ChapterⅧ -The Gluttony③-
さて、状況を整理しよう。敵は3体のデジタル・モンスター。これまでだったら先輩が気がかりでどうしようもなかっただろうが、今は違う。俺の力の源であるベルフェゴールが全幅の信頼を寄せていたルーチェモンが、その異名に誓って守ってくれるとそう言っている。
戦場は広いとはいえ、リヴァイアモンが気兼ねなく暴れられるほどでもないだろう。問題はバルバモンの小手先と、ベルゼブモンの機動性か。
「そんじゃ始めようぜェ! テメェのこた昔っから邪魔だと思ってたんだよ!」
「いい加減、ご退場願いましょう恋敵よ! 花嫁を手にするは私こそがふさわしいと、今ここに証明して御覧に入れましょう!1」
思った通り、巨大バイクの機動力は常識の埒外だ。地をベルゼブモンが駆け回り、空中はバルバモンの領域か。そして奴ら2人の対応に追われている間に、気付けば魔獣の顎の中、か。
「そうだな。まずクソ爬虫類にはとっととご退場願うか」
「そう簡単にいくと――」
――いくんだな。これが。
俺はピンク色の巨体に視線を向ける。
「ランプランツス・タオゼント」
洞窟を埋め尽くす氷の火柱。ベルフェゴールの無数の手足が、縦横無尽に乱立する。軌道はまだ自由自在とはいかないが、今や射出位置は自由自在だ。
「おのれ、小癪な――!」
「小癪結構。怠惰なんでね」
空から飛んでくる叱責。空中で静止せざるを得なかったバルバモンがこちらを睨んでいる。無理もない。初撃は回避したようだが、いまだに氷の火柱は燃え続けている。触れれば凍り付き、即座に燃え尽きるそれが、洞窟の至る所に突き刺さって残っている。少しでも飛行制御が疎かになった途端ジエンドだ。
つまるところ、ここは最早俺のフィールドだ。俺以外を砕き、俺だけは害さない怠惰の万魔殿[Pandemonium]。
「こンの、カ・ウ・ダ―――aaG!」
リヴァイアモンは、自らの尻尾を犠牲にして周囲の鎖を薙ぎ払ったようだ。まるでトカゲの尻尾切りだ。
「ザマァねえな! カマワニ野郎かと思ってたが、カマトカゲだったかよ!」
「あっテメコラ、俺と同じ発想してんじゃねえよっつーかさりげなく誰より問題なさそうに動いてんじゃねえぞ」
そしてベルゼブモン、コイツは何も問題にしていなかった。火柱と火柱の間を、些かの逡巡もなく潜り抜けて銃撃をぶちかましてくる。余りに精密な操縦技術だった。
「ッチ!」
ベルフェゴールと一体化している右腕で銃弾を防ぐ。
「おうおう、やっぱ防ぐかよ! 生身の部分に攻撃は通るんだな! 聞こえたかテメェ等!」
察しがいい。奴の言う通り、俺が使えるのはベルフェゴールの鎖と飛行能力、そして右腕だけだ。偏に攻撃に寄っており、本来怠惰の王が持っているべき圧倒的防御力が、俺は何故か発現できていない。
銃弾は防がなければならないし、デス・ルアーの死光線も回避しなければならない。だがその程度、今更面倒だとも思わない。
「ああそうさ。で、お前達に当てられんのかよ」
「余り調子に乗らぬことです――!」
「そう来るよな。お前のことは手に取るようにわかるぜ、『アモン』?」
背後から死線が飛んできて全身が総毛立つ。
「お前にゃまだ転移があるもんなあ。だが、俺も似たようなものを使えるんだぜ」
「くっ……人間の小僧如きがァ!」
「究極に近付けば近付くほど陳腐になるってのは真理だよな。なんだかんだと過程や修飾は異なるだけで、お前のそれも俺のこれも、結局原理は同じものだ」
本来鎖を飛ばすゲート、それを背後に展開して死線を回収、バルバモンの背後に開いたゲートから解放してやる。
「うまく避けたようだが……繰り返せばお前が死ぬぜ?」
「舐めンじゃないわよボーヤ――ロ・ス・ト・ル――」
バルバモンと転移合戦でじゃれあっていると、横合いから魔獣の大口が開かれる。洞窟内全てを吸い込み消化する大技が迫るが――。
「――残念だが、それにはインタラプトさせてもらおうか」
「m――!!!!?!?!?!???」
――広げすぎた口が先輩までも飲み込もうとした瞬間、傍らのルイが腕を一薙ぎ。それだけで、魔獣の巨体がひっくり返った。
「約束――いや、契約でね。彼女に手は出させんよ」
茶目っ気たっぷりにウィンクする金色の瞳。同時にその視線が横へ逸れる。
「ハァ!? 反則だろオイ!」
「何と……! まさか悪魔王が介入を……!?」
ルイの誘導に従い視線を向ければ、そこでは転移を止めて呆然とする"強欲"と、バイクを駆り続ける"暴食"――。両者の差は、どこにあるのだろう。
「隙を見せたな、バルバモン」
「ベルフェゴールに加え悪魔王だと! なんと、なんと恐ろしい組み合わせだ! これは勝てなくても無理はな――ガアァッ!」
助走をつけて飛行し、長鼻の仮面を力一杯殴りつけた。確かな手応えと共に、金色の仮面が砕け散った。一拍遅れてバルバモンの矮躯が洞窟の天井に吸い込まれる。陥没の跡を残しながら、翼を羽ばたかせることなく強欲の大魔は大地に崩れ落ちた。
「ガ……そう、だ、った。私は……この力にこそ……ッ!」
バルバモンの声色が、これまでのしわがれたものと変わった。
「"そうか、ならば焦がれたまま死ね"――! 末期の時になって、根源の想いを取り戻した愚かさを悼んでやる――!」
魂魄化するバルバモンの手から、デスルアーが渇いた音を立てて転がり落ちた。止めどなく流れ出る血液の如き魂の残滓は、エレベータの方向へ吸い込まれ、黒幕の所在を臭わせる。……ベルフェゴールが一言、俺の口を借りて発言したようだ。
俺はリヴァイアモンが復帰する間もなくベルゼブモンが突っ込んでくると思い構えた。しかし気付けば奴は、こちらの様子を窺ったまま死に体のバルバモンに手を翳していた。
「まだ終わっちゃいねえ、バルバモン! 俺の大罪は"暴食"だ――!」
「よいでしょう……在り方を取り戻した私もまた、貴様の罪業を言祝ごう。渡部桐彦よ。当代最も精強な魂の持ち主よ。"暴食"、"嫉妬"に加え、貴様に我が"強欲"の祝福も授けよう――!」
奴が加護[呪い]を授けた途端、ベルゼブモンの力が膨れ上がった。同時に、漂っていたバルバモンの魂が、世界から完全に消滅した。
「あぁら、そーゆー道を選ぶのね。でも、アタシはまーだ諦めないわよ? ボーヤの愛娘を――」
「クソワニ、余計なこと言ってんじゃねえ殺すぞ」
「――あぁん♡ ごめんなさいね♡ ボーヤのだいちゅきなその娘を狙わなきゃ、ルシ様は介入しないのよね?」
「ああ。それ以外、私のスタンスは始めに伝えた通りだ」
――愛娘? 愛娘だと? 誰が? 誰の?
酷いノイズだ。情報に齟齬が起きている。先輩は先輩で、俺の愛する人だ。そこに血の繋がりなど、あるものか。
「おいワニ、そりゃどういうことだよ」
「知りたきゃ俺とタイマンにまで持ち込んで見やがれって言ってるよな!」
バイクすら放り捨てて、ベルゼブモンが俺に飛びかかって来た。先ほどまでの騎乗時より、余程動きが速い。リヴァイアモンの牙も再びこちらに向かってくるものの、こちらは既に恐るるに足りない。
「お前がいると、桐彦が口を割らねえ。お前にゃ特に思い入れもないし、サクサク死んでくれよリヴァイアモン」
「やれるもんならやってみなさい、ロストルム――!」
右腕でベルゼブモンの魔爪を受け止める。想像以上に重い一撃に歯を食いしばりながら、後方から迫り来る魔獣の顎を見やる。
「俺は片手間でも対処できるって腹か!? えぇ? 針斗サンよぉ!」
「お前どうせ一人だけ離脱するつもりだろうが! そこのワニと息ピッタリじゃねえか、寂しいなぁオイ! つか、片手間に相手してんのはお前じゃねえ――」
どうにかベルゼブモンを弾き飛ばし、リヴァイアモンの背後にゲートを開く。
「――とっととおっ死ね、ランプランツス!」
「GAAAAAA――――!?」
ロストルムを発動しなければ、奴は俺の氷の火柱に対抗できない。ならば、尾の方から貫いてやればいい。丁度、奴は先ほど尻尾を失っている。燃え盛るリヴァイアモンが、その巨体を凍らせつつ断末魔の叫びをあげた。あまりの声量に、このフィールドが普通の洞窟だったら完全に崩壊していただろうと思わずにはいられない。ちなみに先輩の耳はルイが塞いでいるようで安心だ。やったね。
「チィッ、だがその前に、俺が食らって――」
「――させる訳ねえだろうが!」
砕け散ったリヴァイアモンの方に注意がそれたベルゼブモンを、右腕で強引に叩き潰す。奴は両腕を交差させて受けたが、踏みしめた両足が大地に大きな陥没を作る。少なくとも、リヴァイアモンの魂まで食らう余裕はないだろう。
「あとはお前一人だな。早速、教えてもらおうか。どういうつもりだ?」
「……いいぜ。教えてやる。だがその前に、そこの悪魔王さんよ、先輩にも話が聞こえるようにしちゃくれんかね。具体的に言うと、何その人に触れてんだ殺すぞ」
「は? お前それは俺のセリフなんだが?」
「よかろう。気のすむまで語り合うがよい」
「聞けよ」
「で、だ。まず言わせてもらうぜ」
ベルゼブモンの仮面、その額についている第三の眼が、紅から翠に代わる。同時にその背中に漆黒の翼が飛び出す。奴の乗り捨てたバイクがこちらに向かってきて、主の右腕と融合した。
「テメェいつまで、彩利先輩の彼氏面してんだ」
「んな――」
「のうのうと生きてきただけのテメェがそのポジションでヘラヘラして、見る度見る度ムカついてたんだよ――デス・スリンガー!」
ベルゼブモンの右腕に現れた長大な巨砲。紫電を滾らせる陽電子が、ベルフェゴールの魔爪を食い破る。
「ぐぁっ――!」
「後輩っ!」
ポジトロンに貫かれた右腕が、一拍遅れて俺の体幹を引っ張りながら弾き飛ばされる。この身体になって初めての激痛が、脆弱な人間の部分を鈍らせる。
「これで終わりじゃねえぞ、オラァ!」
どうにか空中で体制を整えたところで、ベルゼブモンの追撃。巨大な砲身が俺の側背を打ち据える。防御すら間に合わず、魔王二柱分の剛力で振るわれた鉄塊に、生身の体幹は悲鳴を上げる。
「――くそっ、どういうつもりだ何を言ってる。俺と先輩の関係はお前だって祝福してたじゃねえか!」
「先輩が幸せそうだったから身を引いたに決まってんだろ。だがよ、先輩のその恋心が、無理矢理作り出されたもんだと知ってまで黙ってられるかァ!」
呼吸の一つでさえ激痛が走る。叩き落された俺に向かって陽電子胞が雨の如く襲い掛かる。氷の火柱で炎の壁を作って全て焼き尽くすが、砲弾は途切れることを知らない。
「無理矢理だって、冗談じゃない。俺は先輩に強要なんて一回もしてちゃいない! 互いに自然と惹かれあっただけだ! ねえそうでしょう!」
「ああ、その通りだ。私が後輩を好いたのは自然な流れだったし、後輩は私の気持ちに答えてくれただけだ。桐彦、お前は訳もなくそんなことを言う奴じゃなかっただろう、何があった」
先輩も会話に参加してくるが、しかしベルゼブモンの嚇怒は留まるところを知らないどころか増大した。
「その"自然に"ってのが大問題なんだよ! アンタもアンタだ、何近親相姦に踏み出してやがる! 糞ふざけやがって、恋愛感情とファザコンの区別もつかねえのかよ! とんだガキだ!」
「近親相姦? ファザコン? 私がか」
「なに、何がなんだって。話が見えない。今のところ、お前が先輩に横恋慕してるってことしか伝わらねえぞ」
「言うことに欠いて横恋慕だぁ!? 流石やることなすこと他人の力だけでどうにかしてきた男は言うことが違ぇや、テメェ、いっつも気乗りしないだのやる気しないだの言って、何か本気になったことの一つもねえだろうがよ――カオスフレア!」
砲弾の嵐が止み、刹那の間にベルゼブモンの右腕が瘴気を一塊にして勢いよく射出した。怒りを籠めて放たれた邪炎は、氷の火柱さえ粉砕して俺を吹き飛ばす。
「ぐぁああ――! 桐彦、テメェ……!」
「お前は何かしたかよ! その人に気に入られるためによぉ! オカルトでも学問でもスポーツでも、俺が必死こいてその人の趣味と才能に合わせてる間、お前はどうだったよ! ただ適当に過ごして、あるものを受け入れてるばかりで、自分から何かに首ぃ突っ込んだか! んなこと――一度たりともねェだろうが!」
余りにも自分勝手な理論だ。確かに桐彦は先輩と趣味も合っていたし、その点を考えると俺と先輩がくっつくより奴のほうが可能性があったのかもしれないが、しかし人の感情なんてものはそう簡単なものではないだろう。その程度のことでここまで敵対できるのかと苛立つし、それ以上に憐れみの心さえ浮かんでくる。
「そんなもの、お前の逆恨みじゃないか! 努力が報われないなんてよよくあることで、それに腹立てるなんて、幼稚にも程がある……先輩はそんな男、好きじゃねえだろ!」
痛む全身を使って半壊した右腕を無理に動かし、ベルゼブモンの顔面を殴り飛ばす。以外にも奴はすんなりと攻撃を受けた。
「クソ、クソ、クソ! そんな事、いまさら言われなくても分かってンだよ! 俺がどれだけ、その人のこと見つめて生きてきたと思ってる。常識、全う、頻繁。それがどうした! 現に俺らは知ってるだろうが、条理を逸した存在を。違う……違うんだよ針斗。確かに、お前たちの間にあるものが本当に自然発生した愛情だったら俺も何も言わなかったさ!」
今度は奴の声が震えている。情緒不安定且つ要領を得ないが、それだけ強い感情に突き動かされているということだけはわかる。彩利先輩を想う気持ちが伝わってきて、成程リヴァイアモンが嫉妬の餌として気に入る訳だ。
「――ベルフェゴールが宿っているのは高原彩里で、お前はその力を借りているだけなんだよ」
――なんだと? なら、俺が振るっている力は、感じているベルフェゴールとの同調はなんなんだ。
「お前は、"たまたま"先輩の一番近くにいて――それも、俺があの人の気を惹くために色々やってる間に、ナイト役に選ばれただけだ。裡に引きこもって出てこない――だからこそ彩利先輩の精神も食われないとも言えるが――ベルフェゴールを守るためにな」
思わず彩利先輩の方を見る。深緑の瞳が揺れていて、それすらも愛おしい。その背後に控えているルイが、ベルゼブモンの言を肯定するかの様に控えめに頷いていた。
「それで、か。疑問に思ってたよ。俺はベルフェゴールの領域に行ったが、その時彩利先輩の姿も見た。アレはそういうことか」
「だろうな。何があったか、どんな契約をしたかまでは知らねえがな。そして、ナイト役になったお前を逃がすまいと、ベルフェゴールは彩利先輩の『意志を捻じ曲げた』……真原針斗を好くようにな」
「な……!」
「第一、テメェが先輩を好いてる気持ちだって、ベルフェゴールの感情と別モンって証明できンのかよ」
ベルゼブモンと戦いながら対話する中で、背後で先輩が息をのむ音が聞こえた。
成程、俺たちの間の感情が、意図的に操作されたものだと。不安だろう。その心理は重々理解できる。だが「そんなこと」よりも、今の俺としては――。
「そして俺はある男から聞いたのさ。お前が死ねば、ベルフェゴールは次のナイトを用意すると」
ベルゼブモンが再び陽電子砲を構える。氷の火柱を破壊できる威力の大砲だ。まともに受ける訳にはいかない、などとまともに戦況を分析したが――。
「だから死ねよ針斗。お前、邪魔なんだよ昔から」
「要は桐彦、お前も恋敵だろ。だったら死んでくれ」
――結局のところ、これに尽きる。
一瞬だけ俺の両腕がベルフェゴールのそれに代わり、掌に嵌められた金の手甲から、カオスフレアに匹敵する瘴気が噴き出した。
「カオス――――フレアァアアアアアア!」
「ギフト・オブ・ダークネス―――――!」
どちらも最大出力。精魂尽き果てる勢いで放った最大の一撃。紫電の邪炎と暗緑の邪光は相殺し合う。巻き上がる砂塵が晴れた瞬間、油断なく気配を探り――。
「貰った力振り翳して調子乗ってんじゃねェ――!」
「――ぐ、がッ!?」
――爆発的に散布される鬼気、頬を通り抜ける衝撃と回転する視界。だが。
「舐ッ、めンじゃねぇぞ。この僻み野郎――!」
明滅する視界に写るベルゼブモン、否、桐彦の鼻っ面を殴りつける。返答はハイキック。
「なァに、しやがる。このダラけ野郎――!」
「うるっ……せぇな、負け犬がキャンキャンとォ……!」
「あァ!?」
「負け犬だろうが。クソ下らねえ理屈捏ね繰り回しやがって、結局お前は先輩に振り向いて欲しかっただけで、それに失敗したってだけだろう」
「だから、テメェさえいなけりゃ万事うまくいくって言ったじゃねえか。話聞いてたか? 頭沸いてんのか? それともお前も狂ったか? たァだそこに在るだけで満足して、能動的に何かしたりもしねぇお前が、その人に相応しいわけねェだろォが!」
俺も桐彦も、先の一撃でデジタル・モンスターとしての力は使い果たした。だから生身の人間の姿で殴り合う。
水月を穿つ拳が数度撃ち込まれれば、その機に乗じて頭突きをぶち込む。脳天を揺さぶる蹴りに応じ、顎をカチ上げて同じ条件に。
お前が俺を邪魔だと言うなら、俺もお前を排斥したいと。万感の想いなどなく、ただ一つ「俺こそ彼女に相応しい」と、その情愛を比べ合う。
「だいたい昔っから、テメェ見てっとイライラさせられンだよ。毎日毎日飽きもせず同じような日常繰り返しやがって、パンピーかよ。そこの女と一緒に居て、なんでそんな思考ができやがるんだ」
「テメェ。どの口で言いやがる。俺だってずっと思ってたさ、先輩なら大歓迎だけど、お前みたいなチンピラにまで、どうして振り回されなきゃいけないんだろうってな」
「ほざけよクソが。お前はいつもそうだ。いつだってやりたくない面倒だかっ怠いって言って、だけどその実、引っ張り出したら誰よりも楽しんでやがる……!」
「それがどうしたってんだ。腰が重いのは自覚してるし、非難される謂れはないぞ!」
「謂れならあンだよ、お前のそりゃ腰が重いんじゃねえ。依存だ、依存なんだよボケが! お前がそうなったのがいつ頃からかはもう分からねえ。けどな、テメェがそんなんだから、先輩の気持ちが歪められるんじゃねえかァ!」
ああ、お前の言う通りだよ桐彦。
「っ」
今指摘されて、改めて気付いた。俺の性根は、確かに突飛なことは求めていなかった。そしてお前たちに振り回されて色々遊ぶのも楽しいと思っていた。確かに、突き詰めれば依存だ。
そしてそれは、根底にあるのは"怠惰"だったんだ。
これが、俺の病理。俺の罪科。セラフィモンの傲慢や、バルバモンの強欲を馬鹿になんてできやしない。自分の大罪を、むしろ美徳とすら思っていた。
「どうした針斗サンよ、図星過ぎて何も言えねぇか!」
ナイト役に見染められたから怠惰になったのか、先輩の近くにいたから怠惰に堕ちたのか。それとも、俺の性根が腐り堕ちているからベルフェゴールに目を着けられたのか。
「……」
「何も言わねえなら、とっととその座を明け渡しやがれ――!」
桐彦の怒声。実に数十発の拳に爪先が俺を打ち据える。明確な殺意を受けながら、全身に浴びる衝撃に身を任せ続ける。
思考は加速する。悔恨と懺悔を伴って己が裡へと埋没する精神。座して動かぬ俺の肉体は次第に傷つかなくなる。動かぬことで傷を避ける。それが怠惰の本懐だから。
「針斗テメェ、まぁた借り物の力頼りか――!」
桐彦の憤りが聞こえる。
綯い交ぜになる感情。自嘲と諦観と愛情と自負心。全て絡み合って墜落し――幾ら思考の迷宮を彷徨おうと、しかし終着点は一つだけ。
「そうだな。俺はお前を論破できないよ」
視界は赤い。鼓膜は既にイカれかけているし、平衡感覚すら覚束ない。視界の隅で先輩が青醒めた表情で何か叫んでいて、その言葉すら聞き取れない。
〇〇〇〇〇
「そうとも、そうだろうとも。さあどうする、どう動く。クフ、フフフ、ハハハハハ」
大空洞で繰り広げられる狂騒をその天眼[第8の眼]で見据えながら、"ベリアルヴァンデモンであった異形"は笑う。その体躯は最早人間の姿を模すことすら不可能なのか、絶えず蠢く肉塊が、足下に広がる影が、次第に一つの形を成していく。
「もうすぐ、もうすぐだ。今に私は朋友に並び立つ。閣下に私に私が従えるベルフェゴール。並ぶ者なき魔はいまや双璧を成し、而してその先兵は我らに匹敵する極大の魔王だ」
紫黒色の7本の脚部が円盤を支え、円盤の上には頭部とおぼしき鋭角の物体が鎮座する。脚の先端には蜘蛛を思わせる紅い爪が存在を主張する。この異形はしかし不完全な様で、7本の脚の内、5本が未だ影のように流動して定まらない。
「さて、ではもう一押し。私が自ら出張るなど、この局面でもなければあり得ぬことだ。感謝し給えよ。この位階に登り詰めた私の威光に振れられることに」
○○○○○
愛した男と、その親友の殺し合いに至るほどの喧嘩を見つめながら、高原彩利の脳内では延々と自問自答が繰り返されていた。
――端的に言って、自分の感情はベルフェゴールによって仕向けられたものだという。
他のデジタル・モンスターと同じように、自分にベルフェゴールが宿っていること。それはいい。むしろ自我を乗っ取られなかった分、ベルフェゴールで幸運だったとさえ言える。
真原針斗が自分、即ち寄生宿主を守る役に選ばれていること。これもいい。彼を好いている分だけ、僥倖といっても過言ではない。
「私には認められない……彼へのこの想いが、作り物だなんて」
「しかし、それが真実だ。君はベルフェゴールに愛され、そして君自身その代替にも愛されている。善きことではないか、モテモテだろう? 女として、悪魔をも魅了する自らを誇りに思うがよい」
耳元で囁く、粘つくような声に彩利は思わず声を引き攣らせる。
「ベールか。身体の調子はどうだ」
「これは閣下。相も変わらず目が眩むほどの御威光を放たれるお姿、明星の君、ヘレル・ベン・サハルにおかれましてはご機嫌麗しゅう。幸運に恵まれましてな、こうしてどうにか細々と生きながらえております」
「相も変わらぬ戯れ言を。まあよい。どうせ既に知っていようが、貴様との対話を求めてやってきた者らがいる。私はその案内役だ」
鬱陶しい長髪を揺らし――否、揺れているのは髪だけではない、全身だ。全身が揺らめいて、どこか頼りな気で捉え所がない――影絵の男は挑発的に頷いた。
「言の葉なら、好きにするといい。もとよりそう言う約束で連れてきた」
「ご厚意、有難く。では少女よ。ベルフェゴールの愛娘よ。その代行者の寵姫よ」
「……なんだ」
「お初にお目にかかる。私がベリアル。我が盟友たるルシファーからはベールと呼ばれている、君達が求めてやまない、この戦争の仕掛け人だ」