心臓の凍り付いた男 - ぱらみねのねどこ

Title
コンテンツに移動します
心臓の凍り付いた男

 美少女外国人転校生の来訪、というビッグイベントの導入っぽい現象の割に、特に何か起きるということもなく昨日のJは立ち去った。まあ普通に友達だしな。
 翌朝、教室で速攻で定光に昨日の話をした。まあ、自慢したい気持ちもないではない。
「――と、いうことがあってさ」
「もげろ」
 清々しいまでのファックユーが返ってきた。
「いやさ、好意は嬉しいし見た目も言動も好みだしそもそも全然知らない相手じゃないし、正直あの、その……怪 し す ぎ る」
「分からんでもない。俺も家の件でいろいろあったしな」
「正直満更じゃないのはあるんだけど、眼がさあ……」
「眼?」
「眼が怖い。一回受け入れたら絶対逃げられなさそう」
 俺も創作上で何度か形容したことがあるが、そんな感じの本気の眼だった。
「あー……そうか。頑張れ!」
 無駄なサムズアップしやがって。親指を逆さにしたハンドサインを返してやる。そうこうしていると件のJが教室に入ってきたため、話を切り上げる。定光は自分の席に帰り際「あ、そうそう」と思い出したかのように言ってきた。
「そう言えば、まあデジタル・モンスター探しに役立つか分からんけど、最近話題の噂なら知ってるぜ」


 ウェンディゴ症候群。
 北米でその実在をまことしやかにささやかれている冬の精霊ウェンディゴ。ウェンディゴは旅人の背後で気配を撒き散らし、その精神を発狂に至らしめるという。
 それだけならば、さほど害のある逸話ではない。
 げに恐ろしきは、ウェンディゴは夢の中で選ばれしものの魂に憑りついてしまうのだ。ウェンディゴに見初められたものの心臓は文字通り氷と化し、その容貌は悍ましき怪物じみたものへと変貌する。
 そして、人肉嗜好を発症する。ウェンディゴ症候群を発症したものは、最悪の場合部族から処刑されるか、完全にウェンディゴ化してしまう前に自死を選択する――。

 というものが、ウェンディゴにまつわる簡単な逸話だ。
 俺も創作者として、この程度のネタは諳んじることができるが――。

 定光が言うには、この蛙噛市においても、ウェンディゴに憑りつかれたという人物がいるのだという。
 そしてそれはこの学校の人物で、つい最近引きこもり始めたらしい。


「なるほど、なるほど」
 放課後、その話題をJに振ってみれば、奴は神妙な面持ちで頷いて見せた。
「ウェンディゴ症候群――南カナダより北アメリカでしか発症しないと言われていた風土病で、悪魔憑きの一種とも言われ、その実態は栄養失調による精神異常とも言われるそれか。デジタル・モンスターの情報とは一切関係ないが、ひょっとすればそれより面白いかもしれないね」
 放課後とはいえ、学校でJに話しかけた時点で周囲からの視線が凄いものになった。いや、まあ、特に気にならないが。ちょっと遠巻きに眺めて様相を見守っているのがまあ腹立たしい。見せ物じゃないぞ。
「ま、趣味に合ったようで何よりだ」
「ちょうど私の方でも、引きこもりになった少年の噂は聞いていてね。曰く深夜徘徊して土を食べたりしているらしい。実際に会ってみようじゃないか」
「マジかよ。しかしどうやって」
「せっかく君から持ってきてくれた最初の話題だ。私としてはこれは是が非でも長引かせたいんだよ」
 Jの中では既にその訪問は決定事項のようで、俺を先導して職員室の前まで行き「待っていたまえ」と告げ中に入ること五分。事もなげに引きこもり少年の住所の情報を得て戻ってきた。
「なに。この容貌とわずかな演技力があれば十分さ」
「なるほど、詐欺師に鞍替えしたほうがよいのでは? ツ訝」
 ツェーンは訝しんだ。
「うるさいぞ。ほらほら、エスコートしてくれたまえよ。制服デートだぞ」
「ウェンディゴ症候群疑いの引きこもり少年に会いに行くのは果たしてデートなのか」
「いいね、次のタイトルはそれでいこう。私は君の小説をいつだって楽しみにしているんだから」


 インターホンを鳴らす。
 返事はすぐには返ってこなかった。家の中で一悶着あったようで、近所迷惑と言って申し分なさそうな獣のような怒声が響いてから、母親と思しき女性が顔をのぞかせた。
「……和弘の学校の人かしら」
 息を切らせて問うてくる様子を見るに、随分と息子の扱いに難渋しているらしい。俺たちのことも、歓迎しているとは言えないようだ。
「はい。お初にお目にかかります。先日蛙噛市にやって参りました、レイラ・ロウと申します。こちらは同級生の有羽十三。和弘君の話を聞き、心配になってお訪ねしました。何も知らない転校生なので、何かお話を伺えるかもしれません。失礼ですが、部屋の前まで上がらせていただいても?」
「……どうぞ。まともに会話も成立しないけど、気を付けてね。深夜に出歩いてるみたいだし」
 些かの逡巡の後に扉が開かれる。夕刻ながら家の中は電気もついておらず、その奥はアバドンの胃袋のような深淵が広がっている。
「失礼します」
「……部屋は二階の一番奥よ」
「ありがとうございます。さあ行こう」
 とうの経った木造建築なのだろう、階段に足を乗せる度に不気味な軋みが上がる。十数段の階段を登ると、二階は採光部も新聞紙や何やらで塞がれており、なお一層の暗闇が広がっていた。
 最奥の扉を四度ノックする。返事はない。
「和弘君、いるんだろう、話が聞きたい」
 返事はない。ただ、ガタンと勢いよく立ち上がったような音が聞こえた。
「……。……」
 扉ににじり寄ってくる気配がある。荒い息遣いが聞こえる。歯と歯の隙間を気流が通り抜けるような高い音。気配の移動は扉の手前でとどまった。おそらくは扉か、その付近の壁を背にしている。
 Jを自分の後ろに下がらせる。
「話したくないのか、話せないのか。どちらでも構わない」
 穏やかなJの声音が、気味の悪い静寂をより映えさせる。
「イタカ、イタクァ、イトハカ、Ithaqua、ウェンディゴ、風に乗りて歩むもの、歩む死――あるいはハスター。ハストゥール、Hastur」
 扉の向こうで、気配が一際驚いたようだ。Jは何を言っている?
「どれでもいい。心当たりがあれば一度、なければ二度扉を叩きたまえ。二度叩かれれば私たちはすぐに帰ろう」
 今度は返事があった。ノックは一回だ。


「ふむ」
 部屋に入ると、全くの暗闇だった。すえた臭気も漂っており、吐物の残り香が充満している。余りの不快感に顔をしかめた。
 Jを部屋に入れるか逡巡していると、勝手に俺を押しのけて入ってきた。
「構わないよ、君の方こそ転ばないように注意したまえ」
 既に目が慣れているのか。暗闇にもかかわらず、Jは一切の淀みなく歩みを進める。
「電気は点けるなよ。食人嗜好を抑えられなくなる」
「なんだって?」
 これにもノックが一回。音の元を探ってみれば、蹲り頭を抱えて和弘少年と思しき物体がそこにいた。
「私たちの姿が、彼にはこの上ないご馳走にみえるってことさ」
「それは――」
 行き過ぎた異食症。鉄分・ビタミン不足が魅せる筈のウェンディゴ症候群の症状だ。だが、まさか本当に――?
「夜な夜な外に出て、何をしているのかと言えば――」
 足元の物体がビクンと震えた。罪を糾弾されるインディアンのウェンディゴ。
「墓暴きだろう。違うか」
 余りにも短く、そして当人には長すぎる時間の後に控えめに床が一回叩かれる。和弘少年にとって、それは自ら絞首台に登っているに等しい気分だろう。
 だが、Jの声色は対照的に余りにも優しい。
「安心したまえ、君を責めるつもりはない。真っ当な食事は喉を通らず、言葉が発せなくなり苦しみも伝えられず、人肉が食べたくて食べたくて仕方がない――そんな中、骨を食べるだけで我慢するなんて、到底できることじゃない」
 突如、氷の心臓の怪物が立ち上がった。ウェンディゴがJを押し倒す。
「いい」
 咄嗟のことに対応できず、しかしすぐさま和弘少年を引き離そうとする俺に、Jはそう言い放った。
「a――なニ、w、シ、ッて……ル――ッ」
「何も」
 そして俺と同じ疑問を放った縋るような声は、優しかったJその人により奈落の底へと突き放された。
「私はね、和弘少年。日本に発生したウェンディゴ症候群を一目見に来ただけなんだよ。彼に君の姿を見せるためにね。実はゴーストハンターなわけでも、正体がエクソシストだったりもしない。ただの野次馬。まあそもそも残念だが――」
 俺も闇に眼が慣れてきたから、二人がどんな表情をしているのかが分かる。和弘少年の嘗ての容貌など残っていないだろう鬼面は更にぐしゃぐしゃに歪められ、その下のJは凍り付くほどの能面だ。どちらが氷の心臓の持ち主なのか、錯覚してしまいそうな程。
 口上の途中で、Jの顔を透明な雫が濡らした。
「――ホンモノのウェンディゴ症候群は、アルコールでも熊の脂でも治らないよ」
 精霊と合一化しかけている男は崩れ落ちた。彼が泣き止むまでJがその頭を撫でている間、俺は手持無沙汰に立っているしかできなかった。
 時折こちらに向けられる和彦少年の落ち窪んだ眼窩が、どうにも印象に残った。


 その後、落ち着いた和彦少年は再び引き籠もり、俺たちは和彦少年の家を後にした。
「「で、だ」」
 会話の初動が被ってしまう。すかさず手の平を向け「どうぞ」とジェスチャーする。するとJは何やら興奮した様子で――いや、一切その表情から興奮は伝わってこないのだが――ウェンディゴについての感想を求めてきた。
「いい経験になっただろう? さすがに本物のウェンディゴ症候群はそうそう湧かないからね」
 君に見せてあげられてよかったよ――なんて、清々しく言いながら笑いかけてくるものだから、毒気を抜かれる。彼女の正常ではない部分に思いを馳せながらも、今回のことが全くの善意で為されているのだろうと伝わってしまう。
「まあ、うん……得難い経験だったよ」
「だろう! よかった。もういい時間だし、それじゃ帰ろうか」
「えっお前今日も来るつもりなの」
「ダメかい?」
「いやダメでしょ。連日男の家に入り浸るとかお前どうなの」
「むむむ」
 むむむじゃありません。
「分かったよ、今日は諦める。その代り、今度はツェーン家のセキュリティ強化のために良い鍵を見繕ってあげよう。防犯グッズ物色デートだ、いいね?」
「なんだその物騒なデートは」
 ビシイ! と俺に指を突きつけてJは立ち去った。
 一応、尾行されていないか警戒して帰宅したが、一切そんな気配はなく自宅に着けた。


 その晩。
 ウェンディゴの姿がいやに目に焼き付いていて、どうしようもなく不安感があった。いい歳こいて怪談やホラー映画を見たところで眠れなくなったりはしない。しないが――昼間の体験は、どうにも衝撃的に過ぎた。
 だから、深夜にふと目が覚めるのもおかしくはない。乾燥した喉を癒すため、水分を求めるのもまったく妥当なはずだ。
「チッ、切らしてたか……」
 冷蔵庫の中を漁れば、常備している筈のミネラルウォーターがない。倉庫の中を覗いてみても一本も残っていない。普段ならばあり得ないことだが、J来訪からの一連の騒動で忘れていたのだろう。
「完全にフラグだよな。これで外に出たら俺もウェンディゴ症候群発症したりして」
 冗談めかした独り言を言いながら、水を購入しに靴紐を結び、外に出た。
 そして目にする。
 和弘少年の姿。
「な――」
 俺の家の前を四つん這いで歩行し、その足跡は血で描かれている。その体躯は最早人間のモノとは言えないほど肥大化し、細い腰と細い足首、細い肘部とは不釣り合いなほど流々とした分厚い筋肉。腫れぼったい唇からは唾液が血液と混じり合ってどろりと零れ出る。
 唾を吐くかのような気安さで、ぷっと間抜けな音と共に吐き出されたのは、人間の、腕――。
 血に餓えた獣[wendigo]。
 瞬時に気を取り直した時には、もう遅い。唖然としていた俺の身体は、その化け物にとって紙風船よりも軽かった。
「ゴ――が、ハぁ……!?」
 瞬く間に接近され、腕の一振りで路地に投げ出された。明滅する視界。異常をきたす平衡感覚。呼吸ひとつままならない。この状況で身体を動かそうだなんて、贅沢に過ぎる。
 しかし俺の意識は、その姿を捉えて離さない。生命が脅かされる脅威から目を逸らすまいという防衛反応だけではなく、その威容から目が離せない。
 そう、見たことがあるのだ。茶褐色の体毛を。赤々と輝くその目を。
「Gあ、aア、Aaaaaa!」
 両腕を棍棒のように振り回す『クラブアーム』。その第二撃が、地に伏せる俺目掛けて振り下ろされる。
 思い出した――。
 デジタル・モンスターが一体。獣人型。成熟期。ウィルス種――。
「――ウェンディモン!」
 頭蓋を破壊せんと迫る一撃に備え、俺は思わず目を強く瞑った。


「世界は表裏一体で、Realの裏側にDigitalがある」 
 死をもたらすと覚悟した衝撃は、いつまで経っても襲ってこなかった。
 代わりに聞こえてきたのは、剛腕が金属にぶつかって響かせる鈍い衝撃音。
「Gu、ァ……?」
 俺とウェンディモンの間に立ちふさがる、黒衣の痩身。
 デジタルハザードの刻まれた白き聖盾を左手で構え、身体を半身に構えて、俺の方を見ていた。
「大丈夫かい、ツェーン」
「お、前……なにを」
 唇から漏れ出た言葉が震えていたのは、驚きからだけではないだろう。
 いくらイージスを構えているからと言って、Jの身体がデジタル・モンスター並みの強度を持っている訳ではないようだ。その証拠に、今もウェンディモンの怪力に押し負けてしまいそうで、その冷貌が苦悶に揺れている。
 それなのに、この人物は気丈にも告げるのだ。俺を見て微笑みさえ浮かべながら。
「君を――君を、護りに来た」


 宵闇の中、街灯の明かりだけが照らす中、Jは細身の体躯を躍らせた。
 真正面からでは埒が明かぬと感じたのか、ウェンディモンが横薙ぎに振り払ったもう一本の腕。それを飛び上がって回避する。上空で右腕に円錐形の聖槍を現出させ、落下の勢いを利用して非力を補い、ウェンディモンの片腕を貫いた。
「Gyaaaaaaaaaアァ――――!」
 耳を劈く悲鳴。そこに和弘少年の面影は最早ない。だがその咆哮は余りにも凶悪で、周囲の生き物一切の動きを強制的に静止させた。
 ひとしきり騒ぎ終わったウェンディモンが次に狙いを定めたのは、未だ動けないままの非力な獲物――つまり、俺だ。
「ちぃっ、厄介だな」
 その赤光の瞳がこちらを向いた途端、Jは再びイージスを構えウェンディモンの前に立ちはだかった。その動作を見て、醜悪な鬼面が口唇の亀裂を深くした。知っている。俺はこの後の行動を知っている。
「『デストロイドボイス』だ! 来るぞ――!」
「っ、まずい――ゴッド・ブレス!」
 即座に漆黒の盾を展開するJだが、何を思ったかそれを自分の後ろ――俺の目の前に配置、剣の意匠の魔楯は球形の防御シールドを展開した。効果範囲に彼女自身は、入っていない。
 おかげで俺には一切ダメージは入らなかったが、代わりに岩をも粉砕する衝撃波攻撃が、俺の前にいるJを襲った。
「Jッ!」
 衝撃波は周囲のコンクリートを引き剥がし、まるで煙幕を撒かれたかのように状況が見えない。
「――大丈夫だから。君はそこで休んでいて」
 そう告げる彼女の声に安堵するも、煙が引いてその姿を視認できるようになると、気を抜くことなどできる筈もなかった。
 一撃。たった一撃で、見るも痛ましいほどにボロボロだった。左腕を庇う様にかき抱き、"J"のトレードマークたるシルクハットは跡形もなく吹き飛ばされ、黒衣は所々が破れ白磁の肌が露出し――その全てから血がしたたり落ちている。
「そんな、こと――」
 あまりにも、無残。あまりにも、勝ち目がない。あまりにも、絶望的。
 所詮人間が獣に敵うはずがないのだ。
 だが、だが――この身体は。この俺は。
 デジタル・モンスターが本当にこの世界に出てきていることよりも、その最高位、ロイヤルナイツの武装をJが自在に扱っていることよりも。
「――できるわけないだろう!」
 Jが――レイラ・ロウが傷つけられていくのを、黙って見ていることなどできそうもなかった。
「俺も戦う」
 気付けば俺の手には、一振りの黄金の剣が握られていた。
 飾り気なく、鍔も握りも柄頭も全てが金色。まるで一塊の黄金を削り出して作ったかのような剣。
 身体の痛みは残っている。だが、不思議と戦えない程じゃないとも思う。
「Legend-Arms!? ツェーン、君は――」
 一歩踏み出し、Jの隣に並び立つ。ウェンディモンに対し感じるべき恐怖心、警戒心、そして脅威。それらはもう、一切感じられない。
「事情説明はしろよ。けど――今は」
 ウェンディモンを打倒しよう。共に。
「――うん、ありがとう」
 潤んだJの翠瞳を真横に見て、交わした視線に万感の思いが交叉する。
 その感情がなんなのか、俺にはまだわからないが。
「来いよウェンディモン。この世界から叩き返してやる」
「君と私なら、絶対に負けないよ。行こう」


「Legend-Armsは、一種のデジタル・モンスターだ」
 竜の頭部を模した柄の剣――グレイソードを振るいながら、Jは講釈を開始した。
 片腕ながら、その切っ先はウェンディモンを翻弄し、猛攻を?い潜って着実に傷を増やしていく。
「自らを武器の姿に変え、選び出した主に力を与える。天使が持てば世界を救い、悪魔が持てば世界を滅ぼす」
 黄金の剣を携え、俺も続く。
 剣の振り方など一切経験がないが、この剣が全て教えてくれる。デジタル・モンスターだというならば納得だ。
「君のそれは、きっと……ズバモンだろう」
 ズバモン。知らない名だが、どこか懐かしい郷愁のようなものを憶える。
 繰り出された丸太のような脚のキックをステップで回避、避けざまに下手から切り上げて一閃。力はそこまで籠めていない。この剣は「どんなものでも切れる」のだと、無意識の内に悟っていた。
「Aaa――GaaAaaaAA!」
 無限に増える切創に死を見出したか、ウェンディモンは咆哮をあげる。
「二度はさせない――テンセグレートシールド!」
 いつの間にかJの右手首に嵌められていたVブレスレットが、無限に再生する非実体シールドを展開する。しかし無効化すべき衝撃波は発生しなかった。
 異次元空間を創り出したか。
 時空の裂け目の向こうに、逃走するウェンディモンの背中が見える。
 確かに『デジタル・モンスター』の中でも、ウェンディモンは特殊な種族だった。成熟期――下から数えて四番目の成長段階ながら、時空を操る力を持つ。
 究極体――こちらは下から数えて七番目、進化の終着点に達した存在だが――の中でも、そんな力をもつものは数少ない。
 だが、最早手遅れだ。
「逃がすかよ! トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」
 どんなものでも切り裂くという謳い文句は、伊達ではない。閉じられた次元の狭間。それを空間を切り裂いて無理矢理に広げる。
「Jッ!」
「任せてくれ――ガルルキャノンッ!」
 次元の向こうにいるウェンディモンの無防備な背中に、冷気凝縮弾が激突した。


 ウェンディモンが消滅し、世界は元の穏やかさを取り戻した。
 とは言え、和弘少年と彼に荒らされた墓、食われた人間は元に戻らないだろうけれど。
「逆に、君に守られてしまったね……。何はともあれ。君が無事でよかった」
 血に塗れた華奢な身体が倒れ込んでくる。弛緩しきった表情で、咄嗟に支えた俺の腕に全身の体重を預けてくる。そして意趣返しのつもりか、こんなことを問うてきた。
「ふふ、ねえ、私は重くないかい?」
「……いや、軽いよ」
「説明はする。するけれど」
 そのままそっと目を閉じた。
「もう少し、このままでいさせておくれ」
 なんて穏やかな口調で眼を閉じて告げるJに逆らえず、俺はとりあえず家に上がらせて傷の治療でもするか……と、そんなことを考えていた。
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit.
コンテンツに戻る