ChapterⅤ -The Superbia①- - ぱらみねのねどこ

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ChapterⅤ -The Superbia①-

 意識が覚醒した時、俺は再び一面真っ白な花畑に横たわっていた。時折吹く風が花弁を散らし、漆黒の空に白雪の如く舞い上がる。
 あの後落ち着いてから、護符を枕の下に仕込み眠りに付いたことは覚えていた。上体を起こして辺りを見回すも、眠る直前、絶対に離すまいと堅く握った小さな手の主はそこにはいない。しかしよく見れば、俺の隣で人型に花が潰されていた。どうやら、二人とも無事にルイの領域に辿り着いたらしい。
「あー、先輩?それからルイ?二人とも何処にいるんだー?」
 まあ、朝に強いのは先輩の方だし、集合無意識の中で覚醒するのも彼女の方が速いのだろう……などと考え、二人の名を呼びながら果てない花畑を歩んでいく。
 なんとはなしに見つめた地平線では、白と黒が混ざることはないようだ。


 トンネルを抜けると、そこはモノクロームだった。
 文豪を気取るつもりはないが、それでも他人の言葉を借りねば適切な表現ができない程、非現実的な光景が繰り広げられていた。
 共にここへと潜航してきた愛しい男は、どうやらあのトンネル――曰く、集合的無意識の深層領域への直通路――を、意識を保ったまま通過できないらしい。こればかりは個人差・適正というものがある為、糾弾云々の話ではないだろうことは私にも理解できる。
「ふ――こうして見ると、可愛いもんだなあオイ」
 先刻まで随分と泣かされはしたが、こうなると形無しだ。身体の至る所に残った吸引痕のお返しにとばかり、彼を起こさぬように額に軽く口付けて立ち上がる。それにしても、肩から前腕にかけて特に集中的だったが……腕フェチとかなんだろうか。
「愛してるぞ……なんてな」
 小声で呟いて辺りを見回す。色彩と呼べるのは私たち二人ばかりで、どこまで行ってもこの世界は一色刷りで、白紙の花畑がブラックの天蓋に覆われている。そんなところは存在しないだろうが、この領域を上から見たら真っ黒にしか見えないだろう。
 万事滞りないならば、ここの主は先日言葉を交わしたルイ=サイファー。その正体は万魔の王たるルシファーだと言うが――。
「さて、あの男は何処にいるんだかな……」
 建造物の一つもなく、星も瞬いてはいない。オブジェクトが全く存在しないこの広範な風景の中、目的の人物を探すのは大変だと嘆息する。直感で決めた方向に暫し歩みを進めたその時。
「これは失礼。お客人に足労を強いる趣味はないのだが、声掛けも無粋かと思ってね」
「――っ」
 それは私を必要以上に驚かせないようにか、後輩を起こさないようにか。兎に角細やかな配慮が感じられる、割合に小さな声だった。
「卿までもがこちらに来るとは、少々驚いたな」
 振り向けば、金髪の偉丈夫が私の後ろに陣取っていた。
「想い人の眠りを妨げたくはなかろう。歓待の用意がある故、どうか手を取ってくれまいか」
 白手袋をはめた、ルシファーの手が差し出される。この場が彼の領域である以上、他のデジタル・モンスターの襲撃を懸念する必要はあるまいが、さて。
「後輩はどうなる?」
「何、この地にある以上危険はない。目覚めれば、その時は共に迎えに行こう。今ならば、彼も前回より長期間滞在できるだろうしな」
 それならば、とルイの手を取った刹那、大地が揺れ、周囲の景色を一瞬見失う。
「っとと――」
「おっと。気を付け給え。あと少しだ」
 一瞬バランスを崩しかけたが、ルイの反対側の腕に支えられる。その腕の、抗えない力強さ。
 足場が安定した時、私は先程よりも黒の天蓋に近付いていた。高い位置から見る白毛の絨毯は、遠目であるからこそ一分の崩れもなく統率されて見えた。
 視線を下ろせば、今度は真っ黒な大理石に金色の装飾。後方から聞こえるオーケストラに視線を釣られてみれば、190cm近くあるであろうルイを三人縦に重ねても届かなさそうな両開きの窓。中からは、奏者のいない管弦楽器が高らかに唸りを上げ、指揮棒は独りでに宙を舞っている。
「バルコニー……貴方の城、か?」
 黄金の冷貌が微笑む。
「ああ。我が領域の中でも、一つ深い位相に建ててある。そしてこれが、嘗て魔界のルシファーパレスで開かれていた夜会だ。手慰みに再現したにしては、中々のものだろう」
 腕を広げ、この光景が嘗て、別世界であったものであるとルイ=サイファー。……正直目眩がする。いくら彼が、全能の神に牙を向け得る程の存在であったとは言え、数十に及ぶ、技法の異なる楽器を自在に操り――その上で、それを片手間と宣ったのだ。デジタル・モンスターとは、神魔幻想とはそれ程までに凄まじいものなのか。
「卿らの歓迎のために用意した催しだ。どうか楽しんでいってはくれまいか」
 私の当惑もさて置き、彼はホールの中心へと躍り出る。恐らく至上と呼ぶべき音色が、主の帰還に一層美しく広がった。
「僭越ながら、一曲共に踊っていただけまいか」
「折角のお誘いだが、そもそも私達がここにきたのは――」
「――それも、彼が目覚めてからだ。その後で、質問には幾らでも答えよう。歓迎の言葉に偽りはない」
 その声色は、反響するオーケストラの中でさえ、僅かな乱れを見せることもなく私の鼓膜を震わせる。
「召し物が不安ならば、そちらも幾らでも。
 さあ、共に一曲」
 彼が指を鳴らすと、私の衣装が瞬時に上書きされた。黒を基調としたイブニング。シルクの長手袋は、着けているだけでそれが途轍もない高級品だと理解できる。肩にかかった白いケープは、手袋と相まって巧い具合にキスマークを隠している。
 気付けば彼も礼服で、白い布地に垂れる金髪が何とも見目麗しい。
 誘われるように彼の待つホールの中心へと踊り出て、差し出された手を再び取る。

 後輩が目覚めるまでの僅かな時間。在りし日の明星との邂逅が始まった。

「先に言っておくが、貴族めいた社交場の作法など知らんぞ?」
「何、案ずることはないさ。気紛れな悪魔らしく、礼法を知り得なかった娘に智慧を教授した経験など星の数ほどある」
 実は社交ダンスの少しも噛じったことはあったが、成る程年季の違いを思い知らされる。腕が宙を迷うことはなく、足の着地点は少々ズレた所で、軽快にリズムを刻む黒
靴を踏みつけることは無さそうだ。
「貴女の想い人は、私のことをどう評していたね」
 踊りが軌道に乗ったと見たか、彼はそう問いかける。
「互いに理解を深めあうのに、共通の隣人を話題にするのは上等だ。私を識る彼は、貴女に何と言っていたかな。是非聞きたい」
 そして初めて、黄金の瞳を真っ直ぐに見つめた。
 目の眩む美貌に、しなやかで主の美しさを損なわない筋肉。ともすれば女性と見紛う程の艶やかな長髪さえも、ああ、美の極点を体現するであろう彼を一層映えさせるパーツに成り下がっている。
 神の寵児。成る程人体の黄金比と、類稀なる力にはその称号こそ相応しい。
「私の事など、いずれ踊るであろう彼とのワルツの予行演習と思えばよい」
 私の思考を読み取ったかのような釘差し。されど絶妙なタイミングで挿まれた色香のある声は、世の女の大半を蕩けさせるだろう。かく言う私も、その甘さに少しも夢見心地でないと言えば嘘になる。
 だが、それでも。
 恐らく女性としてこれ以上無いほどの扱いを受けながらも。
 恐らく男性としてこれ以上無いほどの彼にエスコートされながらも。
「後輩は、貴方を胡散臭いと」
「ク。ああ、どうにも"らしい"な。愛に狂いながら、随分正常な感性をお持ちの様だ――或いは記憶からかな?いずれにせよ、悪魔など常より信じ難いものだ。
 では、貴女は――?」
「私は……」

 共に旋律に巻かれるこの男を、悪魔的とは思えない。

「……慈しみながら、憧れながら、愛しながら――泣いている」

 揺れている。無謬の筈の悪魔王が、二つの選択肢の狭間で。それが何と何の間であるかまでは、分からない。
 けれど、魔界の頂点に在ったこの男は、そうであるからこそ、人間らしい。

「……何故?」
 動揺は見受けられないが、射抜くかの如き黄金の眼光が、私の双眸を覗き見る。
「さあ?」
 嘘ではない。黄金で彩られた甘いマスクに隠れた素顔は、そこだけ見れば決してこの男がルシファーであるなどとは思えない程に苦渋に歪んでいると、そう見える。
「そう見えた。直感だから、論拠はないが」
「……」
「名だたる悪魔王閣下も無謬ではないと、そう言うことじゃないのか?それとも、デジタル・モンスターとして再誕して存在の根幹が揺らぎ、以前のままではいられないとか」
 ルイ=サイファーは黙りこくる。私をリードする手筋は全く乱れを見せないが、ともすれば顎に手を当てて思考に埋没しそうな、そんな様子。
「……。……」
「……。……」
 無言のままに一曲が終わりを迎える。楽団の調べは途切れずに続くが、私達がそれに合わせた動きをすることはなかった。
「……そろそろ彼も目覚めるだろう。その前に私から一つ。
 卿に、問いたい」
 彼は再び、バルコニーへと歩を進めた。豪奢な手摺りに手をかけて、後をついていった私を返り見る。

 その声色は、嗚呼――「私の識る彼らし」くもなく憔悴していて――。

「……何なりと。閣下」
 気付けば拝礼して、そう答えていた。
 迸るカリスマに呑まれた等という訳ではないだろう。もしそのつもりなら、恐らく神魔の力の一端も手に入れていない私であれば、微塵も抵抗できずに平伏してしまうはずだ。
 リリスモン・スラッシュエンジェモン・バルバモンにリヴァイアモン・ベル=ゼブブにクラヴィスエンジェモン――。後輩に憑いていると言うベルフェゴールは例外だが、これまで出会ったデジタル・モンスターは皆、一般人たる私にもその威容が肌で感じられた。そんな重圧は、ルーチェモンからは感じない。人間の姿を取っているという事もあるのかもしれないが、少なくとも私を脅かす気は本当にないのだと分かる。
「この世界――私の領域を見て、どう思った。
 忌憚無い意見を聞かせて欲しい」
 ならば、このデジタル・モンスターに感じる、無条件の尊敬と信頼は、一体何だと言うのだ。
「非常に"らしい"かと。どこまで行っても混ざらぬ二色が、閣下の愛の……その、不朽を体現しているのではと推察致します」
 神話のビッグネームだと分かったところで、初対面の会話から、ここまで口調を変えると言うことはないだろう。
 地獄の悪魔を一手に束ねていた男は頭を振る。
「言葉を選ばずともよい。卿の感想は正しい。
 ああ。この世界はその通り、私の内面を表している。決して統合されぬ幾つもの相反をな。卿は今、それを愛の不朽であると称したが……成る程私はいつまでも、どちらかに偏ると言うことが出来ぬらしい」
 そして、上空の、何処か遠くを見据えて呟いた。
「私は、何を選ぶべきなのだろうな……ベールよ」
「っ……」
 薄い唇から漏れ出た三文字。その言葉に、何か不快感……呪いめいた宿命とでも称すべき何かを感じ、思わず顔を顰めた。
 我々が出会ったルイ=サイファーが、友と語るデジタル・モンスター、ベール――。それが関与するあらゆる事象に、私はきっと、蛇蠍の如き嫌悪感を抱いてしまうだろうと何故か思った。
「ああ、諫言、大儀であった。自分というものを見つめ直す良い契機となった」
 そんな私の様子を知ってか知らずか、邂逅の打ち切りが告げられる。
「そろそろ彼も目覚めることだろう。迎えに行こうではないか。
 ふむ、思った以上に、得るものもあった。ここは後の予定を茶会に変更しようと思うのだが、依存ないか?」
「え、ええ……」
 傲慢への無条件な心服と、無価値への必然的な苛立ち――胸に巣くう違和に納得できぬまま、傲慢に連れられて城を後にした。
 ……尤も、そんな黄金への崇拝とて、後輩を一目見ればすっかり払拭されたのだが。


 数分か、十数分か。あてどなく彷徨っていた俺の目の前に、着飾った先輩とルイが現れた。
 瞬間移動としか思えない唐突さだったが、電子的な世界の存在が普遍意識に染み込んで生じた領域で、0と1とに分かれて移動していると言う訳でもないようだ。最初は淡く、不鮮明であった二人の身体は光の中で徐々に実像を結んでいく。
「再会を心より喜ぼう。目覚めて直ぐで悪いが、我が城で茶会など如何かな?私の知る限り極上の紅茶を再現したのだが」
「先に少し話させて貰ったぞ。起こすのも忍びなくてな」
 先輩の言の通り、二人の衣装は煌びやかなものに変わっている。依然"城"など見当たらないが、どこか隠れた場所にあるそれに招待されていたのだろう。
「ああ、構わないけど……」
「心配は無用。ご淑女のドレスとて、私が見繕ったものだ……どうかね?後で感想でも述べてやるといい」
 先輩の纏う黒いドレスに目をやっている間に、俺も礼服に着替えさせられていた。イギリス式スーツの販売店で誂えたかの如く一部の皺も認められない燕尾服。ざっとそれらを一別して、再び先輩の方を観察した。
「おお、こりゃどうも。……いや先輩は何着ても似合うだろうけど、選者のセンスも良さそうで何よりだ」
 仕方なく俺の服を着ていた時にも思ったが、美人と言うのは本当に得だ。……胸がないのはご愛敬だろう。
「今何か失礼なことを考えたな」
「おっと失礼。前回もそうだったけど、どうもこの空間、割と思考がだだ漏れになるらしくて」
 ジト目も嫌いじゃないが…とおどけながら弁明して、同時にこの状態が前回の最後の展開で見られた状態だと思い至る。……冗談じゃない。ここに来て何も収穫を得ずに帰るなんてアホらしすぎる。
「っと、割と時間もないみたいだし、茶会?とやらをするならするでさっさと案内してくれ」
「ああ、承った。少々揺れるので気を付け給え」
 ルイが白手袋を外して指を鳴らす。すると視界が揺れに揺れる。おいこれ少々じゃないだろ――などと突っ込もうかと逡巡したが、程なくして足場が安定する。
 新たに目にした景色は、先ほどまでと変わりない花畑だが、二つほど大きな異物がある。
 黒色に金の装飾がなされた外壁の洋風な城と――恐らくここはそのガーデンなのだろう――、三人で囲むには大きすぎるであろう円形のティーテーブル。
 なるほど今更こんな城があったことに驚きはしないが、茶会というのが本気らしい点には驚いた。
「かけなさい。二人とも」
 優雅な所作で席に着くルイ。その身勝手さに少し辟易しながら自分の前にある椅子の背に手をかけて、自分を突き刺す二つの視線に気付く。俺に座れと言った彼はともかく、先輩までもが俺を見つめているのは――ああ、その表情を見て得心が行った。
「はいはい。っていうか、アンタまでこっちを見つめてからに……あからさま過ぎないか?」
 先輩に近付き、その席を手前に引く。
「うむ、有り難う」
 エスコートを要求した彼女は、茶会の主に引けを取らぬ滑らかさで左から着座する。……こうやって逐一正しいマナーで動くのも、更に好意を抱かせてくれる。
「いやなに、そちらの御嬢さんがあまりにも卿に期待している様子だったのでな」
 最後に着席する俺に、そう伝えられた。まあなんとなく察してたけどさ。
 指揮棒を振るうかのようにルイが腕を広げると、テーブルの上のティーセットが独りでに動き出し、全員の前にスコーンと紅茶が注がれたカップが配置される。
 香り立つ湯気は芳香で、そこまで詳しくはないが本当に極上の品なのだろう。再現したと言っていたし、彼が嘗て嗜んでいたそれと遜色ない品質の筈だ。まあ、楽しんでも悪くはあるまい。
 まずは一口、示し合わせたかの様に全員で紅茶を啜る。開口一番口を開いたのは先輩だった。
「しかし、貴方の領域だと茶会と言うのも不思議なものだな。集合無意識の海に時間の流れがあるかは分からないが、これではまるで深夜のお茶会だ」
 初めの歓談としては成る程適当だろう。ルイの領域は、真っ暗な点に覆われており深夜のようにも思われる。ある意味天気の話題の様なものだ。
「はは。そうかもしれんな。凡そ茶と言うものは夜に飲むべきではないが、慧眼の通りこの世界には昼の概念も夜の概念もないからな」
「へえ、常夜って訳でもないのか。正直意外だ」
「そうかね?ふむ……卿等の世界で、私の異名は数多あるが、明けの明星というものがあろう」
 その言葉を聞き、ああ、と納得する。隣で先輩も訳知り顔だ。
「成る程、夜明け前一時間、ってとこか」
「ああそうだ。この領域はそのまま固定されている。こればかりは私でもどうにも改変できんな」
 こんな城を衆目から隠して建築できるルシファ―ですら変えられないと言う。
「それはあれか?この領域がルイ自身を反映しているから?」
「ほう――?」
 何気なく放った一言がルイの金眼を一瞬見開かせた。即座にその双眸は楽しげに細められたが、今のは明らかに錯覚などではなかった。
「――然り。私のものに限らぬが、集合無意識に在る神魔の領域は須らく、そこの主の特性を反映しているな。卿等が知るここは、私の"相反の情"と"明けの明星と言う異名"を反映しているのだろう」
 ベルフェゴールの記憶は、彼が堕ちた理由を神話よりも詳しく教えてくれている。
 即ち、あらゆる被造物の中で、最も苛烈に造物主を愛していた彼。その愛故に叛逆し、堕ちて地獄の主となった彼。
 愛しているが故に破壊したい――。その思考回路はさっぱり理解できないし、人類に対してその破壊の愛は実行されていない。古典、ダンテの『神曲』に寄れば、人類に干渉して堕落――悪魔風に言えば、抑圧された原罪(シン)を開放している――させることは唯一神への意趣返しのようなものらしいが――さて。
 いずれにせよルシファーの思考や行動原理は推し量れるものでもないのだろうが、成る程この悪魔の本質は相反。そこに相違はないだろう。
「成る程なあ。しかしまあ、じゃあ俺の領域はどうなんだろうな。ベルフェゴールのものなのか、それとも俺のものなのか」
「さて、レゾンデートルを問うのは昔から私の仕事ではなくてな。指導者は傲岸不遜、常勝不敗でなければならぬ。その辺り詳しいのは我が友であろうよ」
 丁度よく、現実世界の状況を打破するキーになりそうなデジタル・モンスターに話題が向いた。俺は先輩と顔を見合わせ、ルイに話を持ち掛ける。
「それで、いい加減本題に入ってもいいか?」
「ああ、構わぬよ」
 全員のカップから茶が消えかかっていたため、再びルイが紅茶を注ぐ。
「さて、要件は?」
 ――さて、こちらにとっても正念場だ。眠りに就く前に、話し合いの内容は先輩と打ち合わせてあるが。
「折り入って頼みがある」
「この戦争の趨勢を直接的に左右する事で無ければ、何でも」
 返答から察するに、どうやらこの男は本当に現世の騒ぎに介入するつもりはないらしい。
「ルイが度々口にする友――ベール、だったか?――に、会わせて欲しい」
「ふむ?構わぬが……案内――いや、同行しようか?」
 精々が場所を教えて貰えるぐらい。良くて紹介状か何かをしたためてもらえるかと思っていたが、帰ってきたのは思いも寄らぬ言葉だった。訝しがっていると補足の説明が入る。
「いや、アレはなんだ、その……唯人には荷が重いというか……アレと友であれたのが当時から私だけである時点で察して貰いたいのだが……」
 傲慢がそこまで言い淀むのを見て、何となく『ベール』の正体に察しが付いた。
「ベールは昔から下に脂が乗っていてな。凡夫ではいとも容易く傀儡にされるだろう。尤もそこは才媛たるそちらのお嬢さんがいれば低いハードルだろうが……」
「いやいい。何となく分かった。ベールっての、ひたすら鬱陶しい声してないか?」
 予感は的中。首肯が返ってくる。
「ふむ。既に接触は受けていたかね」
「ああ、とは言えクソウザい上に回りくどくて、対面しないと知りたい情報は教えて貰えなさそうだ」
「そうだな……。卿の予想は正しい。なので、ベールに会う日時を指定してくれ。卿等の部屋に迎えに上がろう」
 『戦争』の収束法やら、俺とベルフェゴールの関係やら、何故先輩が狙われるのやら、他のデジタル・モンスターについて、それから街の地下にあったあの大空洞についてなどもか――。そう言った諸々について、アレから聞き出さねばならないと思うと今から気が重くなる。
 とは言え思いがけずルイの協力を取り付けることができた。友を自称する彼から、先輩が同行していれば会話そのものは問題無いとのお墨付きも貰えたことだし前向きに考えよう。
「助かるよ。それなら……」
 確か、眠る直前に見た時計は午後2時を回っていた筈だ。思案する俺を他所に、代わって先輩が答えた。
「今日の午後2時ぐらいで頼めるか?いいよな、後輩?」
「ええ、そのぐらいで」
「承った。して、他の要件は?」
「いや、『ベール』に渡りをつけるのが主目的だったからな……強いて言うなら、この状況を収める方法と、この世に再臨を果たした神魔幻想について、知っていれば聞かせて欲しいんだが……」
「ああ、それで我が友へと接触しようというのか。性格面を除けばこれ以上ないほどに適任であろうしな。
 前者ならば卿が自身――ベルフェゴール以外のデジタル・モンスターをすべて蹴散らす他の手段は思い付かぬな。こちらは話の持っていき次第ではベールが何か知っているやもしれん。――いっそこの街を捨てて、ベルフェゴールとその寵愛を受けた麗しき美女として現世に名を轟かせるというのもアリではないか?」
 ダメもとで聞いてみた問いから、正直考えてもいなかった道筋が提示される。確かに、桐彦が素でやってのけた以上、俺も先輩への愛を狂的に謳い上げれば、自己の領域でベルフェゴールを逆に飲み食らえるかもしれない。ひたすら先輩の危険を排除するしか考えていなかったが、このまま神魔が跳梁跋扈していた時代に回帰するのが確定だった場合、そうするのもいい選択かもしれない。
 ……先輩がそれを受諾するかは分からないし、俺も負けるはずはないが、必ずベルフェゴールを取り込めるかも分からない。現状、ある意味俺と奴は共生状態と言っても差支えない以上、非常にリスキーな選択だ。
 そんな風にリスクを勘案しつつ先輩を見やると、同じく思案顔だった先輩がちょっと頬を赤らめて呟いた。
「……いいな。それ」
 おい。
「そんな選択も卿等の愛の行く末ならば私は応援するぞ?
 それから後者については私も全ては知らぬが、不肖の弟ミカエルを筆頭に、各階級の天使は遠からず全てあの"無"より這い出てくるはずだ。パワーは既に卿が滅ぼしている故、全てが一堂に会することもあるまいが。
 ……こんな所かな。少しは役に立てたかね?」
 予想以上の収穫だ。天使の総数も分かったし、最終的な帰着点も一つ見出せた。
「ああ、十分だ。それじゃあまた後で、実世界の方で宜しく頼む」
 そうして時間切れにでもなったのだろう、襲い来る午睡の如き微睡みに身を委ね、ルイ=サイファーの領域から意識を帰還させた。
 

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