焦燥が胸を焦がす。そしていざ皆既日食が完成した時、遂に実際の炎と同じ濃度を得た炎塊が脈動した。俄かに膨れ上がり拡大する邪炎は、放っておけば市内の全てを焼き払うまで止まらないだろうと確信できる。
「止まって貰おうか――!」
青白い指先が小気味よく音を鳴らすと、炎塊を取り囲むように、どこからか顕れた茨で檻が編まれる。やはり旧神の力はアルゴモンのものとなっても有効なのか、燃え盛る異界の炎も意に介さない。脈動するクトゥグアを抑え込もうと重厚に茨を重ねていくが、縛られることを厭うかの様に、地上に降りてきた恒星が一際明るく燃え上がった。
「不味い、眼を焼かれるぞ――!」
Jの警告。咄嗟に片腕で眼を庇い、それでも感じる光が収まって直ぐに状況を確認する――いない。紛うことなく歴代最強クラスの敵手が見当たらない。だが総毛だつような威圧感は消えておらず、その正体は忽然と目の前に現れた。
「TA……t……Gu……繧ウ繝ュ窶……!」
茨の繰り主にして仇敵たるアルゴモン・ヒュプノスではなく、ベルフェモンに突進していたクトゥグア。走り抜ける姿を目で捉えたが、それは今までの不定形の炎塊などではなかった。怨恨を滲ませた声色で叫びながら、ベルフェモンへと突撃する。
「我に染み付いた奴の気配に喰いついたか――?」
その場から動かず、天より炎の火柱を落として迎撃するベルフェモン。だが怠惰の攻撃では遅すぎる、先程までとは真逆の小柄な体躯に恒星のエネルギーを凝縮したクトゥグアはスピーディな跳躍でそれを回避した。
金色の鬣に、緋色の体色と灼熱の鎧。背中のリアクターには恒星の輝き。されどその輝きは清廉な浄化の炎などでは断じてない。
その姿を、俺は勿論知っている。オリンポス十二神、ギリシアの神を象った十二体の究極体デジタル・モンスターが一体――アポロモン。ひょっとすれば、ここにギリシアの神格ヒュプノスが居る以上、彼を呼び水としてこの姿での顕現は当然だったかもしれない。名付けるならば、アポロモン・クスガか。
「よし、これならまだ何とかなる――行くぜデュランダモン、一先ずこれで最後の旧支配者だ」
だがデジタル・モンスター化してくれたのは僥倖だ。遂に再びの窮極に至った黄金の直剣を形成する。担い手と剣が同一存在であるというのは奇妙な感じだが、これこそ最も十全に力を振るえる形だろう。
「ああ、君と私ならば絶対に負けない」
傍らには愛しいパートナー。聖槍グラムと聖盾イージスを構え、インバネスの裾から四本の帯刀をくねらせている。
同時に疾駆、四方八方からベルフェモンに攻撃を仕掛けるアポロモン・クスガに斬りかかる。だが背後から襲い来る斬撃と刺突には目もくれないまま奴の手甲から連続して放たれる小さな熱球に、回避を余儀なくされた。
「アロー・オブ・アポロか――厄介な」
イージスの向こうで歯噛みするJ。アポロモン・クスガはベルフェモンの巨体から見れば余りにも小柄だが、それ故か、高速で動く敵に魔王は未だ攻撃を加えられずにいた。並みの究極体の攻撃とは格が違うだろう熱拳を数発以上喰らっているベルフェモンもよく持ち堪えている。
「俺たちもいるってこと、忘れないで欲しいね」
「然り――全員、飛べ!」
竜帝の翼を伴ったJに抱えられて空を飛ぶ。足元をアルゴモン・ヒュプノスから同心円状に広がる茨のフィールドが走り抜けていった。同じく空に飛び上がったベルフェモンに向けて手甲の照準を定めたクスガはワームフェイズの奔流に飲まれ、処理落ちするかの様に一時行動を停止させた。
「豁サ窶ヲ窶ヲ……縺ュ窶ヲ…TsA…th……OgG……Ua……!」
だがそれでも、その口から溢れ出る呪詛は止まらない。そしてその中には、辛うじて俺たちの知る単語も混じっている。しわがれて擦り切れた怨嗟の中にある"Tsathoggua"――ツァトゥグアの音列。それが向けられているのはベルフェモンだ。
なるほど確かに、ハスターとクルウルウは対立していた。四代元素的に考えて、特性が湿にして熱である風の神性と、湿にして冷である水の神性が対立していたという事実。で、あるならば乾にして熱たる火と、乾にして冷たる土は対立していてもおかしくはない。だが、やはり地の旧支配者の気配を残すというだけで、怨敵であろう旧神を完全無視するのは理解できない。或いはそれが放射能とやらの影響で、奴自身も狂っているのかもしれないが……。
「考えても仕方ない、とにかく今がチャンスだ」
「ああ――ファイナル・エリシオン!」
「我もか? ……まあ仕方ない、とくと見よ!」
Jの構える聖盾イージスに、俺も手を添える。神聖なる波動が、明確な形を持った円形のビームとして放たれる。全ての魔を薙ぎ払う、理想郷の名を冠した一撃だ。
俺たちの攻撃と同時に、ダークエリアの獄炎を凝縮した闇の賜物ギフト・オブ・ダークネスもまた発生していた。ベルフェモンの両の魔爪に蓄えられた暗域の力が、急降下する魔王の巨体と共に叩きつけられた。
「やれっ、十三!」
「任せろ、Jッ――」
幾ら強力な神性がデジタル・モンスター化したところで、動きを止められた上でこの波状攻撃を避けられる筈もない。具体的に何かを言わなくても、Jが聖盾を俺の足場にしてくれる。ベルフェモンに続く様にして、Legend-Armsの一撃を叩き込んだ。
「トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」
●
即興ながら見事な連携だった。並みの究極体を超えるデジタル・モンスター3体に、イグドラシルの端末。これだけ揃えば当然の結末とも言えたが、アポロモン・クスガを確かにこの手で切り裂いた。
真っ二つになった火の旧支配者は、それでもベルフェモンの方に腕を伸ばして戦意を示したまま消滅していった。敵ながら見事な執念だと感心する。
「ク、ハハ。見事だ」
ふと気づけば、近くからゆったりとした拍手が聞こえてきた。音の主はアルゴモン・ヒュプノス。
「実に見事。お前達は実に良いものを見せてくれた。耐えがたき離別に耐え、認めがたき前世を認め、忍び難き狂気を忍んだ。あぁ、実に素晴らしく美しく――」
その声色は、先刻まで頼れる仲間であった筈の彼に対し、酷い嫌悪を余儀なくさせるもの。まるで俺たちを――そう、パートナーの定光でさえ虚仮にするかのような。
眩暈がする。ウェンディモンと戦った夜、Jから世界の真実を聞かされた時のような不快感。自己の認識が、世界観が根底から崩れ去るような――。
茨の絨毯から逃れていた定光も、一歩後ずさってパートナーから距離を取る。
「――羨ましく妬ましい。それは君達ニンゲンにだけ赦される感情だ、何とも面白い」
「アルゴモン……?」
訝し気に問うた言葉は、誰のものだったか。
ゆっくりと進化を遂げ、アルゴモンは究極体に変化する。本来、完全な漆黒である筈の伽藍の"胴"に浮かび上がる、燃える三つ眼 !闇 に 彷徨いし漆黒が、あるいは闇そのものとでも言うべききききそれが、いま、目の まえに
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「悦び給え。君たちの物語は、斯くも世界を楽しませたのだ」
狂いかけた精神を、狂わせかけた本人の声で引き戻される。
分かることは唯一つ。
アルゴモン・ヒュプノスは、頼れる善神などではなかったのだ。