ChapterⅨ -The Acedia- - ぱらみねのねどこ

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ChapterⅨ -The Acedia-

 これでいいと思いつつ、心は悔恨で一杯だ。
 彼も大概、あきらめの悪い男だけど、どこまで行けば諦めてくれるだろう。瞳を閉ざし、耳を塞ぎ、心を閉ざして引きこもる。そのまま私を滅してほしい。
 けれども目を閉じれば、胸の裡に彼への想いが燃え盛っているのを嫌でも見せつけられる。
 彼が好きだ。出不精で突っ込みが辛辣で、私の趣味に理解を示してくれなくて時々意地悪でコンプレックスの小さい胸を弄ってくるけれど――彼がそれを好んでいるようなので、豊胸の努力をしなくてもいいと思うほど彼が好きだ。
 こんな状況で隣にいてくれるだけで、無力な私はどれだけ幸せだっただろう。他の人間たちはもう死んでいる。狡くて卑しい女だと軽蔑されそうだけど、私は自分が生きていられて良かったと思っていた。幸運だったとさえ思っていた。
 ――その幸運は必然でしかなかった。運命の出会いは仕組まれていた。
 昔から一緒にいて、どうしてか彼に惹かれていった。私は昔から割と完璧な人間だったけど、困った時は何故かもう一人の男の子ではなく彼が隣に立っていた。今でもそうで、私のことを何を置いても助けてくれるけど、彼は昔から頼り甲斐があった。
 だけど、自問せずにはいられないのだ。その行動も全て、私の惹かれていった心も全て、胸の裡の怠惰の命令じゃないかと。
 女々しいことは分かっている。自分の感情に自信を持ちたいのは山々だけど、その事実が恐ろしくて仕方がない。彼に惹かれたんじゃなく、彼を通して怠惰の悪魔に焦がれているだけなどと。
『然り。君の懊悩は誰にも責められるべきではない――だが。
 その眼を見開いてよく見たまえ。これが、君の選択の結果だ』
 無価値の声が、脳髄を震わせる。慣れないながら五感を閉ざして、終わりを望んで閉じこもっているはずなのに、脳裏に鮮明に外の光景が映し出される。
『なんです! この私が、貴様になど――!』
『AGyaGyaGyaGyaGyaGya! ちょ、何よコレ――A、Aa、ヤダッ!』
『まだか少年、最早保たぬぞ――!』
『急げ、天使長すら掌握しなおされた!』
『噓でしょ、ベリアル如きがつけあがり――』
『クソ、せめてアイツらの帰り道は確保してやりたいってのに……!』
 フラッシュバックを繰り返すかのように、彼をここまで連れてきてくれた、旧世界で縁のあったデジタル・モンスターの断末魔が見える。
『これはサービスだ、結末を見せる前に、君の希望を絶とうではないか。
 君は私の心臓になってもらわねばならぬ。心臓が頭脳と独立して思考を抱くなど許されぬ』
 告げて、私の視界が開かれる。目を閉じているはずなのに、私は今にも崩れ落ちそうな黄金の傍にいた。聳え立つ異形のモンスターの浸食に、自分ごと結界に閉じ込めて凌いでいる。だが、長身の体躯には幾条もの亀裂が走り、同じく周囲の結界も崩壊寸前だ。迸る血潮に頓着する様子すら見せない彼の表情に、限界が近いことを悟る。
 そこまで見た時点で、私は再びオグドモンの中にいた。
『どうかね。君がもたらした結末だ。哀れ君と縁深き者らは既に苦悶の中に我が体内に溶け、我が友も奮戦してはいるがじきに私の世界が流出する』
 理解している。嫌というほど理解させられた。そもそも彼もルイ・サイファーも、神域に達していない中よくぞここまで奮戦している。
 その奇跡のような現実を、私がふいにしていることも、理解っている。
 彼らならきっとなんとかこの騒動を終わらせられると、無邪気に信じ切っていた。そんなもの、私が抱いていた幻想に過ぎないのに。父なる者の万能性を疑わない……幼年期すら終われていない自分が情けない。
『そして、ここに君の愛しい父も終わりを迎える』
 ッ――。
 ベリアルの言葉と共に、私の視界を物理的に塞いでいたオグドモンの触覚と――そして私の目蓋が奴の手によって強引に――開かれた。
「っ――後h……く、ぅ……っ!」
 無残に倒れ伏した愛しい人の姿に、かける声なんて、声をかける資格なんてないけれど――。


 ……先輩が、泣いている――。
 最早自分の感覚も一切正常に機能していないけれど。その瞳から零れた雫だけは見逃さない。
 だけど。
 彼女を泣かせるクソ野郎を、俺はぶっ殺さなければならないのに。
 彼女を護ると誓ったのだから、全てをかなぐり捨てて其処に行かねばならないのに。
 ああどうした事か。信じられない。デジタル・モンスター、オグドモンは強過ぎる。
 俺の肉体は下半身が消滅し、六枚羽根は圧し折れて、自慢の剛力は根元から捻じ曲がり使い物にならない。自慢の鎖も、闇の賜物も、旧世界の法則である以上オグドモンには通用しない。
 五体に力は入らない。四肢はピクリと動く部分すら残ってない。正に万事休す、これじゃあ外や下にいる奴らに顔向けできない。
 しかし、現実に俺が――怠惰の鎧を纏う者たるこの俺が敵わなければ、誰がこの若き神に敵うというのか。
『さあ、そろそろ観念のしどきではないか。お前はよく躍った。私が力添えしてやったとはいえ、遂にはベルフェゴールの力すべてを掌握して魅せた。素晴らしいよ。喝采しよう。憧憬しよう。嘗ての私では決して為せぬ偉業であり-――』
 歓喜に陶酔する無価値の多重に重なった声。まるで――。
『――今の私にならなければ、お前を取り込めるとは思えない。前言を翻すようで悪いが、お前も新世界創造の糧となれ。悪い取引ではあるまい。今君を蝕むその痛苦、哀切一切合切全て私が面倒を見てやろうというのだ』
 ――まるで、なんだ?
 俺は今、何を考えた。"この俺を取り込めるなどありえない"?
 ――そうだ、ありえない。
 総身を戦慄が駆け巡る。それは死の恐怖でも、愛する人を喪う恐怖でもない。現宇宙の崩壊を阻止できなかった無力感でもない。そんな殊勝な精神はしていない。ではなにか。
 理解する。理解する。この物語で俺がずっとやってきたように。自己分析のような思考の果てにではなく、はたと察知する。その一端に手を掛ける。この世界の――否、既に現宇宙と新宇宙が存在する以上、この表現には語弊がある――その外側の、大いなる理を。
 想いの強さ。想念の堅固さ。よりプリミティブな感情であればあるほど強い。世界を壊してでも我を通したいと、願えば願うほどに無尽蔵に願いは叶う。
 急速に冴え渡る脳内。肉体は変わらず満身創痍で死を待つばかりだが、極度の怒りを以て氷のような凪を得るように、思考は冷徹になっていく。
 だから必然、俺は奴に負ける道理がない。理がない。
 お前如きの執着心で、俺たちの総量を超えようなどと笑止千万だ。神魔を幾柱束ねようと届かない。届かせない。
「ぐ――こ、と……わる……!」
『では、愛を抱いたまま永久の眠りに就くがいい! オーラーティオ・グランディオロクア!』
 絶死の虹光が空間に満ちるのを待つ。勝機があるとすれば、この瞬間を置いて他にないと確信しながら――。
 このアイオーン――ピュトスに入って以来、俺の攻撃は一切通用していない。まるでそこに何よりも堅牢な壁があるかのように、全て弾かれる。それは神域に達していない怠惰の魂ではどうしようもなく新宇宙に傷一つつけられないという事実に他ならないが、しかし桐彦や他の神魔をはじめとして、俺も先ほどエンノイアーを上書きできたのもまた事実だ。
 ならば起こり得る。番狂わせを引き起こせ。貴様の脚本に踊るのはここまでだ。
 ベリアルの意志が顕現した以上、オグドモンの掌握が終わったということ。外ではこれまでよりも激しく鬩ぎ合いが繰り広げられていることだろう。これまでは狂乱の渦の中で、無秩序に力が渦巻いていたからこそ均等且つ絶対的だった新世界。そんな状況で奴が明確な意識を取り戻し、体内の異物を滅するために攻撃にリソースを裂けばどうなるか――。
 必然、部分的に密度が薄くなる。これまで無秩序に散らばっていたが故に均等に割り振られていた力が、攻撃に寄ったこの瞬間、見える。アイオーン・ピュトスを支配する法則の、最も脆弱な部分――。
「其、処、だァアアアアア――!」
 俺は怠惰の鎧を纏う者。ならば、俺が操作すべきは自分の身体などではない。肉体の変質など必要ない。肉の一片すらなくなっても、俺の魂さえ残っているなら「コレ」は動く。
 再び千年魔獣が顕現する。俺はそのコアの役割を果たし、意識するだけで怠惰の外骨格が暴威を振るう。虹光によりベルフェモンの身体が端から消滅していくが、分解よりも再生速度の方が早い。当たり前だ。ベルフェゴールの本体は先輩の中に居る。魂の熱量が尽きない限り俺は無限にこの鎧を纏うことができる。
「いい加減――俺のモノになれって言ってんだよ、この貧乳石頭!」
 あんたが血を恐れるのは分かるけど。
 ただそう生まれたというだけのことに、どうして縛られなくちゃならないんだ。


 確と見開かされた瞳が、あらゆる贖罪を強制させる虹光で満たされる。
 思わず目を背けて、しかしそれを妨害するベリアルの手は最早感じない。
 耳が痛むほどの静寂を切り裂いて、愛しい声色の悪態が響いて――気付けば、私の身体は混沌から引き出されていた。
 身体に吹き付ける死風は寸刻に感じなくなった。代わりに感じるのは底冷えするような体温と凛々しいまでの剛健な体毛。私の細腕などこの怪物の気分一つで玩具のように折られてしまうだろう。
 まるで悪魔の花嫁になったかのような気分だった。
 この肉体には命が循環していない。だからと言って恐怖を感じるかと言えば、一切そんなことはない。何故ならこの逞しい身体は私に仇為すあらゆるものから、私を守ってくれている。抱き締め方からも、視界と突風を塞ぐように展開された六枚の翼からも、頭上に響く苦悶の声からもそれが分かる。
 急降下。急降下。急降下。急降下。巡った新宇宙を遡り遡り遡り遡り――追撃の神聖衝撃波動に翼を毟られ、思わず息を呑む。そして私たちは降下ではなく落下する。
 翼の消失で開かれた視界に入ったのは、脆弱な魂なら咆哮一つで粉砕する悪なる黒山羊の頭部。その威容を目にするのは初めてだけれど。どれだけその姿がかけ離れても、どれだけその姿が悍ましく変貌しようとも、どれだけその姿が痛ましく、そこに頼もしさを感じてしまっても。それが"誰"なのか――その程度、この私が分からない筈がない――!
 だから、意を決しろ私。喪失の恐怖も、愛への猜疑も捩じ伏せて。こんな姿になってまで私を傷付けまいと強く抱き締める"彼"に、報いないなんて嘘だろう。
「こぅ、はい――!」
 共に螺旋を描きながら墜落する中、冷たい胸板にしがみ付いてその名を呼んだ。


 怠惰の外殻は強靭だ。寸分違わずベルフェゴールの力を模倣し出力しているだから当然だ。だが、その絶望的なまでの防御力は苦も無く貫通される。
 今のベリアルは見境がない。長年執着してきた怠惰の力が盗まれて、今再び狂乱の中に堕ちた。逃がすぐらいならば、ここで消化しきる――と、頭部の意を受けて、体部が総力を挙げて俺たちを潰しに来る。
 俺一人ならば、なんとでもなる。無節操な破壊は理性的な再生に敵わない。だからと言って、腕の中にいるこの小さく愛しい息遣いを見捨てるなんて絶対ない。彼女なくして、俺は決して生きていけない。
 だから、護るのだ。ここまで至ってなお救出することしか能わなかった無力を恥じ、しかしそれこそが俺の原初にして最終目的であったと克己する。
 自責と奮起は五体に活力を漲らせ、どうやっても先輩を喪うビジョンが見えなくなる。
 アイオーンは残り四層。滾る力に物言わせ、墜落しながら彼女への衝撃だけは細心に押し殺し、強引に突破する。突破する。突破する。そして意識の外から串刺しにされる。
「――ゴッ! ガ、ァ……!」
 四肢に力を籠めれど動かず、無形の杭はびくともしない。


 ああ、どうしよう。無力な私を許してほしい。
 どうかそんな顔をしないで。苦しいならやめていいから。見捨てていいから。
 私が邪魔なんだよね、分かってる。私の後輩ならきっと余裕で逃げ出せる。逃げ出して瀕死の明星と合流して、完璧な逆転劇を演じてくれる。
 だからもういいから、そんな悲しい瞳で私を見ないで、見てるこっちが悲しくなってくる。
 お前の足枷になるくらいなら、今ここで死んだって良い。本当に、心の底からそう思う。
 だけど理性と裏腹に、感情がこうも叫ぶのだ。こんな絶体絶命の状況で、それでも優しく抱いてくれていることが、護ってくれようとしていることが、とてつもなく嬉しいと。
 狡い女だよ。軽蔑して欲しい。そんな自分本位の女だから、やっぱり他者へと向ける愛なんてないんじゃないかとも思ってしまう。
 そんな自己嫌悪を粉砕し、二律背反の想いを遂げて、更にこの状況を打破する一手がある。彼が選択するはずもなくて、それでも私が進言しなくてはならない解決策。これがきっと成し遂げられれば、私は本当に彼を愛しているに違いない。
 最愛の情を籠めて彼の頬を撫でる。変わり果てたその表情は、けれど私には何も変わらず見える。その鋭利荘厳の牙に、自ら顔を寄せていく。
 ここで二人とも終わるくらいなら、どうか最期は貴方の手で――。


「黙、って、見てろ――ッ!」
 先輩の考えなんてお見通しだ。普段は可憐で気丈なくせに、全く無駄に献身的で、肝心なところで自己犠牲が顔を出すのだから始末に負えない。
 誰がそんな終わり方を許すものか。ようやく捕まえたこの痩身、決して手放してなるものか。
 怠惰の外骨格を捨て去る。再び始まる自由落下。あと一層。最早この身体に力は一片も残っていないが、腕と胸があって意志があるなら十分だ。
 落下の衝撃程度、この身体を下にしてでも余裕で耐えて見せる。
 最後の一層の出口は目前だ。目前だが、その出口を途端に見失う。
 先輩だ。
 この女性はまだ怯えている。自らの感情が怠惰の魔王に引き摺られてやしないかと。自己犠牲の選択なんてさせるものか。そんなに怖いなら、俺に任せろよ。全部俺が何とかしてやるから。
「その身体からベルフェゴールの血を一滴残らず絞り出してやる! 俺からも! だから着いて来い――俺に任せろ!」
 それが男の務めだろう。肉だけを護って良い気になっていては不足が過ぎる。俺自身は一切気にしていないが、桐彦の指摘に揺らいだように、彼女は自分の感情に確信を持てぬことを辛く思っているのだ。ならば、心の安寧だって護ると誓おう。
 突破する。
 視界が開け、雄大なる銀河世界が広がった。
 俺たちは流星の如く、オグドモンの巨体とそこから伸びてくる狩人の触腕を背にして落下する。
 最早大地は更地と化していた。クッションになりそうなもの一つなく、祈りを込めて先輩より先に落ちることだけを考えて――。
「見事、素晴らしい啖呵だ。後は私に任せておけ」
 ――明朗に声を放つ至高の黄金に包まれて、一切の衝撃なく荒野へと着地した。

〇〇〇〇〇

「残念だが、残るはこの星だけとなった。この空を染め尽くす銀河は、我らの知るそれではない。我らが父の残せし外殻だ」
 明星は俺の身体を指の一振りで治療すると、俺たちを大地に降ろした。
 その姿は痛ましいほどボロボロんで、俺たちよりも遥かな激戦を繰り広げたのだと理解できながら、その頼もしさに魂が震える。
「その感触を憶えておけ。卿らはこの荒廃した大地で生きていくのだから」
 盗人に言葉をかけ、自らに背を向けた愚かな行為を、オグドモンは許さない。巨体の誇る威容に寸分違わぬ威力で俺たちを踏み潰しに来る。
「愚か者が」
 攻撃者の方向も見ずに後方に腕を突き出し、防御技の一つもなくその踏みつけを受け止めて見せた。
 ゆっくりと振り返り、ルイは黄金瞳で友を見据える。些かの迷いもなく、必滅の意志を込めた視線。
「そもそも何故、サタンがおらぬと思う。我らが真なる長子が、正しく主の代行者たるアレが」
 少しずつ、ルイ・サイファーの姿が変わっていく。高貴なる紫紺、黄金の仮面、壮大な竜の体躯、頭上には太陽と木星の加護を滾らせる紅と橙の法陣が。
 脳天を走り抜けるような衝撃と共に、もう一柱の魔王は初めから舞台を退場していたのだと悟る。
 叛く者サタナ。憤怒[Ira]を司る大悪魔サタン。だがその本質は何かと言われれば、試す者、サタナイル――。
 最古の天使と融合したサタンモード[Shaytan]が、今、神をも試すのだ。
「最後の職務を全うするため、ずっと私の中で眠っていたのだ。
 何せ、卿の求める唯一神は……とうにこの世を去っているのだから」
『!? ――、――!?』
 哀切の叫びが轟く。それは変わらず世界さえ侵す声音だが、酷く痛切だ。
「我らが再臨するよりも遥かな昔のことだ。人類が我ら幻想存在を不要と排斥しはじめ――父は、満足したのだそうだ。子は親を超えて往くもの、我らその息子たちも何れ人間に介入できなくなることを確信した。なればこれ以上我が庇護は要らずと、一つのセーフティを残して去ったのだ。
 それがサタナイル。真っ先にサタンより引き戻され、私に接触した彼は教えてくれたよ。卿のような愚息を懲らしめるために、一時の――そして最後の――復職を赦されたのだと」
 振り上げた拳の降ろし先は、初めから存在していなかった。
 それどころか、自らが眼中にないとばかりに同胞が天使へと舞い戻っている。だがその様なこと、奴が認められるはずもない。それほど往生際の良い奴ならば、今この現世に蘇りはしない。
「案ずるな。我ら第一の子も第二の子――天使も悪魔――も、第三の子たる人類と同じく愛されているよ。彼らの踏み台などではない――私がここに残った人類二人に味方するのは、私自身の意志だ。断じて、父のように全てを愛し、矛盾を許容する在り方から卿を滅ぼそうというのではない。無論、我が愛は破壊の慕情ではあるがね。これはサタナイルの末期の願いを叶えるための――そうさな、義理というものだ」
『……莫迦な、あり得ない。神は邪知暴虐の徒であり、高みに手我らのことを嘲笑っていなければならぬ。でなければ、でなければ私は何のためにこれまで――!』
「あのお方は、きっと今も我らを見守っているよ。今となっては個ではないだろうが、この宇宙のどこにでも遍在するあらゆる現象として」
『認め……られるかァァアアア!』
 再びオグドモンが暴れ始める。だがその力、最早俺たちの脱走により最盛期の見る影もなく。
「受け入れよ。なに、我ら第一の子にとって、その生は失敗や敗北の歴史であろうがよ――」
 膨れ上がる自棄と覇気に呼応して、六欲を滾らせた虹光と無色の贖罪の炎が視界を埋め尽くす。
『オーラーティオ・グランディオロクア!』
「パーガトリアルフレイム!」
 共に強制的な贖いを齎す一撃だ。恨みと執着、愛と憐憫――両極端の感情を根源に放たれた二つの極大エネルギーがぶつかり合い、同様の効果を持つそれらは激烈な衝撃を起こし絡み合い、しかし次第に虹色は消滅していく。無色の炎――サタナイルが褒美に借用しているのであろうシナイ山の神火に飲まれていく。
「新世界創造などさせるものか――今更敵手もいないのに、その必要もあるまい!」
『否、否、断じて否だ! 神が既に消滅しているだと、我々を今も愛しておられるだと? 詭弁だ、耄碌したなルシファーよ! ならばその残滓たるこの世界を破壊する! それこそが私に唯一残された救いなのだ!
 今更と言うなら、それは今更止まれるものかというものだ――!』
「愚かなことだ……すまないなベール。こうなると思っていたから、私は黙っていたのだよ。卿が残留できたのはその一念であったからな」
 故に今、ここに終焉を与えよう。その未練を終わらせてやろう――と。
 本来ならば、幾らサタナイルとルシファーの融合体であろうとも、オグドモンに通用するはずもなし。やはり俺たちは真理に触れても神域に達しない。
『抜かせよ、散るのはどちらか知るがいい! 新世界開闢を飾る華となれ! カテドラァァァアアアル!』
 ベルフェゴールの翼さえ消滅させる神聖衝撃波動。遍く罪全てを蹂躙する必滅の、しかし放つ本人は一切の消費もなくただ唄を奏でているだけだ。
 しかしオグドモンはもともと継ぎ接ぎで、加えて核たるベリアルが絶対の信頼を置いていたベルフェゴールは既に奪われた。
「愛が足りん。私はそう造られたものだが、だからこそ我が想いは誰よりも熱い――父の後押しを受けて、燃え滾らぬ者がいるものかァッ!」
 否、敵手の不十分さなど彼には関係ない。嘗ての熾天の主。神への愛で燃え盛るセラフでありながら、全てを愛し[破壊し]たいという特異な至天。
 いかなる神格が襲い来ようとも、その遺志を、その世界を破壊などさせるものか。
 咆哮一吠。たかがそれだけで、異形の讃美歌はかき消える。
 黙示録の赤き竜。その頭上に浮かぶ二冠から、必滅の破壊光が放たれる。
「餞だ、受け取るがいい――! ディバインアトーンメント!」
 それは文字通り神の赦しとなって、至高アイオーンを貫いた。
 
〇〇〇〇〇

 世界を滅ぼす悪逆の獣は消え去った。その身に融かし飲み込んだ四柱の魔王と六柱の天使、数多の人間の魂を巻き添えにして。
「協力に感謝する。その奮戦、尽力、実に見事」
 赤き竜はその役目を終え、その父と同じく世界に溶ける。今再び黄金の偉丈夫として、ルイ・サイファーは世界に降り立った。
「して、どうするね」
「知れた事だ。この身体からベルフェゴールの血を一切合切清算する」
「ほう? だが、この世界で生き抜くのは厳しいぞ? ベルフェゴールの力があった方が、余程卿らには役立つと思うがね。少なくとも、千年の安寧は確約されたも同然だ」
 既に世界は滅亡したと言って良い。俺と先輩を除いて、生きている人間は皆オグドモンに押し流されてしまった。大洪水の後よりも未来がない。
「それに、万が一卿らの想いが真に欺瞞であったなら、この後の生は苦痛に満ちたものになると思わんかね」
「私は――私の優柔不断がこの状態を招いたけれど……。赦されるなら、後輩と共に歩みたい。どこまでも。
 それは嘘偽りない私の今の気持ちだし、もしもこの想いが嘘だったとしても、そう考えた事実は嘘じゃない、その時感じた感情も心にある。
 だったら、もしも真実に絶望したとして、そこから再出発できないとは思わない。だから私は、できれば真実が知りたいよ。この愛を本当の気持ちだと証明したいよ」
 否、未来がないなどあり得ない。絶対の庇護者はとうにいないけれど、同時に絶対の外敵もいないのだ。
 神魔幻想、ありとあらゆる第一と第二の子はここに長い歴史を終えるのだ。
「いずれにせよ比翼の鳥のように――か。よかろう。ベルフェゴールと対面させてやろう。しかし、彼の者の領域で、卿は鎧は纏えんぞ? 力の源の目の前でその力を引き出すなど不可能だ。ベルフェゴールの打倒が敵うと、本気で思っているのか?」
 意地の悪い男だ。俺たちの口からどう出るか分かっている癖に。
「勿論思ってないさ。だからこうして頼むんだ。最後に残ったデジタル・モンスターに」
 先輩と目を見合わせ頷き合う。最早意志は一つだろう。
「「あなたは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう」」
 二人で唱える聖句を、ルーチェモンが引き継ぐ。
「しかし、わたしは陰府に落とされることなく、穴の奥底に入れられることもない――故に、卿らの望みを叶えると約束しよう。
 ベルフェゴールを打倒し、その直後に私も役目を終えてやる。この世界の一部として、卿らを見守っていよう」

〇〇〇〇〇

 世界が塗り替わる。これまで二回見たベルフェゴールの領域。
 モアブの地。現実の其処は既に微塵となったが、魔王が座す此処は未だ健在だ。
 先輩を磔にしていた十字架には誰もいない。乱立する十字架が血に塗れ、愛嬌のあるぬいぐるみのような巨体が瞑目したまま鎮座していた。
「――何用だ、ルシファー」
 大地を震撼させる重低音。俺が自ら放っていたそれよりも、受け取った記憶の中のそれよりも荘厳な、モアブの神であるベルフェゴール。
 だが威の大きさで言うならば俺はずっと恐ろしいものを知っている。身体は最早脆弱な人間で、先輩と共に竦み上がるしかできないが、精神は一切怯まない。
「聞いていただろう、契約の履行だよ」
 俺たちの前で飄々とベルフェゴールを見据えるルーチェモン。戦意は十分なようで、敗北は初めから一切考えていない傲慢の王。
「卿を滅し、私も死のう。そして対価にいただくものはただ一つ。
 ――お前たちの幸せだよ。魅せてくれよ、私に」
「善かろう。我も貴様と等しく、それを願っている。
 父の庇護を不要と断ずるならば、見事我を討ち果たし、新時代のアダムとイブになるがよい」
「では――契約者よ」
 明星は告げる。
 新たな契約の在り方、世界最初にして――これが最後の、人と神魔の契約だ。
「指示を寄越せ、サマナー[Summoner]――否、我がテイマー[Tamer]よ!」
―――――――――――――――

 これにて『寂滅アケイディア』簡潔になります。第一話の投稿が2015年2月2日。およそ3年かけての走破となりました。ノリにノっていた2015年の後半にガツンと進めて以来遅々としたペースで、マラソン的に考えるとありえねー訳ですが、まあエタることもなかったのでよしとしましょう。
 さて、初めは白髪スレンダー(オブラートに包みまくった表現)美少女とイチャコラする話を書きたくてカッとなって書き始めたこの作品も、最終的にはまっとうにテーマなどというものが生まれてきました。設定はあとからついてくる。イイネ?
 お分かりだろうと思いますが、この作品で語られた命題はレゾン・デートルです。作中では愛だのプリミティブな感情だの言ってますが、終局的にはこれに落ち着きます。

 初めからそう在るように創られたルイ・サイファーはその矛盾する在り方を受容し。
 初めからそうなることを知ってしまった渡部桐彦は、それを受け入れられず暴走し。
 初めから彼女を護るために選ばれた真原針斗は自分の何が変わったわけでもないとその感情を尊び。
 初めから彼に焦がれることが決まっていた高原彩里は、それでも――と彼に報いることを選びました。

 とは言え主義主張、命題が定まれど、それを描写することは難解を極めます。初めからそう決められていること、生まれや血筋。そうしたものにケリをつけることは不可能で、自分のなかで区切りをつけるしかありません。
 そういう意味で、彼らは三者三様の選択肢を採りました。受け入れる、怒りを覚える、気にしない、我慢する、そして乗り越える――。
 本来現実と幻想の狭間を体当たりで理解しつつ、少しずつ妥協点を探るべきレゾン・デートルへの対処ですが、作中では復活した幻想の存在により突発的に宿命が与えられてしまいます。
 故に混乱もすれば、喧嘩も起きるでしょう。その過程で先ほどの答えを各々見出すための至高の変遷があるはずなのですが――それを描写することの難しいこと難しいこと。
 作者自身にも、新しい命題が与えられてしまいました。
 というわけで、長々と書き連ねては来ましたが、結局のところ好き放題好きな要素ぶちこんだだけでした。難渋する部分もかなり多かったけれどとても楽しかったです。





 あ、あとパツキンロンゲのイケメンを死ぬほど活躍させられたのでよかったです。理想のイケメンになるのと理想に美少女になるのどちらか選べるなら俺は美少女になってイケメンに抱かれたい。けど白髪ロング貧乳翠目左眼帯美少女とひつら共依存の関係になるのも捨てがたい。ぷり。


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