ChapterⅡ -The Power- - ぱらみねのねどこ

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ChapterⅡ -The Power-

作意的に人払いの為された裏路地。リリスモンは怨磋の言葉を漏らしながら歩みを進めていた。左腕で庇う様にしている右腕は既に若干の修復を始めおり、砂塵の様な何らかの粒子が周囲に渦巻いていた。
「随分と派手にやられたようだな。色魔」
「――ッ!!」
 それは自分に手酷い傷を負わせた真原 針斗に対する怒り故か、或いは傷の修復に気を取られていた為か。何れにせよ彼女は、その人気の無さを疑問に思ってはいなかった。そしてそれは、先日針斗の肩にぶつかった壮年の男の接近を許す結果となった。
「何のつもり?スラッシュエンジェモン」
「いや何、彼らも見過ごす訳には行かぬが――先ずは君から仕留めようと思ってね」
 リリスモンが問うと、男は鎧を着込み、全身を刃で武装――否、全身が刃である――した姿に変貌を遂げる。頭部は兜で覆われ、目元を隠したその姿は無情な処刑人を思わせる。また身に纏う清澄な闘気は、しかし同時に僅かな綻びから崩れ去りそうな危うさも兼ね備えている。
「期せずして、君達が開戦の狼煙を上げてくれた。卑怯とは言うまいね?これも戦争だ。弱った所を狙い撃ちにされるのは、当然だろう?」
 スラッシュエンジェモン――能天使を模したデジタル・モンスター――は俯いたままのリリスモンを後目に続ける。
「既に蠅王と一戦やり合った後だが――問題はあるまい。私も、君と同じく我慢強い質ではなくてね」
 露出したスラッシュエンジェモンの口元がニヤリと笑う。
「このッ……パワー風情が――舐めるなァ!」
「アスモデウスの権能も取り込めていない君が、剣王としての識能を取り込んだ私に敵うとでも?」
 リリスモンの激昂と共に放たれる影を、刃が正確に斬り刻んでいく。ニ体のデジタル・モンスターの激突は、余波だけで辺り一帯を無惨な姿に変えて有り余るものであった。

○○○○○

 俺は先輩に連れられるまま十数分歩き続け、気付けば公園――リリスモン曰く、俺に対する"餌"を用意したというところ――に辿り着いていた。死体が発見されたばかりとあって、本来はそこそこ人気はあったはずだが、そうした野次馬根性を持った奴等は美術館の騒動に吸い寄せられたのだろう。もうすぐ昼になるような時間だというのに、人気は全く無い。
「後輩ッ!お前!私がどれだけ心配したと――!」
 太陽こそ照りつけているが晩秋の現在では少し肌寒いぐらいだと、俺はそんなことを考えていたが、先輩が俺の肩を掴んで怒鳴りつけてきたことで思考を引き戻される。
「貴女こそ、一体どうしてあんなところに――!」
 そう。一歩間違えば先輩もリリスモンに殺されていた。彼女を喪うことを考えると、それは俺自身の命が失われそうになった時の感覚よりも数段以上恐ろしく、何故か右腕が疼いた。
「後輩、お前また、その腕――」
 先輩の視線を追ってみると、俺の腕は再び怪物のそれに変化していた。しかしそれは、少しばかり怯えた様な彼女の顔を俺が認識すると直ぐに元に戻った。よく分からないが、今の所腕の変化は成るのも戻るのも先輩関連の出来事か、もしくは戦闘がトリガーの様だ。
「気の所為……ということはないだろうが、まあ戻せるなら良い。それで、どうして私があの場にいたか、だったか?」
 そこで彼女は言葉を切る。どうにも言い辛そうに視線を彷徨わせていたが、胸の前に手を遣って続けた。
「それは、その……渡部にお前が何をしていたか報告するように頼んでおいたから……」
 気まずそうに指先を弄ぶ先輩。ちょっと可愛いと思いや駄目だやっぱ怖えよ。アイツを寄越したのは唯の偶然か配慮かだと思っていた。……あまり先輩には逆らわないようにしよう。
「――そうだ、桐彦は」
 と、そこで桐彦の安否に思い至る。ここまできて漸くな当たり、やはり俺は冷静になれたつもりでいて未だに動転しているのだろうか。
「ああ、大丈夫だ。お前を送り届けて直ぐに離れたらしい。私が着いた時より五分ほど前だったから巻き込まれてはいないだろう」
「そうか、良かった――」
「――それよりも、だ。まあその腕やらあの状況やらの説明は求めん。顔を見るにお前も分かっていないようだしな。これからどうする。あの場に生き残ったマスコミはいなかったが、私もお前も生き残りに顔を見られている。全て忘れて今まで通り――何て行かないのは、確認するまでもないが、分かってるよな?」
 確かにその通りだ。人が死んでもカメラは残ってるだろうし、あれだけのことがあって――馬鹿正直にありのままが報道されることはないだろうが――俺の素性がバレないはずがない。それどころか、こんな風にちょくちょく変化してしまう腕を持ったままではまともな生活もままならないだろう。
「とりあえず、何処かに身を隠すしかないでしょうかね。ほとぼりが冷めるまで――まあ冷めるか分かりませんけど、こんなこと警察やら何やらでも対処できないでしょうし……」
 それにまたリリスモンが襲撃してこないとも限らない。あの口振りでは奴以外にも同じ様なのが居るのだろうし、安全を考えても一カ所に留まるのは得策ではないだろう。
 それに、先輩は才媛ではあるが、こんな化け物――俺自身そんな存在になってしまったということに少し目眩の様なものを覚えるが――同士の戦いに巻き込んでよい筈がない。先輩の身も案じての発言だったのだが、しかし。
「甘く見るなよ。私を置いて行くつもりか?確かに私では非力過ぎるかもしれないし、お前の足手纏いになるかもしれない――でもな?
 私はお前の先輩で、それ以前に恋人なんだから。お前の身を案じて付いていこうとするのは当然だろう」
 しかし彼女は付いて来てくれるという。そんな返事をどこかで期待していなかったとは言い切れないが、それはとても有り難く、そして思っていた以上に嬉しかった。
「でも先輩。実際問題こんな状況で――俺は貴女に着いてきて欲しくない。勿論その気持ちは本当に嬉しいですし、今にも感極まって泣きそうな程ですが……」
「いや……すまん。さっきの言い分はどうも違うな。こんな言い方は卑怯かもしれないが――」
 先輩は一歩俺に近付くと、そのまま俺の首に両腕を回してきた。肌寒い寒気の中で、その細い身体の温もりが感じられる。俺は思わず先輩を押し退けようとするが。
「ちょ、先ぱ――」
「――私を、側に居させてくれ……頼む……怖いんだ……」
 いつもと違うその声色。恐怖に満ち満ちたその声色は、確かに当然だ。あんな地獄に、それも俺みたいに妙な力を手に入れた訳でもなく放り込まれたんだ。
 俺の胸に預けられた彼女の身体は小刻みに震えていて。
「――大丈夫、大丈夫ですよ。一緒に来てくれますか?先輩の事は、俺が絶対に守り抜きますから」
 その痩身を抱き締めつつ、何の根拠もないのに俺はそう言った。
 そのまま彼女の震えが収まるまで抱き締め続けていたかったが、場違いな拍手の音に邪魔された。
「善き愛だ。嗚呼――やはり人間は美しい。卿等の行く先に幸有らんことを」
「何者だ」
 俺達の前に現れたのは、この世の者とは思えぬ美貌を持ち合わせた金髪の偉丈夫。俺は先輩を後ろに男の前に立ち塞がる。
「何、卿等に危害を加える心づもりはないゆえ、警戒することはない。安心し給え。加えてこの場には今、私が結界を張っている。私と卿等のみだよ。今この公園に存在している者は」
 芝居がかった口調。どうにも胡散臭い印象が拭えない偉この男だが、同時に脳裏にこれまでにない程――リリスモンに襲われた時以上に――警鐘が鳴り響く。
 これは条理の外に在る者。この世界に存在してはならぬ黄金の――混沌の施政者。堕ちた至高天。流石に神話なんかに詳しくない俺でも知っているビッグネームだが。何故この男がそれであると分かったのかは理解できない。
 そして、今の俺がコレに刃向かったとて、赤子の手を捻るよりも簡単に滅されるだろうと言うことも分かってしまった。一歩先に歩みを進めるだけで、俺が襤褸雑巾のように打ち捨てられる。そんな幻覚が鮮明に見て取れた。
 だが、この男が先程の宣言に反して先輩に危害を加えると言うならば、俺は立ち向かわねばならないだろう。
「ふむ。私が何者であるか、両者共に概ね理解できたようだな。だがその名はまだ胸の裡に秘めて置いてくれ給え。私のことは、ルイ――ルイ=サイファーと呼ぶが良い」
 俺の後ろで服が掴まれた感覚がある。そんな先輩を守ろうという決心を固めはしたが、ルイ=サイファーは何もしてこない。どうやら本当に俺達に危害を加えるつもりはないらしい。
「で、アンタ――」
「ルイだ」
「ルイは一体何なんだ。何の目的があって俺達に接触してきた。あの女と同類なのか」
「私の正体は卿等ならば理解していよう。あの女――リリスモンのことだろう?――とは、紛れもなく同類、デジタル・モンスターだ。そして今この場にいる目的は、卿等の疑問に答えるためだ。今回の狂演、私は積極的に動くつもりではないのでね」
 疑問に答える、だと?理解に苦しむが、ルイは気にも留めぬといった風体で続けた。
「卿等、今の3つの他に幾つも疑問があろう?その全てに答えてやろうというのだ。だが、この場では説明に幾ら時間があっても足りぬ。そこで――」
 ルイは懐から二枚の円盤上の何かを取り出すと、俺達に一枚ずつ投げて寄越した。その円盤には、見たこともないような不思議な文様が描かれていた。
「――護符の様なものだ。私に説明を求める事があれば、それを枕元に置いて眠り給え」
「な――おい、待て!」
「尤も、今の卿等ではまだ資格がない。せめて今日を無事に切り抜けるのだな――!」
 ルイは外套を翻して去って行った。去り際残した、こちらを試すかのような意図の言葉。それは俺の心に何か不吉な予感を残していた。そして、その予感は的中して。

 入れ違いのように、壮年の男が公園に入ってくる。男はまず俺を、そして次にその後ろにいる先輩を値踏みするように眺めてきた。
「先日の少年、か。君に用はない。退いてくれないか」
 暫く俺達の間に視線を彷徨わせていたが、どうやら先輩がこの男の目的の様だ。
 しかし解せない。未だ付近にも人気が感じられない以上、まだ先の男――ルイの結界とやらは機能しているのだろう。となると、この男もまた奴等の同類の筈だ。俺は兎も角、先輩がロックオンされる理由がない。
「これが当世の怠惰か。どうやら未覚醒の様だが都合がいい。悪く思うな少女よ。これも戦争だ。恨むなら裡のモノに目を付けられた不運を恨み給え」
「……どういう意味だ」
「アンタ、先輩に何かしよう物なら……」
 右腕が変質するのを感じる。ほう、と目を細めて男は俺の方に注意を向ける。その身体は銀を基調として青の装飾の施された鎧に包まれ、刃に変化した羽根と腕が目を引く。
「ふむ、仕組みは知らぬが、どうやら君が彼女のナイトという訳か。知らず利用されているのだろうが、その決意に敬意を表し名乗ろうではないか。
 我が名はスラッシュエンジェモン――能天使パワー!魔王ベルフェゴールをここで討つ!」
 先ずは一閃。刃が俺の首を落とそうと襲いかかってくる。常人ならば回避どころか視認すらできないであろう一撃。それを、何故か見て取れる俺は爪で弾き返す。軽い。
「流石に重いな――だが!」
 一撃一撃は軽いが、しかしどれも神速の早さで、しかも間断無く続く。向こうが両腕だけでなく羽根でも攻撃できるのに加えて、こちらは片腕だけ。迎撃が追いつかない。現状弾いてはいるがその場凌ぎに過ぎない。どの斬撃もこの右腕以外の生身で受ければ即死級の一撃である以上、避けるわけには行かない。後ろにいる先輩では1秒たりとも抵抗できないだろう。
「後ろが気になるかね?案ずるな。君を討つまで、彼女に手は出さぬよ」
「逆に言えば、俺が死んだら次は先輩だ、ってことだろ」
 スラッシュエンジェモンの剣戟は鋭さを増していく。嘗てのどこぞの剣豪が燕を切るために繰り出した、一太刀で三回同時に切るような剣があったというが、それが児戯にも等しく思える速度。同時に十太刀以上は切り込まれている。力量差は圧倒的で、このまま何も出来なければそのまま擦り潰されて終わるだろう。
 そして、俺が負ければコイツは恐らく先輩の首を取りに来る。
 それだけは、断じて認められない。
「ッ……糞が!」
 ああそうだ。認めてなるものか。守ると言ったばかりなんだ。ならば、何をしても守り抜かねばなるまい。
 だから、捌く。捌く。捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いて捌いてーー捌ききれない?それがどうした。
 刃を捌くのではなく全て受け止める。腕に少なくないダメージが入るが気にしている余裕はない。そのまま強引に振り払って敵に隙を作らせる。
「ぬっ――!」
「っらアアッ!」
 胸当てに向けて弓のように引き絞った右腕を放つ。スラッシュエンジェモンの表情は仮面で分からないが、恐らく驚愕していたのだろう。間一髪上空に退避されたが手応えはあった。見れば鎧は陥没している。急所に至っていなかっただけで、当たりさえすれば何とか通用するようだ。
「後輩!お前、なんて馬鹿な……」
「随分と無謀なことをする……」
 先輩と敵の、俺に対する呆れを含ませた言葉。当然だろう、刃を幾重にも受けた俺の右腕は肉が半分以上切られている。最早まともには動かないだろう。それだけに、先ほどの一撃を外したのは悔やまれる。
「しかし藍も変わらず凄まじい破壊力だ。片腕だけと侮るのは止めにしよう。我が全霊の一撃でもって貴様を討つ。受けよ!天軍の剣――ヘブンズリッパー!」
 上空に佇むスラッシュエンジェモンの周囲に所狭しと刃が出現する。律儀にも先輩は射程に含まず俺だけを狙っているようだが、それでもあれには防御が間に合わないと言うのだけは見て取れる。

 どうする?どうすればいい?
 捌く?無理だ、間に合わない。
 跳躍して殴りかかる?否だ、避けられる。
 防御する?耐えきれない。
 回避する?出来る訳もない。

 どうしようもないと言うのが結論だが、しかしそんな結論認めない。

 ならばどうするか。
 防御?
 回避?
 突撃?
 ――どれも否だ。無駄だ。不要だ。そんなもの、纏めて心底『面倒臭い』。

 嗚呼――まどろっこしい。邪魔だ。怠い。その様な小細工など必要ない。力だ。

 先輩を守る為に必要なのは何か――思考しろ。思索しろ。思え。不要な物を削ぎ落とせ。削れ。削れ。要らぬと。この想いさえあればいいと。想え。

 こんな訳の分からない力を手に入れた他人に畏怖された人殺しの俺を助けてくれた受け入れてくれた頼ってくれた認めてくれた彼女を先輩を守ると――強く、強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く!もう誰も、天地開闢より未来永劫、過去も未来も現在もこれより強い想いを抱く者などいない程に強く――!

『貴様が力を振るうとあれば是非もない。我はそれすら面倒だ』

 見上げれば、幾千の刃は俺をめがけて射出されている。しかし、コイツの、スラッシュエンジェモンの攻撃はこんなに緩慢だったろうか。
 生身で受ければ絶命必至の刃は全て恐るるに足りない。
 俺は、それを知っているかのように。正しくそれは自分が生まれた頃から慣れ親しんだ行動であるように、新しい力を、動かずして暴虐を解き放つ。
 背後の何もない空間から鎖を射出する。邪炎を纏った二本の鎖は絡み合い、ヘブンズリッパーの刃の波を抜けその主に絡み付く。俺の攻撃手段が近接攻撃だけだと想っていたのか、拍子抜けする程簡単に捕らえられた。
「ベルフェゴール、貴様!都合のいい覚醒を……!だが忘れるなよ!現界を果たしているのは私だけではない!いずれ高位天使が貴様を――」
「――もう良い。喚くな、『面倒だ』。この力もお前等の正体も意図も何だって良い。先輩を狙うなら俺が潰す。絶対にな――ランプランツス」
 鎖が纏う邪炎が極大の冷気を纏って膨れ上がる。その半径はヘブンズリッパーの攻撃範囲を全て覆い尽くして余りある。立ち昇る氷の火柱は刃を蒸発させ凍結させながらスラッシュエンジェモンまで到達。瞬く間に悲鳴ごと凍らせて消滅させた。
 鎖を引き戻すと、最早スラッシュエンジェモンがいた痕跡は塵一つ無かった。しかし俺自身消耗が激しく、右腕からの出血だけではないだろう原因の体力の喪失が全身の倦怠感を呼び覚ましている。
「後輩、お前、右腕は――」
 自分の命まで狙われているというのに、俺のことを真っ先に心配してくれる。ーーもう駄目だ。立っているのもやっとの状態だが、この場で言ってしまおう。
「先輩、俺は貴女の為ならどんな敵だろうと討ち滅ぼして見せます。今みたいな化け物でも、他の人間の悪意でも。それこそどんな犠牲を払っても。貴女さえ居れば俺にはそれで良い」
「後輩、何を――」
 こんな状態になってしまったのだ、二度と普通の生活には戻れないだろう。さっきまでは嘆いていたけれど、最早それでも別に構わない。この力で彼女を守れるのならば、彼女の側に居られるのならば、他は全て煩わしいだけだ。
「誓おう。貴女になら、手でも胸でも、命でも差し上げる。
 俺からも聞かせてください。これから先、俺はもっと化け物じみたモノになるという予感がある。それでも、貴女は俺を側に置いてくれますか?」
 普通の人間としてこれまで積み上げた物は全て無に帰すだろう。だから俺は、今ここで手に入れた物に、化け物としての命全てを捧げよう。生まれたての雛に刷り込みをしたようなものなのかもしれないが、それがどうした。彼女を愛しいと思う気持ちは紛れもなく本物だし、ならばそこにどんな弊害があろうと関係ない。
「馬鹿げたことを聞くな。私はお前を見捨てたりしないよ。私も誓おう、お前がどんなになろうと受け入れる。私だけは、お前を決して畏れない、排斥しない。安心しろ」
「そう、ですか……よかった……」
「取り敢えず帰ろう。な?それからのことは後で考えよう」
 俺は力尽きて倒れ込み、先輩に抱き止められながら意識を失った。

○○○○○

 目を覚ませば、名も知らぬ白い花が敷き詰められた大地に横たわっていた。
「知らない天井だ……」
 などどふざけている場合ではない。そもそも天井の様にも見えるほど黒一色で染められた天蓋には星の光すらない。起き上がって見渡す限り、天と地が黒と白に染められた光景が延々と続いていてこの空間が非現実なものであると否応無く理解させられる。
「お目覚めかね?夢の中でも眠るとは器用な男だな、卿は」
 目の前に音もなく降り立った金髪の偉丈夫。その男は先程公園で出会ったルイだった。
「枕元にあの円盤みたいなものを置いた覚えはないんだけどな」
「ふむ。そこは私の預かり知らんところではあるが……」
 この男は顎に手を当て思案するその動作さえ様になる。この白と黒の相反の風景に相まって、この男はいっそ神々しささえ感じさせる。
「まあよかろう。そら、卿、尋ねたいことがあろう?この短期間に位階を上げパワーを屠ったことに敬意を表し、卿の疑問に答えを与えられるような講釈をしてやろう」
 ならば、と。俺はルイに質問を投げかける。
「まず聞かせてくれ。ルイは明けの明星。ルシファーで違いないか?」
「然り。今では――いや、今生ではルーチェモンと名付けられている」
 今生では?何故か出会ったときから脳裏に浮かんでいたルイの正体よりも、その言葉の方が引っかかる。
「そうだ。時に卿、この様な世界をどのようなものであるか定義できるか?」
「……」
 白と黒で完全に染め分けられたこの世界。それが恐らく、ルイ=サイファー――ルシファーの領域であろうことは何となく理解できる。だが、それだけだ。この現実とは明らかに異なる世界は、結局のところ何なのか。
「卿は他にも一つ、似たような異世界を体験したことがあろう?」
 言われ、思考を巡らせるまでもなく思い当たる節はある。まるで彩利先輩の様な白い女性が張り付けにされていたあの夢の世界。
「思い至ったようだな。卿の考える通り、この世界は私の領域だ。そして卿の考えている世界は――まあ少々面倒なことになってはいるのだが――卿の領域と呼んで差し支えはなかろう」
 あれが俺の領域?そこにも驚くが、そもそも俺はこんなファンタジーな世界の一部を担うような質じゃないはずだ。
「そうか、それで?結局こういう類の世界は何なんだ?」
 話の続きを促すと、ルイは少々勿体ぶってから答える。
「夢さ――というと語弊があるがね。フロイトは御存知かな?人類が普遍的に抱く集合的無意識。それが我等デジタル・モンスターの根源であり、即ち神魔なのだよ。そして、この世界は神魔が集合無意識の海に産まれ出でた時、それぞれの神魔に付随して生成されたものだ。いわば我々の生誕地、故郷だな」
 とすると、枕元に護符を置いて眠ることで、集合無意識の中の、ルイの領域に潜り込むことができたという訳か。一人で納得していると、再びルイが語り始める。
「では、講釈の続きだ。神魔は人類の集合無意識によって生み出されたことは理解できるな?そして私、ルシファーや、卿が妥当したリリス・パワーなどはこの神魔に該当する。しかし我々は現在、デジタル・モンスター――それぞれルーチェモン・リリスモン・スラッシュエンジェモンと呼称される存在だ。この相違を如何に説明するか、だが」
 ルイが言葉を切る。その黄金の瞳は俺をしっかりと射ぬいていて、心身をあまねく暴かれているようにさえ感じて鳥肌が立った。
「我らも、卿も、遥かな昔に一度死んだのだよ。いや、こう言うと語弊があるな。卿、神魔の死を如何に定義する?」
「何だって?死んだ?じゃあ、今俺の目の前にいるお前は何なんだ」
「さて、それは私にも分からぬよ。今偉そうに垂れている講釈も、我が友が以前私に語ってくれたものをそのまま伝えているだけなので。その我が友――この世界ではベールと名乗っているが――によれば、神魔の死とは、忘れ去られることなのだそうだ」
「忘れ、去られること……?」
「そうだ。太古の昔、人間は我ら神魔を生み落とした。そして数万数千年に渡り、我らと人は共にあった。人は我らに親しみをも、畏怖をも感じ、我らは人に手を差し伸べた」
 語り続けるルイの金色の瞳には、俺如きの十数年の人生では計り知れないような色が浮かんでいる、ような気がした。窺い知れないその表情は、憤怒とも取れたし、憐憫とも悲哀とも取れた。
「そして人は、今日に至るまで文明を発展させ続けてきた。そしてな……人は我ら神魔を邪魔だと思うようになったのだよ。
 そこからは、我らと人類の生存競争の始まりだよ……。人は我らを駆逐せんと、我らを物語――フィクションの中に押し込めようとした」
「それが、現在存在する神話やらなんやらだと、そう言いたいのか」
「然り。物分かりの良い生徒だな、卿は。教職を担うのは初めてではないが、さて、我が友は私をどのような生徒だと思っていたのかと思ってしまうよ。
 そして、だ。子細は省くが、最終的に人類は我々神魔を駆逐することに成功したのだ――。我ら神魔は人を愛していたが、人はその愛を、要らぬと突っぱねた訳だな。既に父の庇護は要らぬと、そう猛った人類は実に美しかった――と、私は思っているし、今でも人類を愛しているがな。
 また話が逸れてしまったな。そうしてその存在を人類に忘れ去られた神魔は、再び人類の発展により蘇りを遂げる――デジタル・モンスターとしてな」
「……皮肉な話だな。人類に滅ぼされて、人類によって蘇るだなんて」
 気付けば、口をついてそんな言葉が出ていた。俺自身、そうした人間の一人である――ルイによれば、俺もその人間ではないということらしいが――にも関わらず、むしろ向こうの立場に沿ったような感情をもって。
「……。ここ数十年でデジタル技術というものが人類に浸透し、それが万民の意識の中に染み渡った。結果として、集合無意識にデジタル世界という概念が新たに産まれ落ちた。当然のことだが、新たに生まれた世界にはそこに生きるものが必要だ。しかし、神魔という者を駆逐して久しい人類には、嘗ての神魔のような者らを、全く新しく産み落とす能力は失われていた。
 故、以前彼ら自身が生み出した神話――それを元に、デジタル・モンスターという生命が生み出されたのだ。自然な摂理としてな」
 そこでルイは俺を再び見つめてくる。事態を咀嚼する時間をくれているつもりなのか、それとも何か俺の発言を期待しているのか。俺の意識のどこかから湧いてくる、ルシファーという存在の特徴から考えると、恐らく後者ではあるのだろう。
 確かに、今までの話を通して考えても、まだ明らかにされていないことがある。集合無意識に存在していた神魔
が人類に駆逐され、新たに成立したデジタル世界にデジタル・モンスターとして蘇った。そこまではいい。では何故、何故――。
「どうして、現実の世界にお前達が出てきているんだよ。この世界に、デジタル世界とやらに、自分の領域とやらに引き籠もってろ。話を聞くに、蘇れただけで奇跡みたいなものだろう。俺達人間の世界に出てくるんじゃねえ。あまつさえ、あんな風に大勢を殺したり、先輩を狙ったり――」
 どうやらルイが望んでいた問いを出せたらしく、奴は口を開けば止まらなかった俺の言葉を意に介さず破顔する。対して俺は、先程は神魔とやらに同情的な思いがあったにも関わらず、今は敵対的な思考になっていることに自分でも驚いていた。
「……。……自分の思考の取り留めのなさに驚く必要はないぞ?ここは集合無意識の海だ。長くいれば、そういった弊害も起こり始めるさ。今回は、卿の今の質問に答えるのを最後としよう」
 俺の思考を読みとったかのようにフォローを入れてくる。集合無意識の中だから、理屈など関係なく読心なんかもできるのかもしれない、などと思いながら、俺は薄れ、逆に覚醒してゆく意識の中で続く講釈を聞いていた。
「集合無意識に潜る素養のある人間が希にいる。何らかの相性か、縁か。何れにせよその中でも極僅かな人数が神魔、否、デジタル・モンスターの領域に辿り着く――着いてしまう。デジタル・モンスターの行動にも各々違いがあるが、大抵の場合は精神を『食われる』。食った人間として、デジタル・モンスターは現実世界に出ていくのだ。人を殺すものがいるのはな――新たな生を受けた彼らは、畏怖を受け信仰されたいだけなのだよ。在りし日の栄光を忘れられんから、人を殺す悪か、人を守る善か――どちらかになりたがる。リリスモンは前者で、スラッシュエンジェモンは後者だな。そして私は――」

○○○○○

 目を覚ますと、今度は漆黒ではなく蛍光灯の光が目に入ってきた。
「知ってる天井だ……」
「む、お目覚めか」
「……先輩?」
 さっきの夢のことを鮮明に覚えていたので(最後はある意味寝落ちしたが)、とりあえず遊んでいると若干デジャビュを感じた。あの世界でのルイの様な感じで声をかけてきたのは俺の最愛の人で、声は俺の頭の上から降ってきていた。
「あの後お前を背負って帰ってから、あの男――ルイから連絡があってな。この家の周囲に、あの公園と同じ様な結界を張っておいたから、警察や野次馬は気にせず過ごしても構わないそうだ」
 俺の頭を脚に乗せたまま先輩は続ける。胸が無いので可愛い顔がよく見えて眼福眼pやっべ睨まれたげふんげふん。
「心配、したんだぞ……後輩」
 唐突に頭を抱き締められた。別に苦しいわけではないし、もっと恥ずかしいことを公園で言った覚えもあるので、先輩の瞳から流れる涙に気付かぬ振り大人しく抱かれていたが、頭に何か堅いものが当たっていることには気付く。
「ちょ、先輩。なんか痛い。痛いですって」
「……すまん」
 スカートのポケットから先輩がごそごそと取り出したのは、ルイに渡されたディスクだった。
「これだな……今晩辺りにでも言われた通りにしてみるか?」
 俺は先輩の手の中の小さな円盤を見て溜息を吐く。
「先輩……俺、今さっきルイと色々話してたんですよ……」
 枕元とは言われたけど膝枕でも良いなんて聞いてねえぞアノヤロウ。
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