第四話②
デジタルワールドにおいて『神』と呼ばれる程強大なデジモン。そして数多の天使型デジモンを束ねる大天使長セラフィモン。この二体の融合体ならば、例えその一部と言えどもロードすれば、それは完全体が究極体に進化するのには余りに十分すぎると言えよう。
「――進化したところで、所詮三体がかりでなければ私に触れられもすまい!」
然り。片足を失ったとはいえユピテルモンは飛行能力を有している。失速するとは考えられない。カオスドラモン・デュークモンが再起不能な以上、ブラックウォーグレイモン一体では多寡が知れている。故に、もう一手。
「行けるな?ブラックウォーグレイモン」
「勿論。全快だぜ」
「貴様等、何を――」
相手が究極を超える究極ならば、こちらも究極を越えてしまえばいい。紋次が取り出す、掌サイズの卵型。高らかに音声認証を済ませ、強制進化プログラムを起動させる。未来の可能性を手繰り寄せ、無理矢理「ブラックウォーグレイモン」と言う型にインストールする。
「デジメンタルアップ――『ダウンローダー』!」
今一度、更なる進化を。
「ウ、ォアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
目も眩む程の光に包まれたブラックウォーグレイモンから放たれる絶叫。雄叫びなのか悲鳴なのか、あるいはその両方か。少なくとも、異常なまでの容量を無理矢理詰め込んでいるであろうことは想像に難くない。
「させるものか!『パニッシュジャッジ』――何ッ!?」
ユピテルモンが光の繭に槌を振り下ろす。しかし繭は槌を全く受け付けず弾き返す。驚愕を隠せないユピテルモンの目の前に、黒き威容が顕現する。
剣には終末を意味する刻印。細身の体躯に紅い裏地の黒き鳶合羽。黙示録の時に現れる、飢餓を齎す第三の黒騎士。
「オメガモンズワルト。ここに」
「お前……ブラック、ウォーグレイモン、なのか?」
紋次がわざわざ訪ねた理由は幾つかある。雰囲気の相違、口調の相違、そして何より、パートナーとして当然理解できるはずの、デジモンとしての種族名が理解できなかったのだ。
「然り。されど第三の封印は未だ解かれず。未だ喇叭の音は鳴り響かず。黙示録は未だ来たらず。故に――」
右腕に装着した大砲を雷神に向けるオメガモンズワルト。相対するユピテルモンも一対の槌を構える。
「此処で滅ぼさん、ユピテルモン。零落せしオリンポスの神よ」
「侮るなよ黒騎士。貴様如き踏み越えずしてイグドラシルを滅ぼせるものか!」
ユピテルモンがその身体の温度を上昇させて行く。ユピテルモンの温度上昇は周囲から熱を奪う。オメガモンズワルトは対照的に、生じた冷気を大砲に凝集させていく。
「喰らうがいい――『ワイドプラズメント』!」
「――『ガルルキャノン』」
自身の身体を超高圧プラズマと化すワイドプラズメント。触れる者を皆蒸発させるユピテルモン虎の子の必殺技。しかしその一撃は冷気凝縮砲の直撃により無効化される。
呆けたのも束の間、ユピテルモンは迫り来る剣戟に応戦するが打ち合う度に徐々に押されていく。
「お、のれぇッ!」
「汝、飢えることなかれ――『ダブルトレント』」
遂に両腕の槌を弾かれたユピテルモンに、正負の熱エネルギーが同時に放たれる。炎と氷が鬩ぎ合い、結果として触れたものを何もかも消滅させるオメガモン最大の必殺技。ユピテルモンは跡形もなく消滅し、彼が生み出していたコロッセオ型の異界化も解除される。また同時にオメガモンズワルトへの強制進化も解除され、ブラックウォーグレイモンが崩れ落ちる。
「おい、ブラックウォーグレイモン!」
「ッ――ああ、大丈夫だ。だが他の奴等が来たら拙い。さっさと撤収しよう」
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「これからどうするの?人間じゃなかったとはいえ、ローマ教皇を殺したなんて、私達大罪人よ?」
小さなホテルのシングルルーム、そこで上機嫌にもからかうような口調の小夜。それもそのはず、彼女が敵対していた『教会』は首魁を失った。未だ問題は山積みであるとはいえ浮付きもしようというものだ。
「さて、ね……。ともかく、『教会』の連中が次に祭り上げるであろう人物を探し出して対処すべきだろうけど。諏訪原さん、なんか当てとかない訳?」
「そこで私に振るな……。少なくとも日本に戻って黒瀬さんを救出するのは当然として――」
ドッグを見つめる諏訪原。ムゲンドラモンが言葉を引き継ぐ。
《――"デジクロス"。この技術は見過ごすわけにはいくまい》
この言葉に、紋次と小夜は疑問符を浮かべる。当然の事だ。例え研究資料を参照したとしても、"デジクロス"技術の問題点は、元々ジョグレス体であったムゲンドラモンを駆使する諏訪原しか気づけないものだ。
「いいか。まず奴らが作り上げた"デジクロス"技術の問題はだな――」
二体以上のデジモンが一つになる方法は幾らか存在する。"ロード"。"ジョグレス"。そして今回の"デジクロス。"
"ロード"は当然の摂理だ。それは弱肉強食の理の中で生きるデジタルモンスターにとって必定の理であるが故に。
"ジョグレス"とて異端ではない。強さを、更なる進化を求める二体のデジモンが一つの肉体の中に新たな自我を確立するのだから。
しかし"デジクロス"は違う。これはデジモンが単に他のデジモンを取り込んでいる。それも己の力ではなく人間の技術で。
「しかも自我が残ったままのデジモンが誕生する。こんな外法、認めてはならん。分かるだろう?」
《確かに、見過ごせねえな。俺達デジタルモンスターは相手のデータをロードし、そして強くなるのが鉄則だ》
《我々とてダウンローダーと言う邪道なプログラムこそ頼っているが、他のデジモンをそのまま吸収しようとは思わんな》
例えるなら、それはライオンが望んでキマイラになれる外法であり、鷲の知能を持ったままのグリフォンが誕生する遺伝子組み換えだ。成程それは人間の観点から見ても生態系を揺らがす禁忌と言えよう。
「それじゃあ、どうする?このまま各地の『教会』に行って研究データを奪い続けるのか?」
「そうなるな。だが我々だけでは無理がある。そもそも私は実働で、そこの神楽も途中で『教会』を抜け出しているし、お前も完全な門外漢だ」
「だから、まずは黒瀬を迎えに行きましょう、と。そういうことね?」
「ああ。だがまあ、日本に戻ってからも戦うかもしれんからな。今晩は英気を養え。お互い大分酷い事になったからな。何、私とて一介の年長者としての心構えはある。ホテル代ぐらいは私が持つさ」
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日本人の感覚からすれば広いホテルのベッドに仰向けに寝転がりつつ、紋次はD-3の中のブラックウォーグレイモンと語らっていた。
《思えば大変なことになっちまったな》
「はは、全くだ。ただの受験生が化け物に襲われて化け物を召喚して助かって、そしたら世界を牛耳る組織の追手が来て――今じゃ大罪人だぜ?」
戯れに着けたニュースからは聞き取れないイタリア語で、カピトリヌスの――ユピテルモンが変装した姿の――顔が映し出され、ローマ教皇が跡形もなく失踪したと報道されている。三文小説もかくや、と言った現状であるが、この事件を起こしたのが自分だと言う事実に、彼は悪い気はしていなかった。しかし口元をほころばせる紋次とは対照的に、ブラックウォーグレイモンの声は重苦しい。
《メタルグレイモンの時にも言ったが、こんなことに巻き込んじまって、本当にすまん》
「誤るなよ。むしろ痛快な気分だ。うん。なんだかんだ言って、俺もガキだからさ、こういうの、憧れなかったとは言えないんだ」
《?それは、どういう――?》
謝罪を押しとどめ虚空を見つめながら、紋次は掌を握ったり閉じたりしてから、右手の中指のペンダコを撫でる。
「色々小説とか読んじまったからか、ぞれとも元々向いてなかったのか、はたまた他人からの期待が大きすぎたか――受験勉強、やる気がなくってさあ」
《……》
「全力で何かに打ち込んだ経験なんて、それこそ子供の頃はあったかもしれないけど、記憶には何一つ無いんだよな。負けず嫌いではあったけど、勉強ばっかしてきたから運動もそんなにできる訳じゃないし、必然的にスポーツだって一番になれやしない。勉学は言わずもがなやりたくないしやる気がない」
パートナーの無言を続きの催促と受け取ったか、紋次は過去の自分を責めたてるように言葉を紡ぎ続ける。
「ああ、そうだ。そうだな。俺はこうして、昔読んだ小説みたいに冒険とか、戦いとかしてみたかったんだよ。実際デルタモンに遭遇した時なんて腰抜かしちまったけどさ。
子供の頃夢見た冒険譚に憧れるばかりで、現実との乖離っつーの?そういうの認めたくなくてさ。その上、俺の実家って結構裕福だったから、普通に俺の子供の代ぐらいまで遊んで暮らせる金があったんだよ。その所為か、余計に現実に目的意識が働かなくて――」
《――紋次。それは――》
「――でもさ、今はすげえ充実してるんだよ」
住んでいたマンションが倒壊した。存在がひた隠しにされるテイマーとなった。偶然手に入れた本の所為で諏訪原に追われる羽目になった。そうして初めて、紋次は自力で先を切り開かねばならないという状況に追い込まれた。それまで如何なる失敗も如何なる成功も、後の人生の安定に全く関わって来なかった紋次にとって、それはある種の転換期であり、とても新鮮な世界であった。
「だからさ、俺に謝る必要なんて微塵もねえし、そんな責任感じないでくれよ」
この次に続いた言葉は聞き取り辛いものであったが、ブラックウォーグレイモンには筒抜けであった。
「お前は俺の、自慢のデジモンなんだからさ――」
《む、何か言ったか?》
「……何でもない」
照れ隠しの様に液晶画面から顔を背ける自分のテイマーに、ブラックウォーグレイモンは悲惨な現実を突き付ける。
《ああ、ところで紋次。このD-3、遠隔でもテイマーからのリアライズ指示を聞き逃さないよう、非常に高度な集音性を持っているんだが――知ってたか?》
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小夜とデュークモンは申し訳程度に設置されているテーブルに向かい合うように座り、備え付けの紅茶を啜っていた。人型デジモンとして長い事小夜と共にあったデュークモンは既に様々な人間文化に馴染んでいる。
「それで小夜。あの時のマメモン――曽呂紋次の暴走――についてだが、そろそろ考えてもよいのではないか?」
勿論、小夜とて何も考えていなかった訳ではないし、その場に諏訪原が居合わせたならば、同じような疑問を抱いていたことだろう。デジモンを複数召喚するということは、それ程までに異例の事態なのだ。諏訪原こそ二体のデジモンを召喚・使役しているが、それは類稀なる才能と『教会』による訓練の偶然のシナジーの結果であり、デジモンを召喚できるという才能だけで辿り着ける極地ではない。
「そうね。あまり考えたくはないけど――場合によっては、曽呂君を倒さなければならないかもしれない」
如何なる可能性も考慮の外に押し遣られるべきではない。故に小夜は懸念する。仮に紋次が操れるデジモンが、自分で召喚したデジモンだけでないとしたら――?あの時の曽呂紋次の言葉が、自分達に向けられる怨嗟だったとしたら――?
飽く迄も懸念。極端に言ってしまえば被害妄想と言っても過言ではない想像だが、曽呂紋次のポテンシャルは計り知れない。
「聞けば、あの竜戦士は更なるダウンローダーの使用に耐えたらしいじゃないか」
「ええ。しかも、その進化体はオメガモンズワルトよ」
正直信じられない話ね、と溜め息を吐く。
「さっきは当人の手前浮かれているように振る舞っていたけど――」
「――おや?半分ぐらいは本心からだったじゃないか?」
「う。ま、まあ、本来ブラックウォーグレイモンにそれ以上の進化は考えられないわ。ダウンローダーの使用に耐え得るということは、何時になるかはわからないけれど、その進化が起こるということ。こちらの世界でのことか、それとも向こうに送還されてからなのか。最悪なのは向こうとこちらが呼応していた場合ね」
デュークモンのからかいに頬を赤らめながらも真面目な話に軌道修正する小夜。オメガモンズワルト、否、オメガモンと言う種は終末の名を冠する騎士であり、デジタルワールドが危機に瀕した際にしか現れないという。それは彼のデジモンが黙示録の時に現れる終末の騎士であり、それ以外の世界の危機を修正するシステムであるが故に他ならない。今回のユピテルモンの騒動では、未だ世界は危機に瀕していない。故に、オメガモンはダウンローダーの機能でもインストールできるようなデジモンではない。
「そうだな。仕込みがあるとすれば、曽呂紋次自身しか考えられまい。メタルグレイモンは召喚されてすぐ諏訪原敬の襲撃を受けている。何かが介在する余地はない」
そう。だからこそ、曽呂紋次に対する懸念が高まる。マメモンを操った時の、「自分の意志とは別の意志が働いていた」という当人の証言も、無条件に信用できるものではなくなる。彼自身が嘘を吐いているか、或いは彼の縁者が何らかの仕込みをしている可能性が出てくる。
「――問題は山積みね。諏訪原も、『教会』からの離反を決めた以上敵対する理由はなくなるでしょうけど、いつ友好的じゃなくなるやら」
「アレはアレで過去の遺恨を流せそうにないタイプだろうからな」
長い事敵対していた相手の、意外と子供っぽい部分に笑みを零す小夜。曽呂紋次に対する懸念で重くなった雰囲気が、その冗談めかした一言で大分軽くなったように思われた。
「とりあえず、帰ったら黒瀬と一緒に曽呂君の親類や友人を浚ってみましょう」
「ああ。異論はないが、余り根を詰めすぎるなよ。――今晩ぐらいは、ゆっくりしても罰は当たらないんじゃないか?」
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諏訪原敬は思考していた。これからするべきことを。如何にして"デジクロス"という邪法の技術を解体するべきかというプランを練っていた。それは"ジョグレス"により力を得ることを選んだ彼のデジモンが望むことであり、デジモンのため『教会』の奴隷に身を窶していた程の彼からすれば当然の行動だった。
「……しかしどうしたものか。現実問題、頭を、本部を潰したからと言って各地の支部まで解体されるわけでもなし。ダウンローダーを使われれば少なくとも私の古巣だけでも何人かは同レベルに達してくる」
《勝算も無しに突っ込んで行って、各地の支部を潰して回る訳にもいかんな》
当然だ。そんなことをすれば最終的に烏合の衆に団結の機会を与えてしまう。次期首魁を狙っての権力闘争が起きるであろう今こそが好機。
「カピトリヌスはデジモンだった。奴の目的から考えると、恐らく代替わりを防ぐため、各地のトップを押さえ、後継者のセッティングは許していなかったろう。烏合の衆は烏合の衆のままにしておかねばなるまい。下手に突ついては、私達自身が楽園を追い立てる蛇になりかねん」
ではどうするか。諏訪原の頭の中に浮かぶは嘗ての黒瀬の姿。『教会』が囲っていた研究者は、諏訪原や黒瀬のような「デジモンを人質に取られたテイマー」か、或いは「唯潤沢な資金を用いたい研究馬鹿」のどちらかに二分される。そして前者は勿論のこと、後者も自由な研究を阻み、研究成果を吸い上げるだけの『教会』の態度には反感を抱いていた。
「ふむ、方針が定まってきたな」
《成程、黒瀬を間に挟み研究者に呼びかけ、『教会』の首魁を打倒した成果を盾に"デジクロス"技術に関する研究成果を破棄させる、か》
「ああ。その過程でどこか一つの支部を潰すか支配しておき、研究者共にくれてやろう。一つだけならばそう他の奴等も刺激しないだろう」
諏訪原の口元に不敵な笑みが戻って来る。
「さて、ではあの二人にも働いて貰わねばならんな」
手札は幾つも提示できる。『教会』の尖兵として各地を飛び回っていた身だ。その時に培ったコネクションは基督教意外とも幅広く存在している。賭博場、闇医者、他宗教の聖職者、薬剤師、詐欺師――。曽呂紋次と神楽小夜に急遽用意したパスポートとて、このコネクションを使って用意させたものだ。
「手始めに、まずは偽装戸籍でも用意してやるかね――」
そう言って電話をかけ始める自分の顔からは、悪い笑みだけではなく、二人の少年少女に対する僅かな父性が垣間見えることに、諏訪原は気付いていなかった。