Noir-Lathotep
グレイソードとグレイダルファーで切りかかる俺たちを無数の触手でいなしながら会話は続く。
「幾つ惑星を滅ぼした。幾つの知性体を弄んだ。教えてくれよ、気になるな」
「ハッ、ハハハハハハハ――"幾つ"だと!? 浅はかだな地球の生物、悠久の間舞台を紡ぎ続けた私が、今更描いた作品の数を覚えていると思うのか。貴様らとて物語を紡いでいただろうに!
あぁそうだ、お前たちは創作者であったな。面白い事を教えてやろう」
無音であるはずの宇宙に響き渡る哄笑が耳障りだが、一理ある。創作者としてのツェーンの頭の中に生まれては消えていった世界も無数にあることは否定できない。
「――"サロン・ド・パラディの管理人"は私だよ」
「なに……っ」
「つまりお前たちの行動は、策略は初めから私の掌の上に過ぎなかったということさ! どうだ二代目J、苦し紛れの反逆の一手が徒労に終わった気分というものは」
レイラの麗貌が苛立ちに歪む。あぁ、自分を客観的に見ることができれば、俺も同じ表情をしていることだろう。なにせ、今俺たちは思い出を汚濁に浸された。臓腑の底から腹立たしさがこみ上げてくる。
「そうか」
だが、それだけだ。精々が「あ、そう」と言うレベル。Jにデジタルワールドの真実を突きつけられたツェーンでもあるまいし、その程度で揺らぎはしない。お前に弄ばれていたことなど、お前が言葉と計略で相手を惑わせることなど百も承知。今更そんな事実を突きつけられたところで遅すぎる。
「どこまでもムカつく野郎だ、続きの出し物がないと言うならここで――」
追いつめられた状況で出てくるのが口撃とはな。聞く価値もなしと判断して、攻め手を苛烈にする。既に二人合わせて千本は触手を斬っただろうか、斬り飛ばす傍から再生する触手だが、ならば再生しなくなるまで斬り伏せるのみ。
「――無論、否だ。私を誰と心得る。お前たちに贈る絶望に、二の矢があるに決まっているだろう」
面食らう。殲滅の決意を固めたところでのこの言葉だ。まだ何かあると言うのか、それとも時間稼ぎでもしているつもりか、内心警戒度を跳ね上げ、目の前だけではなく周囲にも知覚範囲を広げるが、それは徒労に終わった。
「有羽十三――アルファモン。貴様、自分の記憶がどこまで本物だと考えている」
一度、剣を止める。
「おかしいとは思わなかったのか。高校生にして一軒家に一人暮らし、両親が干渉してくることはなく、成績は優秀な割にチンピラ属性かつ陰キャラで、怪異騒動に頻繁に巻き込まれるフィクションのような日常」
ナイアーラトテップは愉快そうに語る。ネタばらしが愉しくて仕方なさそうだ。
「およそまともな人間像ではあるまいよ! 父と母の記憶はあるか、愛されていたか、心許せる友はいたか満たされていたか?
応ともそうだろうよ、なにせ私が"そういう記憶"を植え付けたのだから!」
「は――はははっ。つまり、あれか。お前はこう言いたいのか。俺の記憶にある有羽十三としての記憶は偽物だ、と。有羽家も、これまでの記憶も、全てが」
「そうとも! お前の中身は空っぽだ。もし有羽十三という存在があったとして、それは精々がここ数年のものでしかない。どうだった、学校生活は馴染み辛かっただろう? それもその筈、デジタル・モンスターの分際で人間に混じって暮らすなどおこがましい! 尤も、何やら奇異な人間の一人や二人はいる者だ。お前の隣にいるアレも、中々以上の変人のようだな」
「アルファモン……大丈夫だ、君には私がいる。ずっと傍にいる。もう二度と、君を見失ったりはしない。宮里君だっているじゃないか、私たちはずっと君の傍にいる」
レイラが俺の手を握りながら早口で告げる。真っ白な手のきめ細やかさに目を奪われた。
「レイラ・ロウ。まるで自分が関係ないような素振りだが――そもそも疑問に思わなかったというのか? 何故、有羽十三という人物が己がパートナーデジモンの転成先だと臆面もなく信じきれた? 日本で暮らす私の玩具有羽十三は、その時点で生を受けてより十数年が経っていなければおかしいだろう。イグドラシルの根本でお前が目を覚ましたのが、魔王戦役の十年後だったとでも――自分で言っておいてなんだが、これはナンセンスだな。ともかくお前が見ている有羽十三が本当にデュランダモンだったと、どうして確信できる。目の一つも逸らしていたのか、どうなのだ。イグドラシルのログを閲覧すると言い訳して左目を塞ぎ、右目は都合のいい幻想だけを見つめ続けたか! だとすれば愚か、実に愚かだ。その十数年は空虚な幻想に過ぎん。有羽十三の個我を尊重しようという貴様の葛藤も、決意も、全てが絵に描かれた幻想に対する一人相撲だったと知れ!」
「ク――ハハ、ハハハハッ」
「ふっふふ、あっは、あはははっ」
突然笑い出した俺たちを、気に入りの玩具を見るような視線が舐める。燃える三眼に愉悦が宿る。
大方、気が触れたとでも思っているのだろう。そう思われていると分かっていても、笑いが止まらない。
「アッハッハッハッハ――つまり、俺たちはずっと騙されてきたと。偽りの記憶、偽りの人生、そんなモノを尊んでいたと」
「ふふ、ふふふふっ、あははっ――あぁ可笑しい、あんなにも幸せだったから、笑いが……くふっ、止まらない……っ」
ほら、笑いが止まらない。
馬鹿らしくって、笑う他ない。
笑いすぎて、涙さえ出てきた。
「ああ――面白すぎて、笑うしか……ハハッハ、ない。馬鹿みたいだ。実に、実に滑稽じゃないか……」
なあそうだろう――ナイアーラトテップ!
愚かな邪神に宣戦布告。剣の切っ先を向ける。
「そんな事、この姿になった時点で気付いていたさ!」
「さぞや滑稽だと思って私たちを見ていたのだろうが――それはこちらの台詞だよ、実に詰まらない事をぺらぺらと話すじゃないか」
本当に、この邪神はお粗末だ。既知をなにやら重大そうに告げられたところで、寧ろその姿が滑稽なのはお前の方なのに。
「――そうか」
ナイアーラトテップの表情から、遊びが消える。
奴の身体から流出する悍ましい気配が強まり、四方八方から同質のそれを感じるようにさえなった。
「「「「「お前たちを見くびっていた。謝罪しよう」」」」」
「無貌の神の面目躍如、化身全てのお出ましか?」
「そのようだね――邪神セト、疫病神パズス、月に吼えるもの、双頭の蝙蝠に膨れ女、赤のクイーンと言ったビッグネームからジャックランタンまでオールスターだ。ここまで来るといっそ壮観だ」
愉快なカボチャから一見普通に見える黒人、果ては方程式や機械まで。その中には、どこか見知ったデジタル・モンスターに似ているモノもいる。人間界だけでは飽きたらずデジタルワールドにまで手を出していたか。義憤の一つも湧くべきなのだろうが、それでも目の前のナイアーラトテップたちの真剣さに気圧される。
「「「「「しかしそれはそれとして、私はお前たちを滅ぼさねばならない。脚本を外れられると困るのだよ、我が主が退屈あそばされてしまう」」」」」
老若男女バラバラな人間の声帯に始まり、獣の唸り声や無機質な機械音声まで。幾千のナイアーラトテップが寸分違わず同一の言葉を放つ。
「「「「「この世界は夢なのだ。我が主が微睡みの中で夢見るゆりかご。今やお前たちは私と同じ位階にあると認めよう。夢の中で個我を獲得し、遂には私の脚本を逃れ出た――アザトースの世界から解脱に至った。それは手放しに賞賛しよう」」」」」
今、コイツは教えてくれている。世界の真実を――余人が理解すれば、じわじわと迫り来る終焉に怯え狂気に陥るだろうそれを。
即ちこの世の全ては、アザトースなる"ナニカ"の夢見。彼ないし彼女が覚醒し次第、世界はもう二度と続きを紡ぐことはないのだと――いや、この表現も正確ではない。何せ前例はなく、知覚もできず。もしも再度アザトースが眠りに入れば何事もなく世界が続くのかも知れないが。その間、この世界は全ての歩みを止めている以上、どうあってもそれを判断することすらできず、ナイアーラトテップ自身にも分からぬのだと。
「「「「「故に。最初の解脱者であった私が彼の君の眠りを安らかに持続させるため動いているのだ。その観点で考えると、お前たちの存在はいかにも不味い。他の解脱者の存在により、シナリオにアドリブなど加えられてみろ、どうなるか分かったものではない。
……今、アザトースの宮殿で彼の君を慰めるオーケストラを奏でる化身すらこの場にいる。この意味が分かるかレイラ・ロウ、アルファモン。私はお前たちに最大限の敬意と警戒を払っている。最短でお前たちを押し潰し、直ぐにでも戻って舞台を紡ぎ続けたい所をこうして化身総出で語っているのは、お前たちに対する敬意の表れと知るがいい」」」」」
忌々しげな感情と、率直に礼賛する視線の双方が同時にぶつけられる。解脱――成る程アザトースの夢の登場人物である以上、意識的にしろ無意識的にしろ、その思考や行動も全てそう在るよう必然的に生じるものであると。それはあの強大な旧支配者たちでも同様であり、その差配から真っ先に抜け出したのがナイアーラトテップ。二番目が俺たち。
地球一つとっても二千年以上コイツが絡んでいる。あれだけの星々を愉悦の種にしてきたのだ、それは気の遠くなる時間でもあっただろう。そう考えると、世界の存続に貢献したナイアーラトテップに対して憐憫も、感謝も湧きそうになる。だが、俺の感情がどうあってもこの者を見逃したり、この者と協力したりさせようとしない。
「そうか……話は理解できた。だが、俺には許せないことが一つ――いや、二つある」
レイラ・ロウがJの口調を借りて宣告する。
そう、そうなのだ。そして問いたいこともある。彼女もJの外殻を纏ったということは、考えている事は同じ筈だ。
その返答次第によっては、何をさしおいてもコイツを滅ぼす。その後世界が、俺たちがどうなるかはまだ分からないが――ここで完全なる決別だ。
「まず、これは貴様に言っても仕方のないことだが。俺たちの旅路が、人間の、デジタル・モンスターの全ての営みがアザトースによって定められていた、だと? ふざけるな、運命論者やノルニルなどより余程質が悪い」
「「「「「気持ちは分かる。だが、事実d――」」」」」
「待て。二つ目と、それに伴う質問に先に答えてもらうぞ」
俺は掌を突き出して、ナイアーラトテップの返答を遮る。一斉に押し黙ったのを肯定と捕らえ、記憶を反芻するようにしながら尋ね始めた。
「レイラ・ロウがデジタルワールドに落ちたこと、デジメンタルを巡る争い、メタルエンパイア及び四大竜の暴走、ワールドブレイカー共の出現に魔王戦役、そして先代Jの死。あの旅路には無数の嘆きと犠牲があったが……これらも、アザトースにより定められていたことか?
いや、婉曲的だったな。問い方を変えよう。あれらの始まりや結末は、流れは、お前の差し金か?」
「「「「「その通りだ」」」」」
一も二もなく肯定される。予想の範疇内だ。これは思考の片隅に芽生えた希望の芽を自ら摘むための儀式でしかないのだから。
「ならばそれは何故だ。何故、お前は物語のレールを変更できる立場にありながら、悪趣味な脚本ばかりを用意する。アザトースの趣味なのか? それとも……」
解脱者はアザトースの支配から逃れ得る。故にナイアーラトテップは脚本家として、舞台を演じさせ続けたという。ならば、介入の仕方によっては胡蝶の夢の胡蝶が満足するエンディングを向かえる事もできた筈だ。そうしなかったのは、何故だ。
「「「「「私の趣味に決まっているだろう。お前たちに敬意を払いこそするが、所詮他の知生体など弄った時の反応が面白い玩具に過ぎん。世界は広く、その玩具が予想もつかぬ、あるいは私好みの反応を見せれば見せるほど、悠久の時の無聊の慰めとなったよ。無論、今の状態に至るまでのお前たちもその一つだった」」」」」
半ば予想できたことだが、その言葉が聞きたかったのか聞きたくなかったのか分からない。分かることは、俺たちの間に和解の芽は潰えたと言うことのみ。
「「「「「第一、アザトースの好みなど私に分かる筈がないだろう。彼の君の意識は紛れもなくこの世界に身を置いているし、私が介入しないままの世界はともすれば彼の君の望みを反映したものかもしれないが、夢見たことが必ずしも願望の反映であると言う訳でもなかろう」」」」」
そうか、ならば――。
「ならば――貴様が解脱できたことが間違いだったんだ!
最早救われぬ哀れな邪神よ、お前の為してきた悪徳の報いを受ける時が来た!」
Legend-Armsを構え、左手を天高く掲げる。ナイアーラトテップの化身全てよりも高い位置に、特大の魔法陣を描いた。
「そうだ、ここで全てを終わらせるぞ!
Access――Yggdrasil.
Royal Knights,CODE:OMEGA!」
「暗黒時代の終焉だ! Digitalize of Soul――」
魔法陣より召還されるは、レイラも愛用している勇気の竜剣の所有者――終末の究極融合聖騎士オメガモン。
だが、表れ出でたるその姿は俺たちの識るそれとは異なる。白い体躯は黒く染まり余りにも巨大で、何故か白馬に跨がっている。白馬はスレイプモンでもユニモンでもなく、何故その様な姿を取っているか分からず困惑する。だが、その正体は直ぐに露見した。
「「「「「――カルキ、だと……!?」」」」」
漆黒の獣砲を向けられたナイアーラトテップが呆けたように呟き、次の瞬間激昂した。
「「「「「ハ――ハハハハハハハハ! カルキ、カルキと来たか! よもやお前たち、自分が何を喚んだか理解していないというのか!?」」」」」
泣き笑うような声色が四方から浴びせられるが、その音声も冷気凝縮弾の極大爆発に呑み込まれ瞬く間に少なくなっていく。異界の理そのものであるナイアーラトテップに攻撃が通用しているのは、あのオメガモン――カルキが、もはやデジタル・モンスターを超えているからか、それとも俺たちが解脱者同士だからかはわからない。だが、奴の言いたい事は理解できる。
インド神話において、創造神ヴィシュヌの最後の化身である未来王カルキ。暗黒時代カリ・ユガを終わらせ、世界を次のステージクリタ・ユガに進める終末の騎士。つまり、そのカルキがオメガモンの姿を借り、世界をナイアーラトテップの支配から解放せんとしているのか。
「「「まさか、惑星そのものまでがお前たちの味方をするとは畏れいった。そうか、私の脚本はカリ・ユガだったと言いたいのだな、お前たちは」」
世界に無数に偏在していた筈のナイアーラトテップの化身は、もう一割も残っていない。広大な宇宙を瞬間移動で暴れ周り、オメガモン・カルキは撃ち漏らしを殲滅していく。
「「ならば仕方あるまい――解脱者同士、尋常の決戦と行こうではないか」
最後の一体――初めから最後まで俺たちと戦い続けた闇に彷徨うものだけになったところで、オメガモン・カルキは黒外套を翻して飛び上がり、上空でガルルヘッドを構える。その砲塔に、世界を終わらせるに相応しい莫大なエネルギーが集められる。
対する闇に彷徨うものは先だって放った超新星爆発を放たんと星々を凝縮する。
瞬間、衝突。刹那の間すら無く二つの極大エネルギー同士がぶつかり、周囲一体を灰燼に帰す。グレイソードに両断され無惨に散らばっていた化身共の残骸も、欠片も残っていない。
オメガモン・カルキはこちらを一度見つめると、再び外套を翻して俺たちの描いた魔法陣の中に消えていった。
残るは闇に彷徨うものただ一体。超新星爆発で天地を廻す終極の星を迎え撃ち、無傷のままこの場に質続けている原初の解脱者。
だが、大勢は既に決している。
「まだだ、まだ私が居る以上、この世界は終わらん」
担い手と、武器と、パートナーの三位一体。それこそが――真なるLegend-Arms。
天使が持てば世界を救い、悪魔が持てば世界を滅ぼす――。
「構うな、やってしまえアルファモン!」
それならば――。
「自分以外に解脱者がいないと嘆き、趣味の悪い作品を作り続けたのがお前の敗因だ!」
真なるLegend-Armsの前に――。
「理解っているのか――私を滅ぼせば、お前たちだけではない! この世界の全てが滅ぶぞ! 宮廷道化の演劇なくして、アザトースが微睡みに揺蕩うことはない!」
たかだか邪神。
たかだか先代の解脱者。
たかだか外宇宙の支配者ごときが、敵う道理などどこにもないのだ。
「胡蝶の夢のエンディングの希望は胡蝶に聞くことだ!
一足先に、舞台から退場しろ――!」
燃える三眼を、Legend-Armsが両断した。
●
見事……見事、アルファモンとレイラ・ロウは成し遂げた。
「一応、礼だけは言っておく。ここまで世界を存続させてくれて有り難うよ」
少しだけしんみりとした空間に割って入ると、二人はまるで予想していたかのように私を出迎えた。
「よう、遅かったな定光」
「また、何か持ってきてくれたんだね」
きっとこの二人は、私の正体に気付いている。
それでも構わない。彼らの選択を最後まで見届けられればそれでいいと、私の中の宮里定光だった部分が言っている。ナイアーラトテップそのものである私もそれに同意している。
「ああ。アザトースの宮殿につながる鍵、さ」
私は抱え持った30センチメートルほどの香木の箱を手渡す。中には装飾過多な銀色の鍵が入っている。
「知っての通り、もうナイアーラトテップはいない。アザトースの眠りを守る解脱者はもういない。となればお前らが取るべき行動は二つに一つ。
第二の解脱者として、今度はお前が脚本を描くか――」
「いいよ、最後まで言わなくて」
躊躇い無く銀の鍵を取り出すアルファモン。
「君は来ないのかい? 宮里君」
そして、さも当然と言わんばかりに私を共連れにしようとする。その眩しさに眼を焼かれそうで、私は思わず視線を逸らした。
「い、や……俺は、いいよ。最後のデートだ、二人で楽しんで来なよ」
宮里定光には彼らと共に歩む資格があるが、ナイアーラトテップにそれはない。
「そうか」
「残念だけど、そういう事なら」
寂しげな表情に心が痛む。だが次の瞬間、二人は破顔して「鍵」を使った。
「じゃあ、待っててくれよ。必ず勝ってくるからさ」
「君が待っていてくれれば、私たちもきっと戻って来れそうな気がする」
「ああ……待ってるぜ」
目の前から二人が消える。
フルートの音の止んだあの宮殿で、最後の戦いが始まるのだ。
「頼む……頼む、どうか……!」
この世界が終わっても、彼らが共に在れますように。
祈る神など白痴の君しかいない身なれど、初めて心の底から何かを祈った。
●
無限の宇宙の最奥、既に我らが青き星すら見えなくなったこの宮殿にこそ、アザトースの意識は在る。沸き立つ渾沌が螺旋状に渦動するこの領域は、即ち盲目にして白痴たる神の脳内世界に他ならない。
解脱に至る前であれば、このもの凄い原子核の渾沌世界に一切の道行きを見出だすことはできなかっただろう。
目を凝らせば、漆黒の霧の中、心を圧し折りにかかってくるグロテスクな宮殿と玉座への階段が見える。知性ある者ならば耐えられまい悍ましさ。
「準備はいいか、レイラ?」
「恐怖などないさ、私たちはずっと一緒だ」
「世界が終わるまで?」
「この世界が終わっても、永遠に」
階段を駆け登ると、眼、耳、鼻に舌、そして皮膚と、ありとあらゆる感覚器官を持たぬ、顔だけの異形の存在が鎮座していた。その輪郭は常に流動していて一定に定まらず、無限に膨張したかと思えば次の瞬間にはあたりの空間ごと吸い込みながら収縮していく。
「だけどね、私はこうも思うんだ。解脱というのは、卵から雛が孵ることなんじゃないかって」
「雛鳥は俺たちか? アザトースが夢から目覚めることで卵の殻は割れ、真実、この世界は世界として成立する、と」
だとしたら、うん――素敵なことだ。
そう在ってくれればいいと願いながら、グレイダルファーを抜く。レイラが手を添えてきた。
目の前には、この世界を維持し続ける創造主。とは言え、頭蓋を破壊して尚有り余るこの露出した脳味噌は、いつ覚醒を迎え世界を終わらせるのか分からない。
「「では、輝ける新世界の到来を願って」」
無防備に眠り続ける白痴なる創造主に、Legend-Armsを突き立てた。