ChapterⅥ -The Seraph and Cherub- - ぱらみねのねどこ

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ChapterⅥ -The Seraph and Cherub-

 ――数日前の美術館における集団自殺と殺戮。
 ――先日のオフィス街における大地震と集団幻覚。
 それだけではなく、遊園地・神社・住宅街における災害。
 この街の三次医療を司る大病院は今、あまりに多くの怪我人を処理しきれずにいた。
 報道機関の尽力よりも先んじて、患者同士のネットワークで話が広まった。即ち、この街は今、未曽有の危機に晒されている――。
 自然発生的に広まりかけた終末思想。街の中枢部が標的とされたとしか思えない事件の起こり方に、医療機関の存在は寧ろ悪手だ。
 泥濘が高所から滴り落ちる様に始まった暴動は、しかし時を同じくして、その泥を生み出したのと同種の存在によって堰き止められた。

 それは異国の美麗な神父。
 日本人以上に流麗な言語を操り、極限状況に陥った病院内で深い自信を以て安全を説いた彼は、いっそ静謐な印象すら漂わせていた。

 神父が説いた神の救いと言う名の安心剤は、さながら人体を蝕みかけた毒を浄化するかの如く浸透した。
 医療従事者も含め、大病院のあらゆる人物は彼に心酔した。感情の無い薄い口裂に従い、今や病院は諸々の装飾が施され、"神の家"と呼ぶべき様相を呈している。
 今も神父は爽やかに笑みを浮かべ、信者達と談笑していることだろう。
 そしてそれを、歯ぎしりしながら遠くから見つめる人物が一人。
「おのれミカエル――いや天使共!その様な姿でのうのうと――!」
 青白い唇から漏れる声色は呪詛の調べ。しかしどこか空気が抜ける音が聞こえるかと思えば、その人物の口蓋は割れて鼻腔と繋がっている。
 奇形の男――。見れば男の右手は指が6本で、左手は指同士が分離していない。靴の中に隠れて見えないが、恐らく足趾とてそう違いはあるまい。何故ならその髪の色は白く、口からだらりと垂らされた舌は縦に真っ二つだ。眼球は一つでこそないが、恐らく他にも多くの奇形疾患を抱えていることは想像に難くない。
 そして、彼の口から吐き出された呪詛に挙げられた"天使"及び"ミカエル"という言葉が示す事実。

 即ち、奇形の男も、異国の神父もデジタル・モンスターであるということ――。

「二度と笑えない様にしてやろう。認められるものかよ……私だけがこの様な醜い姿に堕とされ、貴様がのうのうと美しいまま栄光を手にする等――!」
 奇形の男が笑うと、その姿が瞬く間に変質する。黒色の産毛が辺り一帯に撒き散らされ、神聖な土地と化していた大病院の敷地を漆黒で塗り替える。
 聖邪で述べるならば、このデジタル・モンスターの属性は紛れも無く邪だ。敷地を包囲する漆黒の獣毛は津波の如く陣地を攻め上がり――白い教会までは呑み込めない。
 だが、鬩ぎ合う境界に認められる色調は、灰色などと呼ぶべきではないだろう。あたかも"元よりそれらは一つのものであった"かの様に、不可思議なマーブル模様を形成し、音もなく鬩ぎ合う。
 常識で考えてありえないことであり、且つ聖なる力と暗黒の力が混じり合うなど、"明けの明星"以外にあってはならない事である。
 ならば、この邪なる者は一体どのようなデジタル・モンスターか。
「――ライトニングスピア!」
 顕現を終えた黒き獣の姿から投擲された雷の槍も、聖なる輝きの残滓を窺える。通常の雷の数倍のエネルギーを保有するそれは、大病院の周囲にドーム状に設置されているであろう結界に阻まれる。
 建造物その物に被害こそなかっただろうが、しかし先の災害を想起させるに足る衝撃が中の人間を襲った。

○○○○○

「おいおい、冗談だろ……!」
「ん……大体分かった。私と後輩の蜜月を邪魔しおって……行くのか?」
 激しい揺れを感じて飛び起きた。恐らくどこかでデジタル・モンスター同士の衝突が起きたのだろう。第六感の様な感覚が、そのエネルギーの方向を伝えてくる。
 そしてそれは、大病院の方向。昨日クラヴィスエンジェモンに注意を促された"天使長"が居座る場所だ。そして奴等が"戦争"だと言っている以上、ミカエルと戦闘しているのは同じ天使ということもあるまい。
 そうなると、さて。リスクを冒してでも、デジタル・モンスターに加勢して天使を削っておくべきか。クラヴィスエンジェモンが味方に付いた以上、彼を先輩の護衛に残し奇襲を仕掛けるというのもアリだろう。
 それに、ともすれば桐彦も同様に天使長に殴りかかりに行くかもしれない。彼だって、今の波動を感じ取っていることだろう。ならば少し、悪巧みをしなくちゃならない。先輩に嘘を吐くのは心苦しいが、まあちょっとだけだし許してもらおう。
 時計を見れば12時と少し。とりあえず桐彦の携帯に「とある内容のメール」を送り――あいつのことだ。どうせ準備は進めているだろうが――その後電話をかけてみる。
「大病院の方で暴れてるみたいですね。多分昨日聴いたセラフィモンと、他の誰かです。まず桐彦の安否を確かめて、その上で機を合わせて突っ込むか静観するか決めようと思います」
 しかし、無機質なコール音が鳴り響くばかり。安否の一つも悟らせないのだから困ったものだ、という風体で肩を竦める。
「出ませんね。まあ一先ず行ってみます。あいつのことだし、どうせ何らかの形で絡んでくるでしょうから」
 先日助けられた返礼をしなければならないだろう。言外にそう匂わせる。
「それはそうだろうが……その、大丈夫なのか?」
「何がです?」
 先輩は何やら酷く不安そうだ。それは以前彼女が言った様に自分が襲われる心配ではなく、俺の身を案じての事なのだろう。互いに吊り橋効果があったのは否定できないが、俺が先輩に縋っている様に、先輩も俺を自分より優先しかねないのだと、俺には理解できる。
「だってお前、そのセラフィモンは、今のデジタル・モンスターとは比べ物にならないぐらい強いんだろう……?桐彦だって、見えている地雷に態々突っ込むとは限らない。……最悪、逃げてもいいんだ!ルイだって言っていたじゃないか!」
 きっと、今の彼女は俺の喪失を何より恐れている。しかし現場にいれば俺の枷になる事は間違いない。俺は俺で、彼女を喪うことだけは決して認められない。だから。
「大丈夫ですよ。俺は絶対、どんな奴にだって負けはしません。先輩さえ傍にいてくれれば、真実俺は無敵なんです。……現実的な事を言えば、昨日の一件で……俺も大分デジタル・モンスターに――いえ、むしろ往時のベルフェゴールに近付いた自覚があります。勿論先輩への想いを失うことなんてありません。安心して……ね?」
 先輩を抱擁し、彼女の恐怖を和らげると共に俺もエネルギーを貰う――無論、比喩的な意味で。いやドレインとか。できないから。それ色欲の、リリスモンの領分。
 抱きしめて背中をさすること数回。俄に調子を整えた先輩はたちどころに準備を整え、俺を玄関先で見送ってくれた。
「とりあえずクラヴィスエンジェモンへの説明はお願いします。俺が飛び出すのを見れば接触してくるでしょう」
「ああ、任せておけ。相手を煙に巻かせたら私の右に出る者はいないさ。その代り、帰ってくるって約束してくれよ?」
 差し出された蠱惑的なその細指に、俺も小指を絡め合わせる。
 同時に翼を顕現させ――どうせ見ている者もいないだろう――玄関先より跳び出す。目指すは大病院。進むにしろ退くにしろ、"面倒"は一・二時間で終わらせるつもりだ。貴重な情報源である"ベール"との邂逅をふいにすることもない。
 速度を漸増し、正に目的地に達しようとした瞬間、総身に走った嫌悪感と、もう一つ、落雷を浴びたかの様な衝撃。身体の奥から湧き上がる――愉悦。
 ふと口元に浮かべる嘲笑。その嘲弄は、卑近にして高遠な彼の王こそが、あらゆる神魔を体現しているのだと確信する故。
 眼下には、病院を背に圧倒的な力の天使と、そしてもう一体の、堕天使と思しきデジタル・モンスター。
「ああ、何だ。天使も一枚岩じゃないみたいだな」
『嗚呼、何だ。天使(アレの被造物)も所詮ルシファーには及ばんな』
 自らの裡に聞こえる声は届くまいが、眼下で争う二体のデジタル・モンスターには俺の弄声は届いたらしい。
 雷の槍と光弾を撃ち合いながらも、その二体が上空を、こちらを見上げる。
「何用ですかな。既に魔に侵されつくした少年よ。ディバインブレーカー」
 堕天使への攻撃の手を緩めずに、天使の背から無色透明な破壊の権化が顕現する。
「怠惰のベルか……天に仇名すと言うならば都合が良い。そこな熾天使を討て!」
 白銀の意匠を鎧う熾天使(セラフ)――セラフ・ミカエルことセラフィモンに……もう一体は何だ?
 こちらに向かってきたエネルギー塊を氷の火柱で粉砕しつつ、ベルフェゴールの"記憶"に埋没する。
 獣の姿の天使……堕天により大きく姿が変わることはままあれど、ウサギの様なその姿は酷く歪だ。複数の神魔が混ざって変質した"デジタル・モンスター"という存在でも、どこか特別な雰囲気を感じる。
「怠惰らしく、面倒ごとを片付ける算段でな。チート臭いお前を削りに来たってだけだよ。まずは受け取ってくれ、ランプランツス!」
 叫ぶと共に、セラフィモンの頭上から炎を纏った鎖を急速落下させる。この鎖、今では本数も出現場所も自由自在だ。場所まで自在となると戦い方が自然とバルバモンに似てしまうだろうことが業腹ではあるが……。
「ヘブンズゲート」
「二つは開けまい!――廻れ炎の剣!」
 氷の火柱が位相のずれた「どこか」へと逸らされるが、堕天使――口にした得物から察するに"ケルビム"が核となった"ケルビモン"と言ったところか――が好機と見たか、その逸話に語られし自転する暴威を解き放つ。
「ふむ。その炎は効きませんな。この身は同輩全てを内包するもの。たかが智天使の炎では、火傷の一つも負いませんよ?」
 ケルビモンを中心にして迫る清冽な浄化の熱波をセラフィモンは唯涼しげに受け流す。
 球状に広がるその熱は、大地や建造物を破壊することなく上空の俺にまで迫りくる。
「おいおい無差別かよ。もう少し分別ないのか堕天使」
「黙れ。天に弓引く魔王など、元よりいずれ殲滅する相手だ」
 堕天使は否定しないのか。
 ケルビモンは既に俺の方を見ていない。不可視不可避且つ全方位攻撃の武器なのだろう。そして魔に連なる者への特攻を兼ね備えた得物。エデンを守護した自律武具だ。それ位は当然と言うことか、しかし。
「逃げ場がないからって越えられないわけじゃないんだよ……なっ!」
 バルバモンとの戦闘を経た今の俺には大した脅威でもない。 
 熱波の通り過ぎる前と後に同時にゲートを開き、熱波が自分に届く前に、中から呼び出した鎖に「自分を引っ張らせ」る。全身が一瞬異次元を通り視界が歪むが、なんてことはない。普段鎖を射出する経路を、自分が逆向きに通るだけのことだ。俺の道具が無事で、俺が無事でない筈がない。
「ほう。転移までしてのけますか」
 後は入り口と出口を閉じてやればいい。炎の剣は目標を散らすことなくその勢いだけを霧散させた。
 先日バルバモンがやってのけたのも、大方地獄かそれに類する所を経由しているだけで同じ様な原理だろう。癪に障るが、アレとの戦闘は明らかに俺の力になっていた。
「賢し気に小細工を弄するか。今代の怠惰は怠惰らしさがない」
「生憎ダメージを負う方が面倒でね」
 それに俺の目的は別にある。今や、この中でも格としては三下に等しいケルビモンの言葉など適当に聞き流しておけばいい。
「目障りなんだよお前ら。天使だろうが悪魔だろうが戦争だろうが知ったことか。俺達の邪魔になるなら全員ぶっ殺してやる」
 狙うはセラフィモン。転移の勢いそのままに、怠惰の王の右腕がその兜を捉えようとして、天使長の左腕に阻まれる。
「成る程重い。スラッシュエンジェモンを屠るだけのことはありますな」
「――そのスラッシュエンジェモンなら、これ一発でいい感じに死にかけてたんだけどな!」
 件の剣天使と違い、白銀の鎧は傷一つ付いていない。信仰による最盛期の力とはこれ程なのかと内心戦慄しつつ、相対する二体と距離をとる。
「さて、自慢の剛腕も形無しですが……いかがなさいますか?幾ら往時の力を取り戻したとは言え、私も未だここを離れられぬ身。疾く立ち去るならば、今暫くはあなた方の生存を目こぼしして差し上げますが……」
「今の今まで貴様に好き放題させてやったのはこちらの方だ」
「言われるまでもないな。怠惰らしく言ってやろうか?お前らデジタル・モンスター共ぶっ殺さなきゃ、枕を高くして眠れないんだよ」
 我ながら威勢の良い啖呵だ。しかし依然として奴の力がこの中でも格別抜きんでているのは明白。今でこそ奴は背後にある病院への攻撃を牽制しつつ戦っているが、これが被害を気にせずこちらを仕留めにきたら太刀打ちできない。

 だが、構わない。もとより俺の目的は「陽動」だ。

 クラヴィスエンジェモンや先輩には一言も言っていないが、俺はこのセラフィモンを、微塵も驚異に思っていない。
 『信仰によ』った『往事の能力』?――何だそれはくだらない。リリスモンもルイも口にしていた『信仰』や『畏怖』という言葉。詰まるところ、そんなものは人間という弱者に依存する不安定に過ぎるものだ。
「そりゃ勿論、紀元前から続いたりすれば集合無意識に刻まれて、固定化されもするだろうけれど――」
「……一体何の話をしているのです?」
 この『戦争』、開戦の号砲となったのはリリスモンと俺の局面だ。となると、セラフィモンがいつから活動していたかは知らないが、信仰を集めるようになってから、さして日は経っていないはずだ。
 だからこそ、この一手が通用する。

「兄貴が傲慢だと、弟は慢心すんのかね?ハッハハ、そこんとこどう思うよ?」

 唐突な闖入者の笑い声が響き渡る。天使は焦燥感を、堕天使は訝しさを、そして俺は「ナイス!」を視線に乗せて、病院の正面玄関からゆっくりと歩み出てくる桐彦を見やる。
 しかし、もう手遅れだ。未だ人間の姿のままの桐彦が指を鳴らす。
 刹那、湧き上がる爆音。アラート。悲鳴。そして断末魔。
「さあ。俺に言わせりゃ、連中全員、アホほど傲慢だけどな」
「ちげえねえ。だがまあ、オーダー通りだろ、針斗サンよ?」
「やり過ぎだバカ。こうなると思ってたから黙って出てきたけど、それにしたって過激過ぎるわバカ!」
「うっせバーカ!これでも大人しめだよタコ。大体テメー『1時間以内にセラフィモン片付けるから仕込みヨロ。陽動は俺がするわ』って何だオイ?どんだけ頭脳労働したくねえんだハゲ!この脳筋野郎が」
「しょーがねーだろ、2時に約束があったんだよ」
 デジタル・モンスターという化け物になり、今までの俺と今の俺を繋ぐのは先輩と桐彦だけだ。
 だからこそ、病院でセラフィモンを信仰している一般市民など、俺にとっては喪われても些かの痛痒にもならない。
 だったら、いっそその力の源になっている彼等を、セラフィモンに気取らせず潰してしまえばいいーー。勿論先輩の知り合いなんかがいたりもするかもしれないし、ドン引きとかもされたくないからおおっぴらには公言しなかったが。実際、昨日クラヴィスエンジェモンからセラフィモンの力の源泉を聞いたときから、この攻略法は頭の中に浮かんでいた。
 尤もセラフィモン自身、それが自信の弱点となることは重々承知していただろうし、戦闘中も病院を攻撃する余裕はなかったがーー。
「魔王同士が協力することはないと思いこんでたのがお前のミスだよこのハゲ」
 そう、桐彦の言うとおり、俺達はツーマンセルだ。しかも幸いなことに、セラフィモンの注意を引く敵がもう一柱いた。ここまでくれば、人間の姿のままの桐彦が病院内に潜入して、セラフィモンが庇護を与えることに寄り獲得した信仰を崩してやることは簡単だ。
「でも俺ら人間だから魔王じゃないし、この手筋読めなくても仕方なくね?」
「それもそう……いやいや、イレギュラーも想定できないのに天使長とか務まるんすかああああ!?臍で茶が沸いちまうぜ!」
「なーる。そりゃ確かに言えてるわ。クレバーさが足りないな」
「あなた方」
 嘗て天使長であった者の肩が震え、大気が振動し、大地が鳴動する。極大の赫怒。
「嘗て人であったあなた方が同族を害した罪は大きいですよ?」
 穏やかな声色は変わらないが、内に籠められた意味は明白だ。
 断罪をーー。彼はそう、俺たちと同じ土俵に降りてきて尚、無慈悲に鉄槌を振り下ろせると確信している。
「こちとらベルゼブブに一片喰われてるんでな。ある意味人間じゃねーわな。しかも喰い返してるし、格としちゃ同じ様なもんだろ。やれると思うならかかって来なよ。石頭のミカエルサン?」
「そうそう。つか、人間様に害をなす時点でお呼びじゃないっつーか。そもそも神魔幻想皆悉く、この時代には不要なんだよ」
 空気は一触即発。セラフィモンは急いで病院の救援に向かわねばならないし、第二ラウンドの火蓋が切って落とされないのは偏に牽制球を互いに放っているからに過ぎない。
「良いでしょう。主はあなた方をお許しにならない。偉大なるお方の嘆きを目の当たりにせよーーアセンンションハーー」

「ーーふざけるな!貴様等!この状況下で何を争っている!」

 瞬時に編まれた雷雲が、文字通りの横槍によって霧散する。下手人はケルビモン。槍を投擲した姿勢のまま激昂する彼だが、俺たちはともかくセラフィモンすら歯牙にもかけない。無理からぬ話だ。何せ『ケルビモン』について一切前情報を持たない俺でさえ、まるで駄々をこねる餓鬼だ、という印象しか抱かないのだから。
「堕天こそすれ!このような姿に堕とされこそすれど!私は善の体現を忘れたつもりはない!彼等のーー非戦闘員の命を奪うな!見捨てるな!今すぐ救いにーー!」
「ーーお黙りなさい。そうした名誉欲、功名心こそが堕天の原因であると何故理解できないのですか」
 今でこそ分かるが、堕天の原因は様々だ。
 姦淫を働く。
 暴食を為す。
 強欲を抱く。
 怠惰に堕する。
 憤怒に染まる。
 嫉妬に狂う。
 傲慢を示す。
 程度の差こそあれ、そして審判の機会は気まぐれだが、彼等の主の意にそぐわぬ欲を抱いてしまえば、既に天使の資格はない。
「貴様こそ黙るが良い!嘗ての上司であれ、今生にてそれを引きずることはない!弱体化した貴様の言霊は私には通用せんぞ!」
 この智天使の堕天は、即ちそういう理由だろう。人であろうと天使であろうと"試す"のが大好きな彼等の主に従わず、麗しき容姿を得られぬ嫉妬に狂っていた。神話に語られるだけでも、天使と人間、そして獅子と鷲の顔。四つもの頭を有するチャリオッツの御者。これ異常ない異形であり、いと美しき上級天使とは段違いだ。それを受け入れられたか否定したか。彼は後者で、そのために聖性を保ったままデジタル・モンスターに新生できなかったのだろう。
「以前より感じていましたよ。この身に渦巻く同胞全てが証明している。あなたの嫉妬の視線。傲慢の精神。『何故自分がこの様に醜いのか』『自分こそその麗しき姿、輝かしい第一位に相応しい』。遙かな昔より、その胸にはそれだけがありましたね」
「やめろ……貴様っ!忌々しいその口を閉じろ……!」
 みるまにケルビモンの存在感が薄くなっていく。彼自身の感情の激化により、これまでにない程その力量は上昇しているのに。
「己が罪より目を逸らし、殊更に善行に拘泥する。あなたのそれは、独善というのですよ?堕・天・使?」
「~~~~~ッキ様ぁあああアアaaaaaaaa……!!」
 全く不思議なことではない。ルイは素で。バルバモンーーアモンは狂気で。デジタル・モンスターとして顕現できるのは、常軌を逸した力が必要だ。それは戦闘力ではないーー想いの、心の話だ。
 ケルビモンが現在まで確とした自己をもって存在できたのは、偏に彼が寄っていた「偽善」故だ。善行を積み重ね獲得した、誤った聖性を持った己への自認。上位の天使にそれを引き剥がされ、ケルビモンは今、急速に自壊している。ほどなく集合無意識の海に塵と消えるか、この場の誰かに統合されるだろう。しかし、それすら叶わない。
「最後ッ屁されちゃたまんねえやな。一足先に逝っとけ雑魚」
 視線も向けず放たれた桐彦の魔弾。おそらく必中の弾丸で以て狩人と契約した悪魔も統合されているベルゼブブのそれは寸分違わず標的の眉間を穿ち、完全にケルビモンは消滅する。
「随分と容赦が無い。人間の意識を保ちながら、やはり、堕天使より更に深い深淵へと堕しているらしい」
「だぁら、ごちゃごちゃうるっせえんだよ手前ら」
「そうそう。これも"戦争"だろ?悪く思うなよ、ってな」
「ふふ、ふふふふふ、ふふっ。ええ、ええそうですね。どうやら私も、未だ腑抜けていたようです。活を入れてくださって感謝しますよ。ああ、脆弱な人間風情の守護など、そもそも私の仕事ではなかった」
 格下で、しかも堕天したとは言え嘗ての同胞を蹂躙され、そのことについて文句の一つもない。それどころか、心底可笑しそうに笑みを漏らしている。
 成る程、今更見透かしたところで意味もないが、こいつの病理も見えてきた。冷静に力を蓄えていたかと思えばそうでもないらしい。やはりどこか、デジタル・モンスターと化した神魔は歪んでいる。
「私の役目はーー裁くこと!偉大なるあのお方の意に反する者悉く、蹂躙し、悔恨させ、懺悔の儘に裁くのみ!堕した人間共を狩り!」
 神への愛で燃え盛る天使が、神の創りし似姿たる人間を裁きの対象と見なすーーいやそもそも、天の裁きとは、奴等の崇める主上か、或いは特別権限を与えられた"サタン"や"マステマ"の専売特許だ。最高位とは言え、天使が神の代理として"独断で裁きを下"すのはお門違いにも程がある。そう、兄の様に"傲慢"が過ぎると言うものだ。
 レゾンデートルの誤認。混ざった魂がそうさせるのか、軽年劣化した精神がそうさせるのか。昨日悪魔との契約で受け取った知識からは、奴がサタンやマステマを統合しているかまでは分からないが……。
「あなた方を滅し!初めの反逆者たる兄を下し!この地に嘗て栄えた千年王国を再び作り上げるこーーなんだと!?」
 ふいに口上を停止させたセラフィモンの仮面は、今まで所在なさ気に漂っていたケルビモンの魂、その残滓に焦点を当てている。先程までの興奮した様子はどこにも感じられない。
「おいおい、どーしたよ?」
「……。……」

 俺もセラフィモンも、何も言い出せない。余りに不可思議だったのだ。ベルフェゴールより引き出した知識・記憶ーー神魔の世界での常識。それに照らし合わせても、自然発生的には起こりえない現象が、目の前で生じたのだ。

「バカな……そんな気配、微塵も……ッ!」
「だから何だっての、お前等二人とも急に押し黙りやがって」
 桐彦だけが、この状況を異常と認識していないのだろう。ベルゼブブが力以外全てを道連れに消滅したと言っていたし、そのはずだ。
 放置され、現実世界で暫く漂って集合無意識の海に流れ着き、そこで霧散するはずの魂魄が、『明確な方向性を以て地面に沈んだ』のだ。そこに何者かの意志が介在していることは間違いない。
「どうやら、我々の脱落を心待ちにしている蜘蛛がいるようですね」
 セラフィモンの言う通りだ。この"戦争"の終盤まで、穴熊を決め込んでいる奴がいる。早々に出てこないのはこちらとしても有り難いが、虎視眈々とこちらを狙う牙を研がれては堪らない。
「だったらどうするよ?休戦協定でも結ぶか?」
 それに、この異常の原因に心当たりもある。先日リヴァイアモンが逃亡した経路ーー地下の大空洞。それがこの真下にもあるはずだ。そこを辿れば、少なくとも穴熊野郎の手がかりにはなるだろう。
 もしもそれが、これまで誰も気付いていないだけで脱落したデジタル・モンスターを一カ所に集めているものがいたとすればーーここでセラフィモンを落とすのは得策ではない。
 セラフ・ミカエル元来の格は最上級だ。弱体化させたとは言え、放置してもそうそう落とされはしないだろう。但し、戦略を誤ったセラフィモンに、もはや挽回の目はないが。桐彦ーーベルゼブブと組めば、いや、クラヴィスエンジェモンーーヴァーチャーと組んでも苦もなく勝利できるはずだ。なんかあの変天使無駄に強いし。
 そしてそれは、セラフィモン自身も理解しているはずだがーー。
「まさか。我ら天使で事足りる。如何な存在とて、我らの刃から逃れられはしません」
「おい針斗、なーに二人だけで通じ合ってんだ、俺にも説明してくれや」
 どうやら矜持に殉じることを選んだらしい。歪んだレゾンデートルでも、今現在、奴の軸であることは確か。覆すことはできないだろうからーー予定通りここで潰そう。
 隣の桐彦にも説明しなければならないし、ルイとの約束の時間も迫っている。
「悪ぃ桐彦、勿論説瞑するが、それもアイツ殺してからだな。付き合ってくれ」
 まったく、デジタル・モンスターの数を減らすつもりで出てきて、いたずらに討つ訳にはいかなくなるとは、何とも人生は儘ならない。
「当ッ然、任せとけや」
 頼もしい笑みと共に放たれた弾丸が、再びの開戦の号砲となった。
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