第三話②
『教会』支部へと連れていかれた三人は別々の独房に閉じ込められていた。既に黒瀬が投降してほぼ一日が過ぎようとしていたが、「手続等済むまでそこで大人しくしているんだな」と諏訪原に言われた紋次はせめてもの意趣返しに役立てようと見張り番二人の会話を一句たりとも聞き逃すまいと耳を欹てていた。
「それにしても、こいつもウィルス種のデジモンがパートナーなのか」
取り上げられたD-3を検分したのであろう、腰からドックを下げた男が同僚に向けて話しかける。
「属性はテイマーの人柄を反映する、と言うが、こいつはどう見ても普通の人間だよなあ」
まじまじと覗き込んだ男の腕を、最初の一人が焦って引っ張る。そのまま小声――と言っても、周りに雑音もないため紋次に丸聞こえであったが――で捲くし立てる。
「おい馬鹿!こんなナリでもウィルス種のテイマーなんだぞ!いつ暴れ出すか分かったもんじゃない!諏訪原サンを見てみろ!あれが俺達とウィルステイマーのギリギリ歩み寄れる限界なん――」
「――おい」
似たような会話を何度も繰り返していた二人に、紋次は耐えかねて声をかける。呼びかけられた二人は大仰に体をびくつかせた後、格好の付かない格好付けた低い声で答えた。
「な、何だ。質問は許されていないぞ」
「うるせえ、さっきから聞いてりゃ言いたい放大好き勝手言いやがって。デジモンの属性が人柄で決まる?ウィルスが一概に悪人のパートナーだ?諏訪原が実は悪逆非道で自分達の方が譲歩に譲歩を重ねて歩み寄ってやってるだ?舐めてんのかお前ら。小夜や諏訪原があれだけ言う『組織』のテイマーがどんなもんかと思えばこの程度かよ?おい聞いてんのか何とか言ってみろよ」
味気ない食事しか与えられていないこともあり、気の立っていた紋次は思いつく限りに捲くし立てた。途中から煽るような口調になっていたことが功を奏したのか、自尊心の高い二人の見張り番を怯えさせるのには役立ったようだ。
「わっ、我々の教義ではっ、ウィルス種はっ、世界にっ、害を為す存在だと、されている!」
「そ、そうだッ!テイマーのいないウィルス種を放置すればっ、どんな被害が出るかっ、分かったものじゃない!」
この言葉を受けて、紋次は初めて遭遇したデジモン・デルタモンのことを思い返した。確かに、あの時のマンション倒壊は天災とも呼ぶべき大きな被害を齎した。
「成程――」
「分かって貰えたか」
「――とでも言うと思ったか!そりゃ巨体が高いとこで呼び出されたりしたら被害はデカいに決まってるだろ!属性云々が関係あるか!」
紋次の怒声が余程堪えたのか、見張りの男はドックを握りしめてデジモンをリアライズさせた。6枚の羽根をもつ白い肌の天使が悠然と舞い降りる。その表情は口元以外が隠れるフルフェイスマスクの為か全く読み取れない。
「エ、エンジェモン様っ!この不信心者を神罰をお与えください!」
「ならぬ」
「ど、どうしてっ!」
しかし、テイマーの懇願は無慈悲にも天使に却下された。どうやら、このペアはテイマーの方が立場は下らしい。エンジェモンは厳粛な声でテイマーと、同時に紋次を窘める。
「宜しいか。テイマー。我々が濫りに神罰を下すなど、あってはならないこと。更にそこの少年。彼は悪しきデジモンのテイマーと言えど、その心まで混沌に染まってはいない模様。態度を定めていないのならば、改心して我々の同胞となることも十二分に有り得るではないか。なればこそ、何故性急にその芽を摘み取ることがあろうか。寛容は布教にも大きく貢献するところのものであるぞ。
よいか、少年。我々は、祈りあるところに必ず救いは差し伸べられると、そう考えている。約2200年前、この世界は現在と同じく艱難辛苦の時代であった。そんな時代に如何なる奇跡が起こったか――そう、救世主の生誕だ。テイマーに現代社会における人権がないことも含め、全ては万民の救済、再びの奇跡が為――。悪しきデジモンの跋扈するこの世界、この時代において、『教会』では救世主の再臨を祈願している」
エンジェモンはここで捲くし立てていた言葉を切り、両の口端を緩やかに釣り上げて紋次に向かって続けた。
「迷える子羊よ、祈りなさい。信じる者 皆、救われる――。
もしも君が、真にこの末法の世を憂う我等が同胞であるならば、『教会』は『君』の事を、手厚く迎え入れよう」
「おお!御遣い様!」
「なんと有り難きお言葉!正に天使様の啓示!」
「……。……。……」
二人の見張り番テイマーはエンジェモンの説法に陶酔している。紋次も慣れない圧倒的なまでの宗教勧誘に開いた口が塞がらないでいる。
そんな紋次に、遠くから声をかける者がいた。
「どけ。そいつの処遇が決まった」
靴音を響かせて近付いて来る諏訪原。しかしその姿は、依然のメタモルモンとの戦闘後と同様の有様だった。スーツは所々が焦げ、銀縁眼鏡こそ無事のようだが足元には血の跡が着いている。首にかけられたギアは、ペンデュラムではなく、ペンデュラムプログレスだ。二人の見張り番は紋次に詰め寄られた時よりも更に目に見えて萎縮する。そんな二人を見かねたか、エンジェモンが間に割って入った。エンジェモンの口元は警戒を、諏訪原の口元は苛立ちをありありと示していた。
「諏訪原敬――何があったかは問わぬが、今からでも信仰にその身を捧げるならば、我々は厚遇を約束するぞ」
「その問答なら結論は疾うに出ている。いずれにせよ、曽呂紋次の処遇は本人の自由意志ではなく『教会』上層部が決めることだ。私はともかく、お前に発言権はない。何があったか知りたくばせっせこ上司に掛け合うんだな。能無しテイマー共々さっさとそこをどけ。天使だろうと何だろうと、私の路を阻むなら容赦はしない」
「では私は、こう言っておこうか――貴方に神の御加護を」
「ふん、ウィルス種を『悪』と断じるような狭量な神がいて堪るものか」
去り行くエンジェモンと二人のテイマーに舌打ちしながら、諏訪原は独房の鍵を開く。随分と乱暴な動作だ。
「出ろ。その顔だと、ここの信条は大体把握したな?」
「ああ、ウィルス種は悪。そして、小夜達が不満を抱いている人権問題も、『救世主の再臨』とやらの為の事なんだな?」
諏訪原は頷きがてらD-3を紋次に渡す。血濡れであったが、液晶から除くメタルグレイモンの姿に酷く安心を覚えた。
「何があるか分からん。どんな奴が待ち構えているか、もな。何時でもメタルグレイモンをリアライズできるようにしておけ。小夜と黒瀬を救出して直ぐにここを出るぞ」
「ちょ、ちょっと待て。説明が足りないだろ!?お前のその格好とか、今何が起こっているのかとか――」
「――道々で話してやる。お前だって、そのメタルグレイモンと別れたくはないだろう?」
メタルグレイモンと別れる。その言葉は、酷く紋次に突き刺さった。それを想像しただけで、感情がその光景を拒むのが理解できた。
「あ、ああ」
「私だって同じだ。元々『教会』に従っていたのも、他のテイマーから狙われないようにするためだったのさ。カオスドラモンと別れたくはなかったからな」
漸く頷き返した紋次に、諏訪原はそう告げた。
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時刻を一時間ほど前に遡る。曽呂紋次の教育係―ウィルス種のテイマーはウィルス種のテイマーに始動させるのが良いという結果は目に見えていた―――になるための書類手続きを終え、最終的に大天使型デジモンの承認を得るだけの状況となった諏訪原は、支部長室前で呼吸を整えていた。支部長室と銘打っておきながら、そこはデジモンがドックもロードもなしでリアライズし続けるための、人為的に作り上げられた空間だ。人間が長時間滞在できる場所ではない上、近付くだけでその独特の空気に当てられてしまう。
「――では――やはり、『救世主再臨』は――だな」
「間違い――ウィルス種の――は――」
幽かな声が漏れ出ていた。この組織において「ウィルス種」という言葉は、そのテイマーにとってよい意味で使われることは殆どない。そも、諏訪原はウィルス種デジモンのテイマーであり、且つ『教会』の信仰にその身を捧げている訳ではない。それ故彼は組織内でよく思われてはいない。無論実力に見合った権限などは与えられているが、自由に動かせる優秀な駒、程度の認識しかされていないのだ。否が応にもウィルス種という五文字の差別用語に敏感になっていた諏訪原は聞き耳を立てて二体の支部長の会話を盗み聞く。
「人造救世主の生誕は、紋史殿の研究で成功したとの結果がある」
「そうか、強制デジクロスのプロセスは完成したのだな」
「ああいや、完全とは言えないらしい。ウィルス種を撲滅する、と言う思考の志向性が必要な様だ」
《敬!?落ち着け!》
ウィルス種の撲滅、その言葉を聞いて諏訪原はムゲンドラモンの制止も聞かず扉を開け放った。
一歩支部長室に足を踏み入れた途端、諏訪原は強烈な眩暈に襲われた。神殿風のその一室は、明らかに見取り図にある支部長室よりも広大で、そこが紛れもなく「異界」なのだと示していた。その上、自身と同じ成長段階のほぼ全てのデジモンの上を行く、大天使型が二体。その、フェイスアーマーに隠れた4つの瞳は、明らかに諏訪原を威圧していた。
「……どこから聞いていた?」
探るような声色。しかし激昂する諏訪原には何も聞こえない。
「リアライズ!――ムゲンドラモン!」
「仕方あるまい――これもテイマーの為、恩義を感じぬではないが――討たせて貰おう!」
広大なデジタル空間に、鉛色の巨体が顕現した。
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「が、は――やはり、悪しき、力、よ――」
既にダウンローダーの時間制限も尽き果て、所々からデータの血を流し――しかし、デジタル空間たる支部長室においてはそれは志向性を持たず、世界に霧散する――つつ、ムゲンドラモンはエンジェウーモンに止めを刺し、ホーリーエンジェモンをデータ崩壊まで追い詰めた。
「答えろ。『教会』内部でまことしやかに囁かれる『救世主再臨』とは!テイマーが知らず、天使のみが知っている『人造救世主』とは!先の会話に出ていた『ウィルス種の撲滅』とは!一体何だ!」
今にもホーリーエンジェモンの胸倉を掴んで問い質しかねない勢いだが、諏訪原も身体は傷だらけで自由に動かせない。トライデントアームを首筋に突き付けさせながら問うだけで精一杯の様だ。
「知り、たくば――これを、見るが、いい――」
ホーリーエンジェモンはその身体の上に一枚のデータチップを出現させた。諏訪原はそれを回収するとデータの検分を始める。
諏訪原の顔色がめぐるましく変わっていくその中、ホーリーエンジェモンは今にもデリートされてしまいそうなこの状況において、場違いに満足気な表情を浮かべていた。
「な、これは――貴様ら、テイマーの人権剥奪だけでは飽き足らず――」
「ク、クク――今頃気付いても、もう遅い――。ウィルス種は根絶され、救世主の名の下に世界は神の存在を知ることとなる――。ク、ククククククク――」
激昂する諏訪原を尻目に、ホーリーエンジェモンは狂ったように笑い続ける。
「――遂に天使人間まで創り出したか!」
「栄光の千年王国が、ここに誕生するぞ!」