幽玄無音のASTAROT - ぱらみねのねどこ

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幽玄無音のASTAROT

「キング・イン・イェロゥ……!」
 キング・イン・イェロゥ――黄衣の王。なるほど目の前の超常存在に相応しい名だろう。しかし。
「進化やモードチェンジでは、ない……?」
 アスタモンはデジタル・モンスターだ。ならば姿の変化として最も考えうる可能性は進化。次点でモードチェンジ、あるいは退化でもいい。あの呪文がそうした効果を持っている可能性も、デジタル・モンスターが都市伝説として顕現している以上、オカルトも効果を持つだろうしあり得るだろう。
「そうとも――彼の者の名は、Hastur」
 希望的観測は覆される。
「ツェーン、私は先日、和弘少年の部屋の前でこの名を口にしたことと思う」
 過去回想は必要ない。あの時の気味悪さと共に、未だ鮮明に覚えている。だが、ウェンディゴとは違い、ハスターなんて俺は聞いたこともない!
「ハスターはね、太古の昔、この地球に飛来した神性のひとつ――とされている。イグドラシルの最奥に眠っていた、遥か昔のログによれば、四大元素の内、風を司る神性存在だと。そして、眷属にウェンディゴ、ロイガーとツァールなる謎の神性、バイアクヘーなる異形の怪物を従える」
 無貌の仮面でこちらを見つめる王を前に、武器を構えながらJは講釈を開始した。
「奴らは――太古よりこの惑星に潜む外宇宙の存在は、深く深く我々の人類史に食い込んでいる」
 その表情に、昨晩の様な錯乱した様子はない。となれば、これは大いなる理の一端ではないのだろうか。
「その結果、奴らの幾ばくかはデジタル・モンスター化している。その最たる例がウェンディモン」
 途端に、黄衣の王がその衣をこちらへ伸ばした。その動きから確信する。これは衣ではない、王の臓器・器官――肉体の延長だ。触腕を回避し、王の背後の悲鳴に視線を移す。
 黄色いローブの人間[cultist]どもが、貪り食われている。一目には、黄色い布に包まれただけ。しかし苦悶の舞踏を踊るそのシルエットが、明らかに「食われている」のだと直感させる。
「本来ならば、カルティスト共の誓願ごときで、ハスターは招来しない筈だ。だが――」
 仮面より伸びてきた触手をスパイラルマスカレードで細切れにした。
「――ハスターは怒っている。何故なら自らの眷属であるウェンディモンを滅した我々が目の前にいるからだ」
 黄金の剣は、相手が理解の外側の存在でも容赦しない。黄衣の王の奇妙な踊り、その魅了効果を無条件にレジストし、こちらを圧殺しうる極太の触手を両断する。
「それは分かった。だが、どうしてアスタモンがこうなる!」
 ウェンディゴはともかく、アスタロトとハスターなる神性に、いささかの関係もないはずだ。
「おや、まだわからないのかい」
「勿体付けるな」
 黄衣の王が両腕を大きく広げた。一拍遅れて、無数のデビドラモン――いやさビヤーキーか――が召喚される。その間も触手の猛攻は続いていて、間隙を縫って攻撃するなど不可能だった。
「こちらに来たまえ――何故、私がチャットで横文字をスペルのまま発言していたと思う、この時の為さ」
 にやりと笑うJの手には聖盾ニフルヘイム。言葉通りにその背後に陣取れば、極寒世界の名に相応しいブリザードが、殺到するビヤーキーを凍結させた。
「フランス語には、有音のh、無音のhという概念がある」
 語るJの表情は、これ以上ない絶好の舞台であると言わんばかりに喜悦に満ちていた。ここで黄衣の王を仕留めるのがシナリオ通りであると、雄弁に語っていた。
「――そうか」
 ここまで言われれば理解できる。
 アスタロトはASTAROT。ならばアスタモンはASTAMONであろう。そしてハスター――HUSTARがデジタル・モンスター化するならば、強いて言うならばHUSTAMONだ。
 もしもASTAMONの頭に、無音のHが着いていたとしたら。
 歴史を伝播する上で、HASTAROTがASTAROTになっていたとしたら。あるいは、そういう後付けの歴史がひょんなことから一説でも生まれていたとしたら。
 AとUの差異なんて、音遊びをする上では些末なものだ。
 ハスター召喚の儀に合わせ、HASTAMONがHUSTAMONに変貌したとて、何の不思議があるというのか。
「ハスターは、未だデジタル・モンスター化していなかった。奴らに通常の攻撃は通用しないが、デジタル・モンスター化してしまえば、我々でも傷付けることができる。
 だから私は、アスタモンがその依り代となることを期待していた――まさか、ここまでうまくいくとはね。アルマデル奥義書を見た時、興奮を抑えるのが大変だったよ」
 Jが照準を定める。
 ガルルキャノンの連射。一発一発が究極体を滅殺して余りある大砲が、推定・ハスタモンの触腕を凍らせる。しかし相手もさるもの、ナイツ最強の遠距離攻撃による凍結が、瞬時に解除される――だが!
「『デジタル・モンスター』は、奴らがこの街に介入・接触したときに、デジタル・モンスター化させるためのトラップでもあったのさ――今だ、ツェーン!」
「任せろォ!」
 一瞬あれば事足りる。
 アスタモンの時とは逆だ。その懐へ潜り込む。
「トゥエニストよ――斬り裂けぇッッ!!」
 あらゆるものを断ち切る斬撃が、黄衣の王をも引き裂いた。


 ビヤーキーの残骸も、ハスターの残骸も全て朽ち果てた。既にデジタル・モンスター化していたためか、そのまま粒子となって消えていく。
「礼を言いつつ、君に非礼を詫びよう。私は意図的に、敵の存在を伏せていた」
「いや……」
 帽子を手に取り、優雅に一礼するJ。その仕草を眺めつつ、敵手たる存在に思いを馳せる。
 カルト教団がアスタロトを召喚し、その上で呼び水としてモノリス――きっと、アスタモン自身も呼び水だろう――を設置し、祝詞でもってハスターを招来させた。
 それは、アスタロトが召喚されたのは、決して偶然ではないだろう。なにせアスタロトもアスタモンも、そんな逸話は持っていない。天使の存在理由と、その堕天についてを納めた、40の悪魔の軍団を率いる強壮なる大公爵。悪魔デジモンの軍団を率いるダークエリアの貴公子。
 となれば必然、誰かがその絵図を描いたことになる。『同一性のあるものは呪術的には同じものである』のだから、名前の相似性でもってハスターを召喚しようと画策したものがいる。
 そしてその最大の容疑者は、Jだ。
「……?」
 まじまじと彼女の翠瞳を見つめ、その深謀遠慮の一端に迫らねばと確信する。どこまでが真実で、どこまでが虚偽なのか。ともすれば、真に迫った昨晩の混乱さえも、あるいはJとしてサロン・ド・パラディで接触して以来の全てが演技なのではないか。無論、不可思議に向けられる俺への好意とて、残念ながら疑わざるを得ない。
「ツェーン、どうした? どこか痛めたかい……?」
 とは言え、真っ向聞いたところで素直に返ってくるような容易い相手でもなし、か。
 しかし、心細げに揺れている上目遣いを見ていると、全てが真実の様な気にもさせられる。Jを否定したり、疑ったりする気持ちが自然、掻き消えていく。
 胸の裡には、猜疑の火が燻るだけだ。
「なんでもないさ。これで、今回の目標は達成でいいか?」
「ああ、君のおかげだ。これで奴らの一角を打ち砕くことができた」
「奴ら……?」
 言っていることは分かる。戦闘中に口にした、"太古よりこの惑星に潜む外宇宙の存在"という言葉。"奴ら"とはきっと、その生き物たちを指すのだろう。
 だが、それらは結局、何なのか。Jはどこまで知っているのか。少なくとも、そうした秘された情報についてだけでも問いたださねばなるまい。
「J、それは――」
 意を決し、目の前の女の深淵に踏み込もうとした時、その決意はけたたましい携帯の着信音に遮られた。定光だ。
『オイオイオイオイ、オタクらなんかした? 目の前で"黄の印の兄弟団"のフィクサー、悶え苦しんで消えやがったぜ? 跡形も残らねえ』
 電話口から聞こえる定光の声は、しかし文面や出来事ほど驚いたようには聞こえなかった。こちらが驚かされるほど冷静におちゃらけている。
 フィクサーということは、黄色いローブのカルティスト達の、裏の顔役と言ったところか。その人物もまた、ここで黄衣の王に食われた彼らと同じ末路を辿ったのだろう。
「それは――」
 なんと説明したものか。逡巡していると、耳を寄せてきていたJが俺の口元で話し出した。
「――さて、噂のデジタル・モンスターの仕業かもしれないよ? それはともかく、ありがとう宮里君。おかげでツェーンと廃墟探索デートと洒落込めたよ」
『おう、そいつぁ重畳。俺は先に帰らせてもらうが、気ぃ付けて帰れよ?』
 電話はそれだけで終わった。
 いくら怪奇現象に慣れているとはいえ、流石にあっけらかんと受け入れるには限度があるだろう。
 この男もまた、今回の事件に、何らかの形で一枚嚙んでいる。でなければこうも都合よく、ウェンディモンとアスタモンに関与する切っ掛けを持って来れるものか。 
「さて、それじゃあ帰ろうか」
「ああ……」
 Jに手を引かれ、釈然としない思いを抱えつつ帰路に就いた。
 コンサートホールを出て振り返る。九本目のモノリスは、影も形も存在しなかった。


 黄衣の王との戦闘からおよそ半日。昨夜のJは「防犯グッズ物色デート」の約束をマジに取り付け、何事もなく通学路に出た。
 家の前でウェンディモンが暴れた跡は残っていない。昨日のモノリスが消失していたように、デジタル・モンスターの暴れた痕跡は一切残っていない。『デジタル・モンスター』の設定とは異なる状況だ。
 俺の知っている常識が、そのまま通用する訳ではないようだ。
「よっ、やけに疲れた顔してるな」
 背後から肩を叩かれる。昨夜俺の混乱を助長してくれた宮里定光がそこにいた。
「まあな。ミステリアス美女に振り回されるのは疲れるのさ」
「死ね」
「お前が死ね」
 暫しガンを飛ばし合い、どちらともなく視線を外す。
「で、まあこの際お前でもいいや、何をどこまで知ってるんだ」
 睨みを利かせてやれば、帰ってきたのはキザな動きだ。
「いいや、何も?」
 唇で息を噴き上げ、前髪を浮かせて。
 あくまでも柳に風と言わんばかりに、定光は笑って見せる。
「少なくとも俺だって、この街にデジタル・モンスターが介入するなんて想定しちゃいねぇーよ。逆に聞くが、お前たちこそ何なんだ」
 そのバサバサの前髪の下で、眼は一切笑っていなかった。
「利用はさせてもらったさ。ああ、何かの足しにはなるかと思って、ウェンディゴの話を持って行ったし、カルト教団から買収した魔導書だって見せに行った」
 やはり、コイツから攻めるのは間違っていなかった――少しばかり気圧されながら確信する。この男、古い付き合いということもあり、Jを相手にしたとき程、全てが霧の中にあるような感覚は覚えない。
「俺だって暗中模索だっつの。正直お前の正体もわからねえし……。いやまあ、今の発言からある程度立ち位置について予想はついたけどよ」
「おうよ。正直に言って、お前たちとは今の所、行動"だけ"見れば協力できるとは思ってる」
「けれどそれは、信頼じゃなくて信用だろう?」
「当たり前田のクラッカー。お前のことは多少なりとも信じられるが、あの貧乳はまーだ怪しいな。お前が心酔してるってんなら、悪いこと言うとは思うけどよ」
 外宇宙の怪異を打倒する立ち位置。成程Jの言葉を真に受けるのなら、俺や彼女と、定光は敵対しない。
 そしてその戦力として、使える札としてならともかく、こちらを当てにするつもりは一切ないということか。無論それを悪いと言うつもりはないし、むしろJに対し不信感を抱く者がいることは、あるいは光明になり得るだろう。
 とは言え不安や猜疑は残る。俺たちがウェンディゴやハスターを討滅しなければ、定光は彼自身、奴らをどうにかする算段を有していたということになる。それはそれで、率先して怪異存在に殴りかかっていた彼らしいと言えなくもないが……。
「んでんで、お前今日フリーで動けるかよ。ちとウチ来いや、この件に関して、あの女のいないところで見せたいものが――」
 俺の肩に腕を載せ、耳元で囁く定光。話はこう転がるか。しくじった、既に俺は時間の大半をJに裂くと宣言してしまっているし、昨夜は勢いに負けて防犯グッズを買い漁る愚挙に出ると約束してしまった。
「いや、今日は――?」
 ズバイガーモンが、何かを訴えるように震えた気がした。このパートナーデジモンを、俺は物理的に持ち歩いているわけではない。言葉一つ発さぬLegend-Armsたる彼が、この世界の裏面たるデジタル空間から俺に何かを訴えるなど、一体どうしたというのだろうか。
「――おはよう二人とも、朝から男の子二人で、何をひそひそ話しているの?」
 俺の疑問符に一拍遅れて、底抜けに明るい魔性の声音が背後からかけられた。
「ッ――ちぇっ、恋人のお出ましか。なァに、かわいい彼女がいる男は羨ましいねって話さ」
 驚愕を押し殺した自分と定光を表彰してやりたい。なにせ、その接近に一切気付かなかったのだ。振り向いた視線の先で弓形の翠眼を覆う、眼窩に嵌めた片眼鏡が怪しく光っているような気さえした。
 

 「お邪魔虫はさっさと退場しますかね」などと嘯き、定光は通学路を駆けて行った。
「酷いじゃないかツェーン、私が迎えに行った時、家の中はもぬけの殻だったぞ」
「朝っぱらからお前の好き好きコールに応えるのは荷が勝ちすぎる」
「Hmmm、そんなものか。照れが残っているのか、それとも私の魅力が足りていないのか……」
 リアルでJと出会ってから、まだ日は浅い。それでも、これは平時と変わらぬやり取りだ。彼女を心より信じ切れず、しかしそんな下らぬ会話に、どこか安心感を覚える俺もいた。
 下らぬ会話を続けること暫く、校舎に近付くにつれ葬列じみた学生の黒服が増えていく。俺たちがデジタル・モンスターとの戦いを忘れているかのように、チャットと同様のコントのような会話をしていると。
「――あ、あの、ロウ、さん……」
 その内の一人が、J――転校生レイラ・ロウにおずおずと近寄ってきた。
「あぁ、おはよう、宗宮さん」
「ッ――お、はよう」
 自分から話しかけておいて、随分と委縮した様子だ。その視線は、気まずそうに俺とJを左右していた。
 そして間もなく、ここ二日間学校で態度の豹変したJと、急にJに接近した俺に不可解な目線を向けてきた内の一人だと気付く。背後の方には、顛末を見届けようとこちらを遠巻きに見つめる女学生のグループがいる。ご苦労なことだ。
「ぁ、そ、の……だいじょう、ぶ?」
「ん? 何がかな?」
 白々しさマックス。宗宮なる女学生の視線の先に気付いているだろうに、Jは恍けたフリをしたままだ。
 黒セーラーの袖口から覗く細い手首に、包帯が巻かれている。そう言えば、昨日は体育もあったから、着替えるレイラ・ロウの素肌に巻かれた包帯にでも気付いたのだろう。
「別に、俺は何もしちゃいないさ。事故だよ、事故」
 その下手人が隣にいる男だと邪推するのも無理はない。信じるかどうかは知らないが、一応の弁明はしておいた。
「十三君の言っていることは本当よ、あなたたちが心配することじゃないわ」
 しかしその上で、怯えた様子一つなく優し気な声色で名前呼びなどするから、あーほら宗宮某、石化しちゃったじゃん。かわいそうに……。

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