第三話①
数日後、黒瀬の治療と十分な休息によってすっかり回復した小夜は、紋次を『組織』への抵抗活動の本拠地へ連れてきていた。
「バンダイレコンキスタハイタワーよ。『デジタルモンスター』の制作を担ったバンダイ社が落ち目の時、その覇権回復を狙って失敗したまま廃ビルになっているわ。
もう何年前のことかもわからないけど、デジモンの存在を世間に認めさせて、テイマーの人権を取り戻させようとしている私達の本拠地として、これ以上お誂え向きな場所はないんじゃないかしら」
その上、周辺には嘗て栄華を誇ったような巨大ビルや幾つもの塔が乱立しており、確かに敵の襲撃も想定しにくい場所であることは確かだ。
「そう言う訳だ。我々は基本的にここで生活している。まあ古い言い方をするならスラムみたいなものだったんだがね。最近では衰弱死やら感染症やらで我々も二人になってしまった」
周囲を見渡せば、嫌でも墓標代わりに壁に立てかけられているであろう板が目に入る。そのどれもに、名前とパートナーであったデジモンが記されていた。
「正直戦果は芳しくないものね。戦力を増強しようとしてもテイマー付きでリアライズするデジモンなんて殆どいないし、いたとしても本当に偶然で、大抵諏訪原に先を越されちゃうもの」
「そう。だからまあここにいるテイマーと言えば小夜だけだ。私だってもうテイマーじゃない。ここにいたみんながそうだがね。『組織』から逃亡した際にパートナーを削除されたか、もしくはドッグを破壊されて衰弱死したか」
「残念ながら諏訪原を倒しきれないのはこれが理由。実際ちょっと無理をすれば彼自身は撃退できるでしょうけど、それだと大元の『組織』の方が、取るに足らない勢力と考えている私たちに目を向けてしまうわ」
二人に率直に言わせれば「駒が足りない」。この一言に尽きるのが現状だ。他の地域でも世代レベルの低いデジモン同士を用いた小競り合いの噂は耳にできるが、諏訪原レベルの強力なテイマーを差し向けたという話は自分達のところだけだ。一手のミスで全ての計画が崩壊する。小夜と黒瀬が奥手になるのも無理からぬ話だたった。
「それはまた……随分と気の長い計画だな」
しかし、紋次はそうは思わなかったらしい。
「それから……言いにくいんだけど、多分曽呂君も私達と同類になってしまったわ。死んでいる、もしくは行方不目であると報道されているであろう君は、生きていないはずの存在だし、もし生きているとノコノコ出ていったら、多分殺されるか拉致されてしまうわ。今や全世界が『組織』の支配化にあるから」
「ああ、それはわかってる。マンションが倒壊してあんたから話を聞かされていた時点で想像してたよ」
屈託なく言い切る紋次に、小夜は俯いて謝罪する。
「その……本当に、ごめんなさい。巻き込んでしまって」
「気にすることじゃないだろ。助けてくれなかったら諏訪原に二度も殺されてた訳だし、それに受験勉強にも飽き飽きしてたところだ。いいさ。諏訪原に仕返しするだけじゃなく、そのバックにいる『組織』とやらに一矢報いるまで、手伝ってやろうじゃん」
「――よい協力者を得たな。小夜」
それでも頭を上げようとしなかった小夜の肩に手を置いてから、黒瀬は紋次に古びた本を差し出す。
「それで、君にはまずこれを読みこんでもらいたい」
「ええ『運命の書』と、私達――これは『組織』も含めてよ――は呼んでいるわ。これを開いた者は、その者にテイマーとしての才覚がある場合、自然とパートナーとなる可能性のあるデジモンの召還を行ってしまう。無意識の内にね。曽呂君はもうメタルグレイモンとパートナー関係になっているから、もう触れても――」
残念ながら私は無理だったよ、と苦笑して首を振る黒瀬。そんな黒瀬から古めかしくも重厚な装丁の本を受けとろうとしたその時には既に、本から紋次のメタルグレイモンが現れた時と同様の光が発せられていた。更に、それに先んじて紋次の口からは、自分でも驚くほど滑らか且つ速やかに、人間の言語ではない言葉が発音されていた。
――嘗てデジモンを従えていた偉大なるテイマーはデジモンの言葉を理解し、その威を以て多くのデジモンを支配していたと言う――。
「――――――――――!―――!」
紋次の言葉に応じて、二名と二体が見守る中に新たなデジモンがリアライズした。デジモンの出現と見るや否や、小夜はディーアークからデュークモンをリアライズさせ、デジモンを持たぬ黒瀬の盾になるように配置する。
現れたのはマメモン。その小ささの為かデルタモンの時のようにビルの倒壊こそは免れたが、『スマイリーボマー』の異名を持つこのデジモンが暴れればビルの安否は定かではない。
「問題ない。一瞬で仕留めて見せよう」
不安げに自分の顔色を窺った小夜を安心させるべくデュークモンは自信を込めて答える。
しかしどうしたものか。ビルを破壊せず、被害を出さずに対処するとなると、ファイナル=エリシオンの発動もイージスによる圧殺も不可能。その上的が小さくグラムの一撃で刺し貫くことも難しい。かと言って一撃で葬り損ねたら最後、爆風が周囲を蹂躙することだけは確かだ。
デュークモンは紋次の方へと視線を移す。どうやらメタルグレイモンの助力は期待できそうにない。紋次のD-3から何か喚いている声は聞き取れるが、肝心の紋次が正気を失っているようだ。ともかく、彼のことは後で対処するとして、今は眼前のマメモンの対処せねばなるまい。
と、そこまで瞬時に思考して、やむなくグラムで横薙ぎに叩きつけることにしたデュークモンがその腕を動かした刹那、紋次の叫び声が横槍を入れてくる。
「――!――――!」
デュークモンにはその言葉の意味が理解できた。何故なら、その言語は彼等デジタルモンスターが用いる言語であったから。そしてその言葉が意味する内容は「横薙ぎ。上方へ回避しろ」と。何故紋次がその言語を用いることができるのかも問題だが、それよりも今の言葉が明らかにマメモンへのテイマーとしてのコマンドであったことの方が問題だ。マメモンと紋次は明らかに自分達を敵と認識している。
虚を突かれたデュークモンは槍を引っ込め、歴戦の究極体としての勘に従いイージスを前に翳した。対照的にマメモンは紋次の指示に従い自分の背面で小爆発を起こし方向転換、ダメージを省みずイージスに突進ししがみつき、自爆覚悟で爆弾を爆発させようとした。
「くっ――やらせるか!」
デュークモンはとっさの判断でイージスにグラムを叩きつけたが、マメモンは腕の一本を押しつぶされながらも圧死を逃れていた。
「これ以上はまずいわね。カードスラッシュ!――『ダウンローダー』!」
相手を侮っては危険と判断した小夜が切り札を発動させる。白銀の聖騎士が深紅の騎士へと姿を変え、必殺の一撃の下にマメモンを光で包み込んだ。
「悪く思うな――『クォ・ヴァディス』」
データの粒子となって解けていくマメモンが、デュークモンの構成データとして編み込まれていく。
同時に紋次も正気を取り戻したようで、肩で息をしながらも焦点の定まった目で周囲を見渡していた。小夜は紋次の息が落ち着いたところで周囲の気配を確認し、諏訪原の襲撃に備えて――尤も、廃ビルの乱立地帯とはいえ彼が立場上大規模な戦闘は起こせない以上、諏訪原の襲撃はあり得ないと言うのが黒瀬の見解ではあるが――進化の解けたデュークモンを待機させたまま紋次に詰め寄る。
「曽呂君?どういうことか――は自分でも説明できないでしょうし、この際問い詰めないでおくわ。それで、何があったか覚えている?」
「あ、ああ――俺がマメモンに『我に従い、こちらに敵意を向ける者を排除せよ』って指示を出して、それで――なんだか、俺じゃない誰かが俺の口からマメモンに指示を出してる感じだ――」
紋次の言葉に黒瀬が口を挟む。
「――なあ二人とも、原因の究明は――恐らく運命の書に曽呂君が触れたことが直接の原因だろうが――ともかく隠れ家を変更するべきではないかい?デジモンのリアライズ反応があったんだ、我々の居場所は『組織』、いや諏訪原にバレていると考えるべきだろう」
黒瀬の予感は的中する。革靴の音を響かせて、『組織』のエージェントが姿を現した。
「仰る通りだ。さっさと場所を移した方がよかったな。お陰で本拠地に突入することができた。リアライズした完全体を処分に来てみれば、まさか大物が釣れていたとは。しかもダウンローダーも消費済みだ」
先日とはうって変わってきっちりとしたスーツに銀の眼鏡が自己主張する長髪。まぎれもなく諏訪原であり、腰にはドッグが二つ下げられていた。
「あら、大物は貴方のパートナーでしょう?こんなところでリアライズさせたら、貴方自身も無事じゃ済まないわよ?」
負けじと言い返す小夜の言葉にも諏訪原は動じない。寧ろ不適な薄笑いで返し、オオクワモンとワルもんざえモンをリアライズさせる。
「お前達には一度見せたはずだぞ、私のムゲンドラモンがジョグレス体であると」
「まさかその二体で戦うつもり?いくら非戦闘員がいるからって、それで私のデュークモンが引けを取るとでも――」
「――メタモルモンの一件以来、自由にダウンローダーを発動してよいとの許可が出ていてな。『ダウンローダー』多重発動!」
諏訪原の横に立つ二体がそれぞれ、メタモルモンとの初戦で見せた姿へと進化していく。驚く小夜を後目に諏訪原は彼女に感謝の言葉を述べて挑発する。
「それもこれも、お前達のお陰だ。有り難うよ」
しかし、紋次も既にメタルグレイモンを進化させていた。黒い瞳は諏訪原へのリベンジマッチの機会に燃えている。
「俺を忘れてもらっちゃ困るな。これで条件はイーブンのはずだぜ」
四体の究極体がビルの中で睨み合う。先に動いたのは、ダウンローダーの時間制限が即ち敗北を意味する諏訪
原の方。
「ヘラクルカブテリモン!デュークモンを集中的に狙え!今日はダウンローダーはもう使われない!メタルエテモンはブラックウォーグレイモンを押さえ込み適宜援護!」
ダウンローダーの使用はデジモンの身体に大きく負荷を与える。それもそのはず、本来自身が持つ以上の容量を無理矢理取り込んでいるのから、連続使用など以ての外。それが切り札たる所以であり、ダウンローダーの欠点でもある。今回、マメモンとの戦いでデュークモンがクリムゾンモードに進化したのを諏訪腹は確認している。
「ブラックウォーグレイモン!その腕を振り解いてデュークモンの援護に回れ!」
「ぬ、うっ――紋次、こいつ、ふざけたナリして相当強いぞ」
メタルエテモンは胸の「最強」の文字からは考えられないスピードとパワーでもってブラックウォーグレイモンの四肢を封じている。互いに固有の能力を発動するわけにはいかない状況、肉弾戦が主体となるこの場において、ドラモンキラーをものともしないメタルエテモンの肉体は無類の強さを誇った。
「ッ!こうも易々と私の槍を――!」
「デュークモン!横からバナナスリップ!警戒を!」
ヘラクルカブテリモンもまた、その腕の多さでデュークモンを圧倒していた。腕一本では抑え切れないグラムを二対の腕で押さえ込み、盾による殴打は堅い外骨格で阻んでいる。埒が開かぬとグラムの先端にエネルギーを溜めて『ロイヤルセーバー』を放ってヘラクカブテリモンの急所を突こうとするも、それは横から飛んでくるバナナの皮の形をしたクラッキングプログラムに阻害される。
しかしデジモン同士の戦闘は諏訪原に軍配が上がっていたが、人間同士は黒瀬――彼もまた、嘗て組織で諏訪原と同様訓練を受けた人間である――が諏訪原と対峙しており、互いに身動きが取れずにいた。
「はは……相変わらず隙のないことで、黒瀬さん」
「そういう君の方こそ、私に手出しさせないなんて随分と腕を上げたじゃないか。それはそうと、君はメタモルモンの一件で我々に借りがあるんじゃないのかね?」
「昨日の友は今日の敵、ということでしてね。私としては何としても運命の書を持ち帰り、その上で敵対勢力も潰しておきたい。まあ後半はついでで構わないのですがね」
諏訪原と黒瀬は『組織』時代の旧知の仲であった。黒瀬はゆっくりと諏訪原に撤退するように語りかける。彼の目的からして、ここで小夜と紋次を失う訳にはいかないのだ。
「折角だ、昔話でもしようじゃないか」
「時間切れでも狙っているんですかね。まあいいでしょう。デジモン達の決着が付くのも時間の問題でしょうし、ダウンローダーの時間切れとどちらが早いか賭けてみましょうか」
「乗ってきてくれて嬉しいよ。そうだな……それじゃあ、私のパートナーの話でもしようじゃないか」
「ああ、そういえば貴方のパートナーは、私のムゲンドラモンがロードしたんでしたね」
諏訪原の言葉に紋次と小夜は驚愕したようだが、パートナーへの指示出しに精一杯で口を挟む余裕がない。黒瀬はパートナーの仇に怒りをぶつけることもなくゆったりと話し続ける。
「いやあ、懐かしいね。当時はまだ私も現役テイマーだったからね。随分な無茶もしたものだ」
「ははは、偉大な先人テイマーにして最高の研究者を失うかと思って冷や汗を欠かされた時もありましたな――まあ、今はもう失ったも同然ですが」
ここまで言って、諏訪原は『組織』の第二の目的を告げる。
「そうそう、『組織』――いや、部外者もいないことだ、まだるっこしいカモフラージュはやめにしましょう――『教会』の意向としては、貴方の帰還を引き換えに、そこな脱走者・神楽小夜、そして新参者・曽呂紋次を受け入れるとのことですよ。どうです?戻ってきませんか」
先程、小夜と紋次の殲滅は「ついで」と言ってのけた理由がこれだ。ある意味、彼の所属する『組織』――否、天使型デジモンが上層の大半を占める『教会』の視点に立てば、この選択肢は『運命の書』の奪還、大きな敵対勢力の消滅に加えて、戦力の増強にも繋がる。
「おい、黒瀬さん、あんた――いや、そもそも『教会』ってのは――」
「紋次!こっちに集中してくれ!」
細やかな疑問はブラックウォーグレイモンの必死の叫びにかき消される。既に装甲は破壊されており、ボディの数か所に焦げ跡があるだけのメタルエテモンと比べて、戦力差は圧倒的だった。デュークモンもダウンローダー使用直後の戦闘という事もあり、ヘラクルカブテリモンのハイメガブラスターを防ぎきれなかった直撃の跡が見受けられる。どうやら、ダウンローダーの時間切れはまだ訪れないようだ。
黒瀬はその劣勢を見て、苦渋の表情を浮かべながら、降伏を表明した。その瞳には、二人の若者に、嘗て自身がパートナーを失った時と同じ思いをさせまいとする意志が顕われていた。
「投降しよう。私も『教会』に戻る。だから、攻撃をやめてやってくれ。――いいね、二人とも?」
黒瀬の有無を言わさぬ声に、二人はその場に立ち尽くした。宣言通り諏訪原の攻撃は止み、二人ともパートナーの喪失は避けられた。
「ぐっ――すみません、俺の、所為で……」
自分がリアライズさせたマメモンの所為で本拠地を特定されたという負い目からか、紋次はD-3を壊れんばかりに強く握っていた。穏やかな笑みを浮かべた黒瀬はこう諭す。
「何、私の方も注意が足りなかった。まだまだ反撃の機会はあるさ。それよりも、そのD-3は君とメタルグレイモンを繋ぐ大切なものだ。もっと大事にしなさい」
悲しい経験を含んでいたであろうその言葉に押し黙る紋次。しかし、小夜はそれでも食って掛かって行った。パートナーたるデュークモンも、忠義を果たさんとこの場で散るつもりであった以上、余計な口出しは無用と言わんばかりの闘志を見せている。
「でも!このままじゃあ、何も変わらないじゃない!」
「小夜。潜伏場所が『教会』の外から内部に代わったに過ぎないよ。また、機会を見計らって行動を起こせばいい。――なあ諏訪原、パートナーを君に殺された私には、そんな『幸運』が舞い降りても不思議じゃないだろう?」
思わせぶりな言葉。諏訪原は頭を数度掻くと答えた。
「そうですな。偶然監視役と曽呂紋次の教育係を私が買って出て、偶々この三人が集まる機会が何度かあって、珍しく警備が手薄な日がいつか生じるかもしれない――そんな『幸運』でいいなら、祈らせて貰いましょうかね」